1-5.

 一難去ってまた一難。


 冬枯れの花園から逃れられたからといって、まだ安心するには一足早い。


 「それで? どういうことかわかりやすく丁寧に説明してください」


 丁寧に、という部分を強調して言ったのは、万騎が原えりかの友人の方だ。

 艶めくロングストレートの黒髪の持ち主の彼女。

 今しがたの口調からもわかるように強気な女子だ。

 パンツスタイルが似合うクール系である。


 リベラルタワー地下の学食を出た明人は、そのまま二人を連れて当てずっぽうに進んだ。

 何とはなしに、ガラス張りの校舎と古い校舎の間の中庭までやってきたところだ。


 さて、と。


 明人は呼吸を整える。

 

 短時間で練った作戦だ。

 無茶だという自覚はあったが、もう後戻りはできない。


 ここでちゃんと彼女たちを納得させられなければ、男子としての沽券にも関わる。

 それがどんな理由であっても、女子の手を引いていいのは、引っ張り続ける勇気のある男子だけだ。


 話の前に一つだけ確認したいことがある、と明人は切り出した。


 「君、ところでその鞄の中に、知らない人のスマホが入っていなかったかい?」


 「スマホ?」万騎が原えりかは首を傾げる。


 「黒のア○フォン。白いコードのイヤホンも一緒にあったはず」


 明人の言葉に、万騎が原えりかは「あっ」と反応を見せた。


 思い当たる節があったらしい。


 「もしかして、一番新しい機種の……?」と、彼女は確認してきた。


 ビンゴだ。ビンゴではあるのだが。


 明人は彼女の反応に引っかかりを感じた。


 あっ、と言ったとき、彼女は急にまずそうな顔をしたのだ。

 まるで、何か重大なミスに気が付いたときのような(やべっ)という顔。


 その意味を問うよりも先に、黒髪ロングの友人が割って入ってくる。


 「一つ聞かせてください。どうしてあなたが、この子の鞄に入っていた物について知っているんですか?」


 不安げなターゲットとは対照的に、こちらは突き刺すような視線が痛い。


 彼女の質問に、明人は正直に答えるしかなかった。


 「それは、そのスマホが俺のスマホだから」


 「あなたのスマホ? おかしいですよね。私もこの子もあなたのことなんて知らない。会ったことない。そんな人のスマホがどうしてこの子の鞄に入っているんですか? 間違えて入ってしまったなんてこと、あり得ないですよね? 明らかに不自然です。私たちが納得する説明、してもらえます?」


 彼女の主張は極めて理に適っていた。完全に怪しまれている。


 とは言え、明人は決して嘘をついているわけではないのだ。


 絶対に隙を見せてはいけない。少しでも油断すれば、たちまち不審者扱いされて作戦の続行が危ぶまれるだろう。


 事実がどうであれ、人間関係においてイメージというものは大切だ。

 相手に悪い印象を与えてしまえば、それは恋愛などと言っている場合ではない。


 説明するよ、と明人は半歩前へ進み出て、ターゲットを指差した。


 「君さ、今朝俺とぶつかったろ! その時、俺はスマホを手から放してしまったんだ。そしたら君の鞄に忍び込んだ。君は気がつかずに走り去った。俺はガン萎えして、失意の底に沈んで授業を受けた。昼休み、偶然にも学食で君を見つけた。何てこともない、それが真実だよ」


 黒髪ロングの友人はそれを聞くと、万騎が原えりかに向かって「そうなの? えりか、この人とぶつかったって、本当?」と問いかける。

 

 万騎が原えりかの方は必死に記憶を辿り、自信なさそうに「いっぱい人にぶつかったからはっきり覚えてないけど、もしかしたらそうかも」と答えた。

 

 (どんだけ周りを見てないんだよ)と、明人は内心であっけ取られる。


 黒髪ロングの友人は呆れてため息をつき、「またなの? もう」と呟いた。

 察するに、彼女たちにとっては初めての経験ではないのだろう。

 遅刻魔の万騎が原えりかがしょっちゅうこういった問題を起こし、黒髪ロングの友人は呆れ顔になる――そんな二人の関係性が伺える。


 黒髪ロングの友人は、きりりと表情を変えて明人に向き直った。


 まだまだその目には鋭さがこもる。納得させるには至らなかったらしい。


 「本当に、そうなんですか? 今朝あなたがこの子とぶつかったのが本当だとしても、その時にあなたの持っていたスマホがたまたまたこの子の鞄に入っただなんて信じられない。あまりにも現実性に乏しい」


 「俺からも聞かせてもらうけどさ。仮にその子の鞄に入っていたスマホが俺のものじゃなかったとして、じゃあそれは一体誰のものなんだ? 突然見知らぬ人のスマホが入ってた? 君が言うように偶然入ったのでなければ、誰かが意図的に入れたことになるよね。でも、誰がそんなことするって言うのさ? 個人情報の詰まった貴重品を誰かの鞄に入れて放置する物好きがいるとでも?」


 明人の反論に、友人は即座に言い返す言葉が見つからなかったようだ。

 

 「いないとは限らないじゃない! 何か目的があって、いやらしい変質者が可愛いこの子を狙って……」そこで言い淀んだ彼女。


 いやらしい変質者というワードで、明人は思わず吹き出した。なんだそれ。


 黒髪ロングの友人の顔が赤く染まっていく。


 しかし、それでも彼女は折れなかった。


 「そしたら、さっきの不気味な男子たちのことは? あれは、どうやって説明するの?」


 その質問には、明人は素直に頭を下げて答えた。


 「ああ、あれは絡まれてただけだから気にしないで。君たちのおかげで助かった。ありがとう」


 予想外の反応だったのだろうか、友人はむっとした顔をした。


 「私は、あなたがあの男子たちの一味なんじゃないかって疑ってたんだけど」


 「同類扱いされるのは、正直傷つくからやめてほしい」


 「証拠はある?」


 「君、悪魔の証明って知ってる?」


 「屁理屈」


 「……とにかく、君の話しぶりから察するに、スマホがあったのは確かなんだろ? とりあえず、それ、見せてくれないかな?」


 「仮に本当にあなたのものだったとしても、ただで返すわけにはいかない。盗撮や盗聴のデータがその中に入っているとも限らないじゃない。この子の可憐な姿や心地の良い声が見ず知らずの男子の手に渡って不埒な欲望を満たす足がかりとなってしまうなんてこと、私は許せないわ」


 「ちょっとちょっとちょっと! 何だか君、考え方があらぬ方向に偏ってる! 男子に対する偏見が過ぎる! 少なくとも俺は、全くそんなこと考えてなかった!」


 「それが嘘じゃないと、どうやって証明できるんですか?」


 「何でもかんでも証拠や証明を求めるのはやめてほしいな!」


 「なら信じられないので返せません!」


 いたちごっこだ。埒が明かない。


 と、そこで二人にとって意外なことが起こる。


 万騎が原えりか本人が割って入ってきたのだ。


 しかし、「あの、実は……」と言いかけたところで友人に止められてしまう。


 「あなたは何も言わなくていいの、えりか。こんな奴の言うこと聞かなくていいから!」


 「まりな、違うの。思い出したの!」


 ずっと不安そうにしていたのは、曖昧な記憶に戸惑っていたからかもしれない。


 きっぱりと言い放った彼女は、先程とは打って変わって思い切った顔をしていた。


 これには、強気な友人も引き下がらざるを得ない。


 「まりな、あたし思い出した。今朝ね、遅刻して急いでたあまり、男の人を思い切り吹っ飛ばしちゃったの。この人がそう、今はっきり思い出した。間違いないわ」


 万騎が原えりかそう友人に告げて、明人の前へ進み出た。


 そして、気持ちを落ち着けるように深呼吸。


 中庭全体に響き渡るような大声で、


 「あの、改めて謝らせてください。先程は本当にすみませんでした! あたし、焦るとどうしようもなく周りが見えなくなっちゃって、さっきは初回から遅刻して授業受けられなくなったらどうしようって、考えてたらパニックになっちゃって。全面的に否を認めます。本当に申し訳ありません!」


 綺麗なくの字に身体を折り、深々と頭を下げた彼女。


 その体勢を維持すること十数秒。頭を上げる様子がない。


 明人は返って申し訳ない気持ちになってきた。


 「そのことは別にいいんだよ。俺はただ、スマホを返してもらえさえすれば、さ」


 「すみません!」


 「いやだから、全然気にしてないから。謝る必要は」


 「本当にごめんなさい!」


 「言ってること、聞こえてる?」


 「この場を借りて謝罪させていただきます。ほら、まりなも一緒に謝って」


 「え? ちょっと、どうして私まで」


 「大変ご迷惑おかけしました!」


 「おーい」


 明人は呆然と立ち尽くすしかない。


 どうしてこうも話が通じないんだ!


 心の中で身悶えした。


 万騎が原えりかはやっとのことで頭を上げると、「実は、ですね……」と心底言いづらそうに前置きをしてから、真相を語ってくれた。


 「さっきの授業で、ノートを取り出す時に気がつかず落としちゃって、画面、割っちゃったんです」


 ガコン。


 頭を鈍器で殴られたような衝撃。


 告白はそれだけでは終わらなかった。



 そこで初めて気がついて、誰のだって話になったんです。あの、それで、気味が悪いからって、まりなと話して、あたしはそこまでするのはちょっとって思ったんですけど、まりながどうしてもって聞かず……あの、はい、まりなだけのせいじゃないんです。あたしも、もっとはっきり言ってやめさせるべきだったんだけど。結局、押し切られちゃって……


 その、スマホを、ゴミ箱に捨てて来ちゃったんです。


 本当に、本当にごめんなさい!



 と、いうことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る