2-4.
木の葉がゆっくりと色を変えていくのとともに、穏やかな時間がキャンパスでも流れていく。
学期の初めには半袖姿が多かった学生たちも、いつの間にかコート姿になっていた。
赤や黄色で街が染められていく中、キャンパスも暖色コーデの学生たちで彩られていく。
ついこの前までこもっていた熱気はどこかへ逃げ去り、校舎の間を涼やかな風が吹くようになっていた。
学園祭が迫っていた。
十一月の初めに行われるこのイベントは、普段は学部学科が違って志も全く異にする学生たちが、一丸となって同じ目標に突き進む一年に一度の一大行事である。
ことに文系学生たちの本分は遊ぶことである。
ことに湊大学のこの市谷キャンパスは、文系学部の集うキャンパスである。
普段の授業や課題、卒論や就職も大事だけど、まずは遊ぶ。楽しむ。
キャンパスライフを謳歌しなきゃ、高校時代に多大な犠牲を払ってまで大学に来た意味がない!
その心の叫びを体現するかのように全力で走り続けるのが文系学生というものであろう。
授業の傍らでサークルの発表の準備に追われる者、出し物の予定はないがお祭り騒ぎを心待ちにする者、学園祭なんて興味ないと澄ました顔をしながらも浮かれた周囲に気が気でない者……
学生たちの浮ついた心は平和な時の流れの内で共鳴し、キャンパスに満ちる平穏な空気を静かに震わせていた。
「ライブのスケジュールだよー! ロクハンの出番は三日目の十八時から特設ステージで。ヴァネッサは今年もトリで出ることになったから、よろしくぅ!」
ちょうど学園祭二週間前の金曜一限。
このコマにグローバルラウンジのセミナールームで行われるIEPの授業は初日に四名の受講者が集まり、それから追加メンバーも脱落者もなく同じ面子で続いている。
これはとても色濃い授業だった。
四人という極少人数に加えて、うち二人は絶大な人気を誇る学生バンド『ヴァネッサ』のボーカルの北星川ララと、昨年度のミスコン優勝者桜堂ハルだ。
そんな貴重な展開に一年生の万騎が原えりかは欣喜雀躍。
朝が苦手と言っていた彼女はどこへやら、他の三人とともに皆勤を続けているのだった。
「ねえねえ、ララさん。ずっと聞きたかったこと、聞いてもいいですか?」
授業開始前、四人が揃ったところでララが配った学園祭のチラシにえりかは興味津々だ。
「なんだい? 聞きたいことがあるのなら、もったいぶらずに早く聞いておくれよ」
「ララさんと衣笠日向さんが付き合ってるっていう噂は、本当なんですか?」
衣笠日向というのは、ララと同じくロクハンに所属する学生の名前だ。
ララがビッグネームなあまり、現在は湊大学の軽音サークル『Rocking Hunters』=北星川ララというイメージを持っている人が多いが、このサークルにはもちろん彼女以外のメンバーも大勢いて、いくつものバンドが存在している。
チラシの『Rocking Hunters』の公演の欄。
最終公演『ヴァネッサ』の一つ前に演奏するバンドのメンバーリストに、衣笠日向の名前が入っている。
担当はギター&ボーカル。それ以外に特に情報は載っていない。
ララは余裕をぶっこいていた割には、えりかのこの質問は予想外だったようだ。
ぐっはと胸を銃で撃たれたような大げさなリアクションを取ってから、ララは大きな溜め息をついた。
「全くもう、やんなっちゃうね。どっからそんな噂が広まってることやら。どいつもこいつも、そんな根も葉もないゴシップに取りついてる暇があったら黙って溜まってる課題でもやってろっての!」
「ええっと、それはつまり、噂は本当じゃないっていう解釈でいいんでしょうか?」
「全くの嘘だよ。鵜呑みにしないで。私は誰とも付き合ってませんし付き合うつもりもありません。ほーんと、誰だよ。勝手なこと言う奴。まじでぶっ飛ばしてやりてえ」
「衣笠日向は北星川ララにぞっこんなの。一年の時に一回振られてるんだけど、この可憐でたまに口の悪い歌姫様のことがどうしても忘れられないみたいでね。ララが一人で突っ走っていくほど、そんな姿に恋心は募るばかりで。最近では、ララの方でもまんざらじゃないみたい」
不意に頬を撫でた冷たい風のように、ハルの横槍が入った。
「ちょっ、バカっ、ハル! 何でそういうこと勝手に言うの!」
ララはあからさまに動揺を見せた。
いつも自分の人気を鼻にかけてお高くとまっている彼女にしては珍しい。
「悪い?」ハルは睨むような冷たい視線を送る。
「悪いに決まってるわい! 断りなく私のプライベートをバラすんじゃない!」
「有名人にそんなプライベートありゃしないよ。仲良さそうにしてる姿を見られれば、付き合ってるって噂がたつのも仕方がない。好き好んで目立ってる割に、あんたはその辺の自覚がない」
「どうして私がまんざらでもなくなってるなんてことになってんの! なってませんから! 勝手な想像は一切合財ぜーんぶお断りなのでどうかそのおつもりで!」
ハルはぽかんとララのことを見つめていたたが、しばらくすると何か合点したように頷いた。
「なるほど。つまり北星川ララは変わらず衣笠日向に興味なしってことか。学生生活を賭けた決死のアプローチも虚しく学内ナンバーワンイケメンボーカルの恋叶わず。乙女の心をとろけさせる美声もあの子の心には届かなかった。何故か。実は、北星川ララが愛用してやまない常時着用のヘッドホンには超高性能のノイズキャンセリング機能が搭載されており」
「あのさ」ララは呆れ返った声でハルを遮った。いつも身に付けているヘッドホンを外し、
「そんな機能、ついてませんから」
数瞬の沈黙の後、ハルが何事もなかったかのように「それは愛の言葉さえキャンセルしてしまう。好きでもない男子から告白されたときの言い訳におすすめ。モテる女子の必需品」と続きを呟くと、ララは片手に握ったヘッドホンでハルの頭を殴った。
「ねーわ!」
ちょうど授業開始のチャイムが鳴ったことで、この話題は一旦終わりとなる。
そして授業終了後。
「えりかと明は、何かサークルで出し物とかしないの?」
ララが片付けをしている最中に問うと、えりかは「あっ、出し物します!」と目を輝かせた答えた。
『Art,Beauty,Creation』、略称ABCという美術系サークルにえりかは所属している。学園祭では作品の展示会をするということだった。
彼女が絵を描くのが好きだということは初日の自己紹介の時に皆の知るところとなっていたが、何か描いてみせてと頼んでも「そんなに上手くないから、恥ずかしいです」と毎回断られるので、まだ誰もその腕を目にしたことはなかった。
しかし、展示会では彼女の絵も飾られるということだ。
「ついに君の絵が見られるんだねぇ。とくと腕前拝見といきましょうか」とララが茶化すと、「はい、ぜひ、あの、お手柔らかにお願いします」とえりかは照れくさそうに答えた。
「明は? 何かするなら見に行くから、教えてよ」
ララの目線が、この授業の唯一の男子に向けられる。
「俺は特に。サークルも入ってないんで」
「あら、そうなの。サークルに入らないで、何か趣味とかある感じ?」
「特にこれと言ったものは……」
明、本名明人はすっかり湊大学生の女子三人の中に溶け込んでいるが、彼が本当はこの大学に在籍する学生ではないことを忘れてはいけない。
西湘大学の秘密情報部の部員には、他大学のサークルにまで潜入するような者もいる。
それだけに留まらず、体育会系の部活や学生団体にまで自由自在に入り込むのが彼らであって、要するに、とにかくモグれる場所があるのならモグってみようというのが彼らの考え方なのだ。
明人も、『身バレせずにえりかへの告白を成功させる』という目的を達成するために、えりかと同じサークルに入ったり、もっと授業を被せたりして接点を増やすという手段を取ることもできた。
しかし、そこで障壁となるのが彼自身もまた学生だということ。
モグってばかりいるわけにはいかないのだ。
湊大学における彼の活動はあくまで課外活動であって、彼自身の進級・卒業には何の足しにもならない。
ましてやまだ一年生の明人は、サークル活動に明け暮れて授業を疎かにできるほど余裕がない。
進級要件と自分のキャパシティを鑑みて、ターゲットとの接点は授業を二つ被せるのみで作戦にあたることを決めたわけだ(語られていないところで実はちゃんと自分の大学に通っているのである)。
逆に言えば、それだけで十分だと判断したのだということにもなる。
こう見えて意外と自信があるのかもしれない。
「そうなんだ。ま、とりまそういうことなら日曜の夜は空いてるよね。ライブ、絶対来るんだよっ」
荷物をまとめたララは、去り際にウインクしていった。
さすがはプロである。問答無用で心拍数を上げられた。
湊まつりの二週間前であったが、湊まつり前にララと会うのはこれで最後だった。翌週はララはライブの準備を理由に授業を欠席したのだ。
明人はえりかのように『ヴァネッサ』のファンというわけではなかったが、何しろララの金髪ツインテとミニスカ×ニーハイスタイルは全男子を魅了するほど完成度が高い。
ミッションとは関係ないが、少しだけ彼女のライブが楽しみだった。
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