1-4.

 辿り着いたのは五十人ほどが入れる広さの教室だった。


 校舎の外観と同じようにガラス張りで、明るく開放感ある教室だ。

 ガラスに波のような模様のデザインが施され、外からは見えないようになっている。


 明人は最前列のど真ん中の席に座らされた。


 周囲はきっちりと固められる。


 多勢に無勢。逃げ場はない。


 明人は自らの運命を呪った。


 ミッション開始早々に致命的な失敗を犯したばかりか、こんな厄介に巻き込まれるなんて!


 泣きっ面に蜂とはこのことだ。

 打開策はないかと、必死に考えを巡らせる。


 そんな明人の内心を、もちろん男たちは知る由もない。


 教壇に立った謎の男子の話が始まる。


 「さて、大体ここに来るまでに説明した通りなのだが、改めて紹介する。冬枯れの花園は非リア連合から派生したサークルだ。非リア連合は言わずとも知れた日本最大の非リア系インカレサークルだが、リア充反対をスローガンに掲げていながらも実力行使を恐れて何もしない気弱な連中にしびれを切らした大川原総裁が立ち上げ、早いものでもうすぐ二年が経つ。俺は幹部の馬込龍斗だ。法学部六回生。三浪。よろしくな」


 冬枯れの花園。

 非リア連合から派生した、湊大学の非リア系裏サークル。


 市谷キャンパスに出現する超迷惑な謎の集団として、一般にも知られている。


 明人はその存在を知っていた。

 ミッションの事前準備の際に、先輩から教えてもらっていたのだ。


 いきなり出くわしてしまうなんてついてない。


 苦虫を噛み潰したような思いで馬込の話に耐える。


 「活動内容を説明しよう。最近、特に力を入れているのは学食占拠だ。昼休みに我々で学食を占拠してしまい、リア充どもの楽しいランチタイムを台無しにしてしまうのだ。君も非リア側に属する人間なら、わかるだろう? 男に媚びることしか能のない女どもと、それに囲まれて鼻の下を伸ばしてる男ども。男の目線を見てみろ。基本的に奴らの耳に女の話など入っていなく、その視線は女の身体にしか注がれてない。女は女の方で、そんな着飾っただけの変態男のクルクルパーみたいな髪に憧れてるのか知らんがちやほやされることに夢中になるあまり警戒するという本能を失ってしまっている。人間にとって致命的損失だ。生命的危機だ。腹立つだろう? 実際にこのキャンパスでの表舞台に立っているのは、そんな彼らなのだ。大学を社会の縮図として見た時、これは構造的欠陥だ。能無しどもが社会の表で目立ち、我々のような堅実な学生たちは裏へ追いやられる。確実におかしい。誰かが声を上げねば、この誤りは永遠に正されない。つまり、我々がその役目を担うのだ。我々の活動の理念は、キャンパスを本来あるべき姿に戻すこと。学食占拠は、花園に課せられた使命の一つである」


 他にも、ゲリラ嫌がらせ(事故を装ってリア充にぶつかって飲みかけのコーラと見せかけた醤油をぶっかけたりする)や強制タイムスリップ(学部窓口や学生センターに置いてあるシラバスや時間割を古い物に置き換える)といった活動をしているらしい。


 一通り説明を終えたところで、馬込は時計に目をやった。


 「さて、そろそろ授業終了三十分前だ。今日は初回授業日だし、ぼちぼち学食に人が集まり始める頃だろう。場所を変えるとするか」


 馬込はタブレットを取り出して画面を操作する。


 誰かにメッセージを送信したようだった。




 明人はその後、抵抗も虚しく学食へ連行された。


 市谷キャンパスには二十五階建てのビルの校舎がある。

 リベラルタワーと呼ばれるこの校舎の地下に、キャンパス内で合計五か所ある学食の内の一つがあった。


 馬込の言った通り、授業が早めに終わり出しているらしい。

 廊下には先程よりも学生の数が増え、賑やかさを増している。


 ガラス張り校舎を出て、正門前広場を横切ってリベラルタワーへ。


 学食へ入ると、そこには想像を絶するような光景が広がっていた。



 これが、冬枯れの花園による学食占拠!



 話には聞いていたが、実際の光景を目の当たりにして明人はドン引きした。


 数百名規模の収容能力を持つ食堂を満席にできるほどの勢力を花園は持ち合わせていないようで、混雑率は四十パーセントといったところだろうか。

 いるのは全員、馬込と同じ雰囲気の男たちである。


 彼らは食堂全体に均等に散らばっている。

 汚く食べ散らかしながら、絶え間なくげらげらと下品な笑い声を上げている。

 そこからは一心同体とも言える団結力が伺えた。


 食堂内が完全に彼らの世界と化している。

 これでは、空いてる席があっても座ろうと思う者はいないだろう。


 全員がきちんと食事を取っているし、席の取り方についても間を空けて座っていけないなどという決まりがあるわけでもない。


 ましてや大声で喋ることが禁止されている場所でもないのだ。


 これでは根拠のある非難をすることもできない


 汚いやり方だ。


 よく見れば、一般の学生も紛れているようである。

 食事を取っていたところにこの集団が現れたがご飯を食べている途中であったため、どうにも対処し難くなってしまったのだろう。

 心底不快そうな顔をして、周りを睨んでいたり、怯えた表情をしている。


 新しく入ってきた学生たちはこの光景を見た途端、回れ右をして退出していく。


 他の学生たちの居場所を奪うためだけの、まさに超迷惑行為だ。


 これが日常茶飯事だなんて、明人はにわかには信じられなかった。


 と、そこに、食堂の奥の入り口から新たに女子二人組が入ってくる。


 食堂内に一歩踏み入れたところで足を止め、いけないものでも見てしまったかのような顔をする。

 そして彼女たちも例に漏れず、その場で回れ右。そのまま去ってゆく。


 偶然にも二人のうちの一人は、ミッションのターゲット、万騎が原えりかだった。


 「あっ!」明人は思わず声を上げた。


 授業が終わって昼食を取りに来たのだろう。


 彼女がこの学食を選んだことは幸運としか言いようがない。

 

 この日のうちに再会さえできれば、立て直しは図れると明人は踏んでいた。


 このチャンスを逃すわけにはいかない!


 明人を囲っていた男たちは、明人が突然大声を上げたことに気を取られたのだろう。拘束が一瞬だけ緩んだ。

 その隙を見逃さず、明人はするりとそこから抜け出す。

 

 その勢いで全力ダッシュ! 

 

 ターゲットを追いかける。


 「君、ストップ!」周りがうるさすぎて声が届かない。

 

 花園のメンバーが追いかけてくるが、振り返りもせず、明人は奥の出口を飛び出る。


 万騎が原えりかはすぐそこにいた。

 友人と並んで歩きながら、不満げな顔を突き合わせている。


 二人が一階へ上がる階段に差し掛かるところを、明人はすんでのところで呼び止めた。


 「君、君! ちょっとストップったら!」


 万騎が原えりかはびくりと飛び上がり、足を止めて振り返る。


 「はい! いかがされましたかでしたかでしょうかっ」

 

 驚きのあまりおかしな言葉遣いになっている。


 一緒にいる黒髪ロングの女子は友人だろう。

 こちらは万騎が原えりかとは対照的に表情が冷静そのものだ。

 明らかに不審がられている。


 慎重にいかなければ。


 まずはこの場を脱することを第一に。


 「良かった、やっと会えた。ここ混んでるみたいだから、他んとこ行こうぜ」


 明人はそう言って、ターゲットの手を取って歩き出そうとした。


 しかし、急に知らない男子に手を掴まれた彼女は当然ながら戸惑ったようだ。

 咄嗟に振り払ったりはしなかったものの、その場に止まってついていこうとはしない。


 この反応は想定済みだ。


 一か八かの作戦だった。


 ここでタイミングを間違えることは、取り返しのつかないミスになる。


 明人は素早くターゲットに身を寄せると、彼女とその友人にしか聞こえないようにして言った。


 「詳しくはすぐ後で話す! お願いだから今は話を合わせて!」


 万騎が原えりかはさらに困惑した。

 (なになに、一体全体これどういう状況?)という顔をして、明人と友人の顔に視線を五往復ほどさせた。


 明人は後ろを見るよう、二人に目で合図を送る。


 三人の後方には、物々しい雰囲気の男たちが臨戦態勢で控えている(女子がいるせいか、近寄ろうとはしてこない)。


 その光景を見た途端、万騎が原えりかは「ひっ」と小さく悲鳴を上げて顔を逸らした。


 明人の行為が、この男たち絡みの良くない状況から抜け出すための方便であることは伝わったらしい。


 「ええっと。そうだね、どうしよっか。六十年館の学食にする?」


 逡巡の末、彼女は(棒読みで)そう言ってついてきてくれた。

 

 冬枯れの花園の男たちがそれ以上追ってくることはなかった。


 女子と手を取り合って歩み去る明人を見て、彼が自分たちの同志ではなかったことに気が付いたのだろう。

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