2-2.
国際学部一年の万騎が原えりか
社会学部三年の桜堂ハル。
同じく社会学部三年の北星川ララ。
女子三名に加え、文学部一年の椎明(偽名)の四名でこの授業は始まった。
担当講師は中国系アメリカ人女性のペギー・チェン。小柄で溌剌とした、ポニーテールの似合う人だ。
アカデミックリーディング&ライティングという名のこの授業は、、まずテキストを読み、内容について問題を解いたり参加者同士で議論をしたりする。
関連したテーマでの英作文が宿題として出され、翌週の授業で今度は参加者同士の文章を読み合ったり、講師の添削を受けたりする。
基本的にそういった流れになるという説明がペギーからなされ、初回はとりあえず自己紹介から始めましょう、ということだった。
四人しかいないし、全員でグループになって、という指示で参加者たちは中央のテーブルに集まり、
「(ま、万騎が原えりかです。国際学部一年です。よろしくお願いしますっ)」
「(椎明です。文学部一年です。よろしくお願いします)」
「(北星川ララです! 歌うことが大好きです! ヴァネッサっていうバンドでボーカルをやってます。よろしくね! あっ、ちなみに社会学部の三年です)」
「(桜堂ハルです)」
明人は自分の大学でも英語の必修授業で英会話をする機会はあった。
しかし、必ずしも英会話に慣れた学生ばかりではない授業では、多くの参加者が英語を発音するということを忌みがちだ。
ただえさえ人前で喋りたくない学生たちがお互いで会話するとなると、躊躇と遠慮が飛び交い、学生たちは気まずい空気の中、謎の愛想笑いでその場を乗り切ろうとする。
英語とあまり縁のない学生たちが参加する授業では一般的な光景である。
それとは対照的に、この授業はえりかがレベルが高いと評した通り、一味違っていた。
三年生の二人に関しては、英語を話すことに何ら躊躇が見られない。
一年生のえりかは緊張しているようではあるものの、この授業を取りたいと自ら望むだけあって、基礎力がかなり身についているのだろう。
若干のたどたどしさがあっても、しっかりと会話できている。
語学に苦手意識を持っていれば、確かに敬遠したくなるのも頷ける雰囲気だ。
この日は初回で参加者も確定していなかったため、互いの趣味のことなど他愛のないテーマでアイスブレイクをした後はお試しのテキストを使った簡単な練習をするのみだった。
このような感じで授業が行われるので、参加意志が固まったら来週からまた来るようペギーから説明がなされ、授業終了の三十分ほど前に解散となる。
「んんーっ、緊張したーっ。明君、すっごく英語上手なんだもん」
緊張から解放され、心底ほっとしたようにえりかは大きく伸びをする。
「ええ? 万騎が原の方が上手かっただろ。俺の方が緊張させられてたよ。こんな風に英語話すの初めてだし」
「ううん、全然。むしろ初めてであんなに話せるなんて、恐ろしくなっちゃうくらいだよ。どうしよ、あたし自信なくなっちゃいそう」
えりかはどうやら本気でそう思っているらしい。不安が顔に滲み出ている。
と、思ったら今度は「あっ、あとさ」と思い出したようにころっと表情を変え、
「あたしのことはさっきまでみたいに、えりかって呼んでね。何だか戦国武将にでもなった気分になっちゃうから、あんまし名字で呼ばれるの好きじゃないの」
英語オンリーの授業中では、実際の英語でのコミュニケーションで多くの場合そうされるように、全員がお互いをファーストネームで呼び合っていた。
えりかはそのこと言っているのだろう。
万騎が原では、確かに下の名前とはかなり響きが異なる。
「そっか。じゃあ、えっと、えりか」
「わおっ。よくよく考えたら、男の子にそう呼ばれるの初めてだったかも。新鮮な気分」
「二人とも、一年生なのに英語うっまいんだねえ。びっくりしちゃった」
二人と同じように惰性で教室に残ってハルと話していたララがこちらへやって来た。
「ララさんの方こそ、英語の歌詞を歌ってるの聴いた時から発音上手いなあって思ってたんですけど、さすが会話もお上手なんですね!」
えりかはすっかり上級生と打ち解けている。
「にゃははあ、そんなに褒めるなって。嬉しくなっちゃうじゃんか」
「だって本当なんですもん。声もすっごい綺麗だし、ツインテ可愛いし!」
「ゾクゾクしてくるねえ。いいよ、もっと言ってもっと言って」
「ね、明君もそう思うでしょ? まさかララさんとこんなに近くで話せるなんて、思ってなかった!」
話を振られた明人は、「ああ、そうだね」と曖昧な笑顔を返した。
二人のテンションについていけない。
北星川ララのことは、実は以前から知っていた。
『ヴァネッサ』と言えば、湊大学内だけでなく全国的に大人気のバンドなのだ。
特にバンドのボーカリストでありリーダーでもあるララは学生たちから絶大な人気を誇る。
と、いうのも北星川ララは元アイドルなのであった。
高校時代に有名アイドルグループに所属していた彼女は、高校卒業と同時にグループを脱退。大学に入学して、生まれ持った歌唱力を活かしてバンド活動を始める。
彼女のグループ脱退後の進路については一般には公表されていないのだが、天性の才能を持つ人間というのは明らかに周りとは違うオーラを放っているものだ。
金髪に染め、個性的なファッションをし出したいう大幅なイメージチェンジはあったものの、元アイドルの彼女に気がつく者は大勢いた。
そうでなくとも、歌が上手い、声が良い、可愛いの三拍子が揃った彼女はバンド活動開始後瞬く間にキャンパス中の人気を攫った。
元アイドルのララが湊大学でバンドやってるらしい、という噂はすぐに外部にも広まる。
学園祭ライブなどでは彼女目当てに多くの観客が集まり、全国でファンクラブも結成されている。
既にアーティストとして芸能界復帰の声がかかっているという噂もあるくらいで、彼女は今、最も旬な現役大学生の一人と言えるだろう。
えりかはララのファンだったようだ。
憧れの存在とこのように近くで会話できることが、本当に嬉しいようである。
「今年も学園祭ライブするから、絶対見に来るんだよ!」
「行きます行きます絶対行きます! んんーっ、文化祭楽しみっ」
興奮するえりかの横で、明人はララからウインクを送られた。
「君もねっ」
履修登録期間は初週から二週目まで。
この期間はいわば授業のお試し期間だ。
学生たちは気になる授業に出てみて、受けたいと思えば登録するもよし、気が変わればそんな授業が存在することすら忘れてしまってもよし。
それゆえ、初週に教室にいたメンバーが翌週にはがらっと入れ替わるなんてことも珍しくはない。
特に少人数制の授業では、仲良くなりかけた人とそれが最初で最後の出会いだったということもありがちだ。
学生はそこで一抹の寂しさと引き換えに人生の教訓として一期一会の精神を得る。
金曜一限、グローバルラウンジのセミナールームに居合わせる面子はしかし、偶然にも二週目も全く変わらなかった。
授業開始三十分前からえりかが教室にいて、初週と同じようにハル、ララ、明人の順で教室に入ってきた。
新しいメンバーは現れなかった。
「一限嫌いって言ってた割に、毎朝ちゃんと来てるよな」
初週と同じように、部屋の左側で縦に並んでハルとララ、右側の同じテーブルに明人とえりかが座るのが早くも習わしになっている。
「一限、この授業だけにしたの。だから、これだけは絶対遅刻しないようにしよーって、毎朝頑張ってるんだよ!」
えりかは明人に向かって、小さくガッツポーズをした。
授業のメンバーはこれで確定だろう。
前年のミスコン優勝者である桜堂ハルに、超人気者の北星川ララという異色の三年生二人。
そして初々しい一年生の万騎が原えりかと椎明(偽名)の二人。
履修登録期間が終わって本格的に授業が開始される前に、明人はやらなければならないことがあった。
明人は湊大学生ではない。
それゆえ、もちろん学籍は持っていない。
当然のことながら、彼はこの授業の履修登録ができない。
大教室での講義ならば、外部の人間が一人や二人混じっていてもバレることはないだろうが、少人数制の授業ではそうもいかない。
名簿に載っていなければ間違えなく怪しまれる。
先輩からの助言を受け、明人が講じた対策は至極単純なものだった。
担当講師のペギーに直接、交渉するのである。
IEPの講師はグローバルラウンジの英語アドバイザーも兼ねているため、担当の曜日にはラウンジに常駐している。
履修登録期間が終わった次の週、明人はタイミングを見計らってラウンジを訪れた。
「(金曜一限の授業ですが、とても興味があるので受けたいです。でも、単位の制限いっぱいまで授業を取ってしまったので、履修登録ができません)」
先輩から受けたアドバイスの通り、明人はペギーに説明する。
それに対し、ペギーの反応はあっさりしたものだった。
「(ああ、もしそれでも受けたいのなら、来てくれても私は一向に構わないよ)」
「(本当ですか!?)」
ダメ元で聞いてみたが、思いのほか良い返事を得られて喜びを隠せない、というふりだ。
「(うん。ただ、君も知っての通り人数が少ないからね。他の学生に迷惑がかかるから、遅刻欠席が多いとか、やっぱり面倒臭くなったから途中から来なくなる、とかっていうのは困るよ)」
「(はい。ありがとうございます。全力を尽くします!)」
大学は自由な世界だ。
細かな規則に縛られる必要はない。羽ばたきさえすれば、案外自分の思う通りに飛べたりするものである。
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