【ホラー】神さまのいない日 ~2月29日を守護する神さまはいない。その日地底から人喰い鬼がやってくる~

『この世界にはね、365人の神さまがいて、毎日かわりばんこにサヤたちを守ってくれているんだよ』

『明日はどの神さまが守ってくれるの?』

『2月29日の神さまはいないの。地面の下からこわーい鬼がやってこないように、おうちの中でロウソクをつけてお祈りをしましょうね』



 サヤはロウソクを作りながら、幼いころに祖母に聞いた話を思い出していた。


 一年365日、それぞれの日には守護する神さまがいて、地の底にいるという人喰ひとくい鬼が地上に出てこないよう監視している。ただ、閏年うるうどしの2月29日だけは見張る神さまがいない。そのため家に閉じこもり、薬草を混ぜたロウソクをともして365柱の神さまに祈りを捧げ、守ってもらう。


 前回は周りに言われるままに、眠い目をこすりながら一生懸命お祈りをした。


 だが、サヤはもう十二だ。ロウソクだって一人で作れるし、神さまを「人」ではなく「柱」で数えることも知っている。


 村の年寄りたちは人食い鬼の話を信じているが、親の代になると誰も信じていない。年寄りにつき合って慣習に従っているだけだ。


 二年前に祖母が亡くなり、家の中で信じているのは八歳と五歳の弟の二人だけになった。両親とサヤはこの二人のために準備をしているようなものだ。


 上の弟には言ってしまってもいいようにも思うが、サヤは九歳で知ったので、それよりも早く教えてしまうのは少し悔しかった。


「サヤ、できた?」


 母親は明日の分の食事を作ったり、赤ちゃんやお年寄りのいる家に手伝いに行ったりして忙しくしていた。


「もうちょっと」

「もう、だから早く始めなさいって言ったでしょ。終わったら明日の分の水をくんできてね」

「はーい」




 

 ささやかな夕食を食べたあと、部屋中に置いたロウソクに火をともす。これから明日一日は火がたえることがないよう、ロウソクを換えながらすごすのだ。部屋にはロウソクに混ぜた薬草の匂いがたちこめていた。


 日付が変わるのを待っている間に、下の弟は父親のひざの上で寝てしまった。「お祈りするからぜったい起こしてね」と言っていたから一度は起こすが、きっとまたすぐ眠ってしまうだろう。


 上の弟も父親の隣でこっくりこっくりと舟をこいでいた。


 なんだかそわそわしてきて、サヤは水を飲もう立ち上がった。


 あっ!


 水がめの前まできて、水をくんでいないことを思い出した。母親に言われていたのをすっかり忘れていたのだ。


 慌ててふたを取って中をのぞき込むと、あんじょう量が少ない。明日一日はもたないだろうと思われた。


 日付が変わるまではまだ時間がある。今から行けばまだ間に合うだろう。


 サヤは水がめの横に置いてあるおけをつかんだ。


「わたし、ちょっと水くんでくる!」

「ええ? 行ってなかったの?」

「ごめんっ、忘れてた。まだ間に合うから行ってくるね!」

「暗いからやめなさい」


 サヤが水くみを忘れていたことをとがめる母親と、制止する父親。


「明日の分がないの。今行かないと!」

「そうね、明日行くわけにはいかないし。近所で何を言われるかわからないもの」


 母親は娘が夜中に外出することよりも、世間体せけんていを気にしていた。どの家も雨戸を閉めているはずで、明日の朝くみに行っても誰にも見られることはないのだが、万が一のぞいている者がいたら大変だ。


 サヤは急いで提灯ちょうちんに薬草入りのロウソクを立て、火を移すと家を飛び出した。



 家の外は思ったよりも暗かった。新月で月明りはなく、近隣の家の明かりも漏れてこない。提灯ちょうちんの明かりだけが頼りだった。


 村の共同井戸は少し離れたところにある。


 サヤはひとりで夜に外出するのは初めてではないが、わざわざ外に出る用事は年に幾度もない。普段より闇が濃い道のりは、自然とサヤを早足はやあしにさせた。


 当たり前に何事もなく井戸に着いたときには、なんだかほっとしてしまった。


 サヤは持ってきたおけを井戸の脇に置くと、提灯ちょうちんを屋根のはりについている金具にひっかけ、つるべを落とした。


「あれ?」


 縄を持ち、引いてみると手ごたえがない。いつもなら水でいっぱいになったおけを引き上げるのは重労働なのに。


 最後まで引っ張り上げてみたが、やっぱり何も入っていなかった。


 不思議に思い、恐る恐る井戸の中を見てみるが、真っ暗で何も見えない。


 サヤは提灯ちょうちんを金具からはずし、かかげてのぞき込んだ。しかし、見える範囲に水面はなかった。


 もう一度つるべを落としてみようと思ったとき。


 闇の中に青白く光る点がぱっとたくさん現れた。


 二つずつ並んでいるそれは――目だ。


「ひっ」


 サヤは二、三歩後ずさりして足をもつれさせ、提灯ちょうちんを持ったままその場に尻もちをついた。


『地面の下からこわーい鬼が――』


 思い出の中の祖母の声が頭に浮かぶ。


「鬼なんているわけない……」


 サヤは震える声を出した。


 すると、井戸の中から。



 ひた



 濡れた素足で岩の上を歩いているような音が。


 ひたひた


 何かがのぼって来ている。


「違う……違う……」


 サヤは井戸を凝視していた。


 揺れる提灯ちょうちんの光に淡く照らされて、井戸を作っている四角い石が白く浮かび上がっている。



 びちゃっ



 てらてらと光を反射する黒い手のようなものが、井戸の上部に現れた。


 サヤはいやいやをするように首を振った。


 黒い手がぐっと石をつかみ、ぬっと頭部が現れた。


「ひっ!!」


 手と同じように黒くぬめぬめとした頭だった。毛ははえておらず、カエルやイモリのような肌だ。鼻も耳もなく、青白い目だけがらんらんと光っていた。


 想像していた鬼とは全然違う。だが、まがまがしいものだということはわかった。


 人喰ひとくいオニ。


「いやだ……こないで……」


 サヤは腰が抜けていて立ち上がれない。左手を使い、ずりずりと後ずさった。


 びちゃっ


 オニのもう一方の手が石にかかった。


 のそり、と上半身が出てくる。


 オニの足が井戸にかかり、のそのそと外へとはい出てきた。


 全身ぬめぬめとしたオニは、井戸の前でしゃがんだまま、にぃっと笑った。弧を描いて開いた口の中は、ぽっかりとした闇。


 食べられる――。


 オニは黒い腕を伸ばし、恐怖で動けないサヤの草履ぞうりいた足をつかんだ。ねっとりとしていて、凍えるようにつめたい手だった。


「いやぁっっ!」


 サヤは夢中で足を振り、手をはがそうと反対側の足で蹴る。


 ぬめりのある手はしかし、がっしりとサヤの足首をつかみ、放そうとしない。


 ぐっと足を引っ張られ、オニが顔を近づけてきた。にたにたと三日月の笑いをはりつけたまま。


 汚泥のにおいが鼻をついた。


「やめて!!」


 サヤはオニを遠ざけるようにでたらめに提灯ちょうちんを振り回した。


 中の炎が揺れ、提灯ちょうちんに燃え移った。


 途端――



 ギャッ



 オニが飛びのいた。


 火から顔をかばうように前に腕を持ってきている。


 サヤがロウソクの火を突き出すと、オニが顔をそむけた。


 火が苦手なんだ。


 違う。ロウソクだ。

 薬草入りの、ロウソク。


『おうちの中でロウソクをつけてお祈りをしましょうね』


 サヤの頭の中に、ぱっとお祈りの言葉が浮かんできた。


「神さま神さま。365の神さま。どうかお守りください。閏年じゅんねんのこの日、神さまのいない日、どうかどうかお守りください」


 ギギィ


 サヤがお祈りの言葉を口にすると、オニはサヤの足から手を放し、後ろに下がった。


「神さま神さま。365の神さま。どうかお守りください。閏年じゅんねんのこの日、神さまのいない日、どうかどうかお守りください!」


 本当のお祈りはもっと長く、何度も練習して完璧に言えるようになっていたのに、繰り返されるこの部分しか思い出せない。


 ギィッギギィッ


 オニはサヤの祈りを嫌がるように下がっていく。


 井戸にぶつかり、後ろ向きにはい上がり、そして井戸の中へ。


「神さま神さま。365の神さま。どうか――」


 両手と首から上だけが残り、青白い目がサヤを見つめている。


 サヤはお祈りをしながら立ち上がり、ロウソクを掲げて一歩二歩と後ずさりを始めた。


「あっ!」


 井戸に明かりが届かなくなるまで離れたとき、びゅぅっと強い風が吹き、ぼぅっとロウソクの炎が消えた。


 ぴちゃぴちゃ


 サヤはきびすを返し、提灯ちょうちんだったものを手放して、無我夢中で走り出した。


 何も見えない。前も、地面も、何も。


 ぴちゃぴちゃ


 後ろから追いかけてくる。


 びちゃっ


 ぴちゃぴちゃ


 複数の音が聞こえた。井戸の中にはたくさんの目があった。次々に出てきているのだ。


「神さま神さま! 365の神さま――」


 何度もつまずきそうになりながら、どこへ向かっているのかもわからないまま、サヤは走った。


「……や、サヤ」


 前方から名前を呼ぶ声が聞こえた。小さくともる二つの明かりも。


「神さま神さま――」


 明かりを目指して走りながら、サヤはお祈りを唱え続けた。


「サヤ! どこだ! サヤ!」


 声と明かりはどんどん大きくなっていく。


「お父さん! お母さん!」


 サヤの口から涙声が出ると、ひとつの明かりが掲げられ、もうひとつの明かりが走り寄ってきた。


「サヤ!」

「お母さん!」


 サヤは母親の胸に飛び込んだ。


「どこに行っていたの。探したのよ!」

「お母さん、オニが、オニが来るの。早く帰らなきゃ。早くっ!」


 サラは強く抱きしめる母親をかし、「鬼なんているわけないだろう」と言う父親もせき立て、家路いえじを急いだ。



 


 家に帰ったあと、とっくに日付が変わっていたことを知った。いくらたってもサヤが戻って来ないので、両親は慣習を破って探しに出たのだ。


 サヤが井戸のところにいたのはほんのわずかだ。なのに時間は経過しており、すでに2月29日になっていた。


 両親にオニがいたのだともう一度主張すると、井戸のそばで眠ってしまって夢を見たんだろう、と笑われた。


 夢なんかじゃない。


 サヤの足首には、オニにつかまれた手形がくっきりと残っているのだから。



 その日一日中、サヤは村の誰よりも熱心にお祈りをした。水をくみには行かなかったし、家族の誰も行かせなかった。

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