1-6.

 その後、幸いにも明人は無事に(無事ではないが)スマホを取り戻すことができた。


 万騎が原えりかが話した通り、ご丁寧に燃えないゴミの方に捨てられていた彼のスマホは、何が入っていたのかわからないプラスチック容器たちと一緒に再び表の世界へ戻って来た。

 

 画面は見事にバリバリだった。


 「あの、弁償はあたしがします。だから、その、どうしましょう。修理費とか、後で教えてもらえますか?」


 えりかが申し訳なさそうに申し出る。


 それを聞いて、黒髪ロングの友人――まりなは焦ってえりかを止めようとする。


 「そんな。別にえりかがそこまですることないよ。それにまだ、この人が言ってることが全部本当かもわかってないんだし」


 「でも、もし本当だったら! ぶつかった上にスマホまで壊しちゃって。あたし、弁解のしようがないよ」


 「本当かなんてわかりっこないじゃない! この人の証言しかないんだから。もし嘘だったら、私たちまんまと嵌められることになるんだよ!」


 「じゃあ、もし本当だったら? この人は何も悪くないのに、屈辱的な濡れ衣まで着せることになる! そんなのあたし嫌だよ」


 「んんんーーもう、ややこしいなあ! あなたって人は……いっつも、いっつもそそっかしいんだから! いつかこんな面倒を起こすんじゃないかって心配してたのよ。それが! こうして現実になっちゃって! 予感は当たってたわ」


 「ちょっと、何よそれ。ここで急にあたしの悪口!? 確かにいつも慌ただしいのは認めるよ。性格だもん! まりなだって、それはわかってくれてるでしょ? それなのに、いきなりここでそんなこと言う? まるであたしが疫病神みたいな言い方! そんな風に思ってたのなら、元からあたしの傍になんかいないでよ!」


 「ちょっ……何それ、誰もそこまで言ってないよ!? 傍にいないでって、何で。私は、いつもあなたのことを思って……」


 「いつも面倒を起こしそうだって、あたしのせいで何か悪いことに巻き込まれるかもって、そう思ってた……そういうことでしょ!? 今まりなが言ったのは、そういうことだよね?」


 「違う! 私は、私は……あなたのことを心配してたのよ! あなたの身に危険が及ばないように、いつも気にかけてた……」


 「あたしは子どもじゃないの! まりなの心配なんていらない! まりなにそんな風に思われる筋合いないわ!」


 それは、あまりにも唐突すぎる仲違いだった。


 唖然ととするしかない明人の目の前で急激にヒートアップした二人の喧嘩は、その終わり方もまた、ひどくあっさりとしたものだった。


 「まりながそんな酷いこと言う人だとは思ってなかった。もう知らない。あたしは勝手にするから。じゃあね」

 えりかは吐き捨てるように言って、ぷいとまりなから顔を背けた。


 突然の別れを告げられたまりなは、「ちょっと!」とえりかを呼び止めようとする。

 

 しかし、えりかはまりなを無視し、明人の方へやってきて、


 「あの、みっともないところを見せちゃってすみません。こんなところで話すのもあれですし、良ければ一緒にお昼でもどうですか? ぶつかったお詫びもまだだし」


 明人はやはり、呆然と立ち尽くすしかない。


 

 ……こんな展開、あり?



 とは言え、こんな好機をみすみす見逃すわけにもいかなかった。

 

 明人がこの場にいる目的は他でもなくミッションのためだ。

 つまり、あの手この手を駆使して万騎が原えりかと関係を深めなければならないのである。


 二人で食事を取るというのは、関係を深める上で王道かつ重要なイベントだ。

 ミッションを進める上で、いずれ踏まなければならないステップだったろう。

 それゆえに、これは願ってもない申し出だった。

 

 「それにしても、びっくりしちゃった。まさか、同じ大学の人だったなんて。こんな偶然もあるんですね。あ、笑い事じゃないか。ごめんなさい」

 

 えりかに連れられてやってきたのは、古い校舎の地下にある学食。


 先程の学食と比べると、古い分閉塞感があるが規模は同等で活気の面では十分だ。


 えりかは既に明人に対して警戒心を解いているようだった。


 湊大学生だとすっかり信じ込まれているようである。


 「あたし、国際学部一年の万騎が原って言います。恐れ入りますがどちらの学部の方ですか?」


 えりかの質問に、明人はしれっと答えた。


 「文学部だよ。俺も一年。名前は椎。椎(しい)明(あきら)」


 「同じ一年生! すっごい偶然!」

 

 椎明が本名をもじった偽名であることなど、えりかには知る由もない。

 

 純粋な彼女とは、すぐに打ち解け合うことができた。

 

 二人はそれから、学部の話からサークルのこと、気に入った学食のことや休み時間にすし詰め状態になる廊下環境への愚痴など、食事をしながら色々なことを話し込んだ。


 話好きなえりかが次から次に喋り、明人が相槌を打つという構図である。

 

 食事を終えてからも、えりかのトークはネタが切れない。

 

 「明君は、取りたいけど自信なくてどうしよー、って迷ってる授業とか、ある?」

 

 「取ろうかどうか迷うよりも、まだどの授業を取ればいいかの段階かな」

 

 「うん、難しいよね、履修組むのって。あたしもとりあえず興味のある授業を書き出してみはしたけど、全部とれるわけじゃないしどうすればいいかわかんないよ。優先順位決めて、来年以降でもいいやつは後回しにするべきなんだろうけど、それでも被っちゃうのいっぱいあるしね。そこからさらに、じゃあどっちが優先か、どっちが面白い内容かって考えてみても、そんなの実際受けてみないとわかんない! はあ、悩むなあ。でもまあ、春からの続きの授業が多いから、最初に組んだときよりかはましだけどね。春学期の履修決める時なんて、人生初めてだし授業多すぎだし制限はややこしいしでもう頭パンク! だったよね。一限多くて大丈夫か心配してたら、案の定遅刻だらけ! あはは。思い返すと大変だったなあ。今期は絶対一限減らすんだから。基礎課程の政治学とか早起きしてまで聞く価値ある講義じゃないし。履修取り消し取り消し。はいさよならー。あーあ、代わりに何取ろ」


 (いい加減だな……)と思いながら、明人はえりかに聞き返す。 


 「逆に聞くけど、取ろうか迷ってる授業、あるの?」

 

 「よくぞ聞いてくれました。図星です。国際教育センターが開講してるIEPって知ってる?」


 「インターネットエクスプローラポータブル?」


 えりかはぷっと吹き出した。


 「違うよ。インテンシヴイングリッシュプログラム。イングリッシュインイングリッシュの授業だよ。先生がネイティブの人で、授業中は英語しか話しちゃだめなの」

 

 「なんだ。新手のモバイル端末の話かと思った」

 

 「それ、ただのスマホ!」

 

 予想外につっこみが上手かった。


 えりかは金曜一限のIEPの授業を取るかどうか、迷っているのだという。

 

 授業自体が英語で行われるという性質上、他の授業と比べて高難度だということは容易に想像できる。

 

 そこがえりかにとってネックになっているらしい。

 

 「レベルの高い人が多そうだから、ついていけるか心配。だけど英語力を高めることを考えたら早いうちから受けておいた方がいいんだろうし、でもついていけなかったら自信なくしちゃいそうだし。誰か一緒に受けてくれる人いれば、少しは気が楽になるんだけど。でも、友達はみんな興味なさそうなんだよね。国際学部だし、みんな英語は上手くなりたいって思ってるはずなんだけど、まだ自分には早い、って言ってね。受けるとしてももう少し上達してから、だって。でも、上達したいのなら積極的にこういう授業も取らないと何も始まらないのにね、ってまあ、そんなこと言うあたしも気後れしちゃってるのは確かなんだけど。唯一、一緒に取ってくれそうだったまりなは金曜一限他に取りたい授業があるって言ってたからなあ。あ……、まりな」

 

 本当によく喋る女子である。

 

 話に夢中になるあまり、つい先程の出来事すら忘れてしまっている。

 

 明人はもちろん、この状況を手放しで喜んでいたわけではない。

 

 えりかが明人を連れ出したのは、言わばまりなに対する当てつけである。

 お詫びというのも、気持ちは嘘ではないのだろうが、所詮は方便にすぎない。

 

 まりなに腹を立てたえりかの衝動的な行動だ。

 

 もっとも、本人はそんなことは忘れて純粋にこの状況を楽しんでいたようだが。

 

 明人は、いくらミッションのためとは言え、えりかと同じように不都合なことだけ綺麗に頭から追い出せるほど非情にはなれない。

 

 既にほとぼりは冷めていた。


 えりかは途端に怯えるように顔をこわばらせた。


 「まりなとはね、学部もサークルも一緒で入学してからすぐに仲良くなったの。あの子、すっごく成績優秀でね、あたしなんかよりもずっと頭良い女の子なんだ。綺麗だし。まさに才色兼備ってやつ。そんなまりなは、春学期からよくあたしの面倒見てくれて。課題とか試験勉強も手伝ってくれて。ずっと一緒にいたいな、って思う人だった。でも、でも。それだから、さっきはあんな酷いこと言われて……あんなこと言われると思ってなかったから、ついカッとなっちゃって。ああ、もう、酷いよまりな! どうして急にそんなこと言ってくるのよ! すっごく心に傷ついた!」

 

 「だからって、本当はあの子と縁を切りたいだなんてちっとも思ってないんだろ」

 

 明人の言葉に、えりかは「うん」と小さく頷いた。

 

 すぐに感情的になって心にもないことを口走ってしまうのは、全国共通の女の子あるあるである。


 「まりな、怒ってるかなあ。謝ったら許してくれるかなあ。まりなって、けっこう冷たいところあるの。自分に見合わないと思ったら何でもすぐにばっさり切り捨てちゃうんだから。もしかしたら、もう手遅れかも」

 

 「これで本当に切れるような縁なら、もともとその程度の仲だったってことだろ。心配するなって、きっと大丈夫だよ」

 

 「ううん……」

 

 自信なさそうに肩を落としたえりか。

 

 スマホを取り出して、不安そうに画面を操作する。友人にメッセージを送ったようだった。




 「あの、連絡先教えてもらえますか? そういえば、まだ何もお詫びできてない。せっかくの縁だし、良ければまた会いましょ!」


 同学年の友達ができたことを純粋に喜んでいる様子のえりかは、知り合った相手が実は他大学生だったなんて、思いもしなかっただろう。


 

 えりかと別れた後、明人はそそくさと構内から出た。


 このキャンパスはかつての江戸城を囲っていた堀のそばにある。

 今では水路となっていて、見た目は普通の川とあまり相違ない。


 キャンパスがある側の岸には線路が敷かれていた。


 けたたましい音を撒き散らして、電車が行き交っている。


 川を見下ろしながら、明人は遊歩道を歩いて駅に向かった。


 去りゆく彼を見守るようにして、リベラルタワーが聳えている。

 

 ふと後ろを振り返った明人は、思った。

 

 それにしても、無駄に思えるくらい綺麗なキャンパスだよなあ……



   *  *  *  *  *  *  * 



    参加者 ○えりか! ○椎さん


 

 えりか!:連絡ありがとう! 返信遅くなってごめん!


 えりか!:やったあ、これで安心してIEP受けれるよ。ほんとにありがと! 金曜一限のね!

 

 えりか!:サークル終わってから今まりなと夜ご飯行ってたんだけど、無事仲直りできました。ご心配おかけしてすみません。

 

 椎さん:そっか。それは良かった。

 

 椎さん:授業楽しみにしてる。


 えりか!:うん、私も。また今度ね!

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