1-3.


 「まあまあ、落ち着いて。君、暇してるんだろ?」

 

 口火を切ったのは男子学生の方だ。


 ぶかぶかのジーンズにチェックシャツ。ぼさぼさの髪に眉。

 どう見ても清潔感のない学生である。

 小太りで、平均的な身長の明人よりも少し背は低い。


 初対面でいきなり「暇してるんだろ?」は失礼にも程がある。


 にやにやとした顔が不快感を催した。にきびが目立っている。


 「はあ……?」明人は反論しようとしたが、遮られてしまった。


 「今学期の初週だというのに、授業も出ず一人で学内で暇を持て余している。一年生? 二年生? 何年生でもいいけど、大学というのは学問を修める場所なんだよ。出来る限り授業はいっぱい取って、休むことなく出席するべきだ。それなのに授業に出ないどころか、自習をしてるわけでもなくただ学内をほっつき歩いてるなんて。この名門湊大学の学生の風上にも置けないな。君、友達少ないだろ? 一緒に取る友達がいないから授業受ける気もでないんだろ。そうだろ? 大学ってね、学問を修める場所だとは言ったけれど、ただ勉強してればいいって話でもない。せっかくこんなに人がいるんだからさ。同じ志を持った仲間がたくさんいるんだからさ。他者と交流して、共に成長する。そんな場所でもあるんだよ。だから、できる限り友達もいっぱい作るべきなんだ。それなのに、何だ君は。一人ぼっちで、陰キャムード全開じゃないか。そんなんだから、当然彼女もいないんだろ? あーあー、せっかく可愛くて頭も良い女の子がこんなにたくさんいるっていうのに、君は彼女らの甘い匂いの一つも嗅いだことがないのかい? 悲しい奴だなあ。残念な奴だなあ。可哀そうに。でも安心しな。君のような奴は、別に珍しくなんかない。この大学にだってざらにいるのさ」


 明人はあっけに取られて固まり、目をぱちくりさせた。


 話の途中で空いた口が今や全開で塞がりそうにもない。


 一体、何の話をしているのだろう?


 TEDのプレゼンを思わせる慣れた仕草だった。


 謎の男子は明人に向かって誘うように手を差し出し、最後にこう付け加えた。


 「何を隠そう、俺だってその一人さ。君の仲間だ。と、いうわけで我々は君を歓迎する。さあ、恐れずに踏み出そう。ようこそ、冬枯れの花園へ!」



 冬枯れの花園へ!



 明人はその言葉を聞いて、ぶるりと体を震わせる。


 この間、エレベータは既に一階へ到着していた。

 扉は一度開いて閉まっている。

 二人を乗せたまま、エレベータはその場で沈黙している。


 と、そこで謎の男子がエレベーターの開ボタンを押し、扉を開けた。

 

 息苦しい空間からの解放。

 外の景色が目に入り、明人は新鮮な空気を味わえると心を躍らせかけて、実際には心臓が止まりかけた。


 謎の男子越しにエントランスホールが見える。

 閑散としていた先程とは打って変わって男たちがいた。


 男たち。

 明人の目の前にいる謎の男子と同じような雰囲気の男たち(だぼだぼのズボンやよれよれシャツ、眼鏡、無精髭、ぼさぼさの髪、眉などの特徴が共通している)。

 ざっと数えて十人前後。エレベーターを包囲するように並んで仁王立ちしている。

 

 男たちの視線は一点に集中している。

 その先にいるのは明人だ。


 とてつもない圧迫感。得体の知れない恐怖。


 明人はごくりと息を呑む。


 目の前の謎の男子が再び口を開く。


 「紹介しよう。枯れた花園に住む仲間たちだ。君にはこれから早速、部の説明会に来てもらおう。どうせ暇なんだろ? 我々と一緒に、華やかで楽しいキャンパスライフを送るリア充どもに並々ならぬ恨みを募らせよう。怨念のエネルギーは並々ならぬ質量を伴ってキャンパス地下に集積し、やがて巨大な呪いとなって地上に溢れ、この世を永遠に黒く染め上げるのだ。斉唱せよ、爆ぜろリア充!」


 「うわっ」不意に腕を掴まれ、明人は外へ引きづり出された。


 外で待ち構えていた男たちにも囲まれ、明人は完全に身動きを封じられてしまう。


 「放せ! 俺は今、取り込み中だ!」


 謎の男子は机の隅の塵を払うように明人の主張を取り下げた。


 「黙れ。雰囲気でわかるのだよ。お前が我々と同類だということなど。我々だって最初はそうだった。堅実な大学生活を送っていれば、自然とキャンパスライフを謳歌できるのだと思っていた。友達に恵まれ、共に学業に励み、時に助け合い、時に反発し合い、色々な苦難を乗り越え、やがて優れた人間性を備えたひとかどの人物へと成長を遂げていく。それが大学生なのだと思っていた。信じていた。その青春の旅路の途中には、もちろん運命の人との出会いがある。素敵な女性と出会い、彼女を誇りとし、やがて社会へ共に飛び立っていくのだろうと。薔薇色の世界が待っているのだろうと、信じていた。しかし違った。それは勘違いだった。当たり前だと思っていたキャンパスライフは、誰もが手に入れられるものではない。一握りの運の良かった者だけがその崇高な歓びを味わうことができるのだ。我々は叶わなかった。君も同じだよ。そんな願望は抱くだけ無駄だ。諦めろ」


 「すっげえ妄想……」ぽろりと、明人の本音。


 「妄想? 違う。これは願いだ。我々は心から願っていたんだ。そしてこれは、契約でもあった。我々はこの大学で然るべきカリキュラムを終了し、卒業生として多大なる社会貢献をして、出身校であるこの湊の名を名門校としてさらに誉れ高いものとする。その代わりに、我々は四年間の薔薇色の青春を享受する。我々は誓い、願っていた。しかし裏切られた。どんなに力を尽くしても、有益な友情は育まれない。魅力的な女性との邂逅はやって来ない。来る日も来る日も、周りが楽しそうに騒いでる中で一人灰色の世界に閉じこめられている。これは裏切りだ。反逆だ。何故俺が選ばれなかった。遊ぶことしか能のない愚図どもより、俺の方が遥かに可能性を秘めているというのに! 煌びやかな青春を飾るにふさわしい友情さえ経験できれば、俺はどれだけだって頑張れた。意気込みは十分だった。しかし人は執拗に俺を避けたがる。何故だ! 何故なんだ!」


 (その性格のせいだよ……)という視線を明人は謎の男子に送った。

 しかし、伝わらなかったようだ。


 明人は二人の男に両腕をホールドされ、残りの男たちに隙間なくガードされてしまっていた。


 逃げたくとも成す術がない。

 男たちのされるがままに中庭を横断し、向かいのガラス張りの校舎に入る。

 古い校舎のものとは対照的な最新式のエレベーターに乗り込み、上階へと向かう。


 謎の男子の演説は続いていた。


 「……彼女さえいれば、彼女さえいれば! 理想のキャンパスライフを味わえなくとも、せめて可愛い彼女さえいれば、俺は十分だった。授業やゼミ課題のレポートで忙しい中、時間を作っては会い、短いながらも甘くて密な時間を過ごす。彼女は彼女で色々と悩んでいる中、周囲には気丈に振る舞っているが、俺にだけは弱い表情を見せてくれる。頼ってくれる。俺が彼女の支えとなり、彼女の信頼が俺の自信となる。恥ずかしいからか、友達の前ではツンとした態度を取るのだが、二人になるとふと頬を緩ませ、可愛い顔をしては俺の心をとろけさせる。誰にも羨まれる美人なんて高望みはしない、普段は周りに溶け込んでいるような控え目の容姿だが、よく見ると細い輪郭や目元に言葉に代えがたい愛おしさがある、そんな女の子と出会いたかった! 誰だって思うことだろう! そして、それは夢じゃないはずだ! 堅実に生きている男であれば、大学生活中にひとりそんな女の子と出会えてなんぼ、当たり前の権利だろう! しかし何故だ! 何故俺には女の子が寄って来ない! 何故あんな腑抜けた奴らにばっか群がる! 何故あの子は俺じゃなくあいつに懐く! ふざけるな。これは冒涜だ。世界は間違っている。この大学は間違っている。だから俺たちが正すのだ。この大学をあるべき形へと。貧弱そうな色白の男たちじゃなく、俺たちのような堅実に生きる男がしっかりと評価されるようなキャンパスへ。それが我ら冬枯れの花園の宿命。我々は、この大学を粛正する。同志たちよ、斉唱せよ。爆ぜろリア充!」


 「爆ぜろリア充!!」


 ちょうどエレベーターから降りたタイミングで、謎の男子に続いて周りの男たちも一斉に叫んだ。

 低く掠れた声が重なり合い大音声となって響き渡り、じめじめとしたぬるい風に乗って黒い魔物の大群が通り抜けていった直後のような重い空気で階を数秒間満たした。


 フロアにいた学生たちは、ぽかんと目を丸くしてこちらを見つめた。


 明人に対して救いの手を差し伸べようとした者はいない。

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