14
自走トーチカの格納庫へ辿り着くと同時にサイレンが鳴り出す。空襲警報だ。だが、先に〈鴎撃ち〉が出動した様子はない。彼らが撃ち漏らさない限り基地の警報が鳴ることはない。誰かが別の目的で、故意に間違ったタイミングで鳴らしているのかもしれない。
一瞬だけ蘇ったヨリの後ろ姿をわたしは振り払う。感傷に浸る権利は、わたしにはない。
『ここで意識データを統合させてもいいですか?』〈蟹〉のコクピットに滑り込んだわたしに、ニアは言った。『すぐに終わりますので』
「移動中に済ませられなかったの?」
『この姿勢がよかったんです。走ってる最中は危ないので』
彼の言わんとするところが初めは理解できなかった。だが数秒後、わたしは彼の〈気遣い〉を、身を以て知ることとなった。
基盤に残された意識が左眼に吸い上げられた瞬間、全身に激痛が走った。
その痛みがわたしのものではなく、擬似記憶によるものだと知るのは後のことだ。この時は、そんな判断をする冷静さも吹き飛んでいた。
流れ込んでくる、激しい痛み。それは、基盤に留まっていたニアの意識データが味わったものだ。デジタル変換された意識に、同じくデジタル変換された感覚情報を植え付ける。原理的には不可能ではない。むしろ理に適っている。植え付ける感覚が痛みなら、それは立派な拷問になる。
痛みの奥から感情も押し寄せてくる。恐怖。哀しみ。絶望。それらは悪寒となって、痛みを追い掛けるようにわたしの身体を駆け巡る。
やめてください――
声がする。あるいは、わたしが言ったのかもしれない。誰もそんなことは言っていないのかもしれない。ただ、哀願する気持ちは、確かに存在した。
やめて
痛い
やめて
寒い
やめて
怖い 何でも答えるから 同志
やめて
お願い 僕の声を聞いて
やめて――
――
気付けばわたしは、コクピットの中で両腕を抱えている。口の中では奥歯がカチカチと鳴っている。
『大丈夫ですか?』
「君こそ」わたしは声を漏らす。「十四歳が味わうにしては刺激が強すぎる」
『拷問というものは、まあこんなものでしょう』
「単に痛めつけるのが目的だったようにも見える」
『あるいは、そうなのかもしれません。いずれにせよ、意識に苦痛を与える術が長けていることは否定できません』
「軍はずっと前から君たちの正体を知っていた」
『傷つくことはありませんよ、マト三尉』ニアは言う。『軍隊なんて、どこもそんなものです』
わたしは頭を振り、トーチカを起動させる。モニターが点灯し、エンジンが唸り出す。電肢の認証が完了し、捜査権限がわたしの手元へやってくる。
普段はティンカーベルに任せている操作を手動で行う。久しぶりに握るレバーは重い。左眼にメニューを呼び出し、感覚系を調整する。AIが支援不能になった際の非常モードというものがある。
『僕がやりましょうか?』
「いいから君は大人しくしてな」
バルカンでシャッターを吹き飛ばそうとしたが、弾がない。調べてみると、やはり他の武装も残弾はゼロだ。
かくなる上は。
アクセルを踏み込む。金属の拉げる音と共に左から力が掛かり、身体が右方向へのめる。再び左へ引き戻され、首筋に負荷が掛かる。モニターには、形の歪んだシャッターが赤外線映像で映っている。
もう一度、同じことをする。今度は決定的な破壊音が聞こえる。飛んでいったシャッターが遠くにガシャンと落ちる。サイレンとサーチライトに彩られた夜へ、自走トーチカは躍り出る。
格納庫に並ぶ機体を壊しておきたいところだが、時間も労力も余裕はない。これらが追い掛けてこないことを一瞬だけ祈り、格納庫を後にする。目指すは基地の東側。六本の脚でコンクリートを捉えながら、〈蟹〉は横向きで疾駆する。
視界に、外装へのダメージ報告が表示される。カンカンと軽い音が外に聞こえる。手持ちのマシンガンだろう。進行方向右側、機体の正面をトラックが並走している。撃ってきたのは荷台に乗った警備兵だ。空襲警報が偽物であることがバレたようだ。胸の片隅に生じる締め付けるような苦しさを、わたしは意識の奥底へ隠す。
いずれの武装も弾がないので、警告射撃すらできない。もっとも、対空バルカンでトラックを撃とうものなら、彼らは即座に金属片と肉片の山と化すだろう。この自走トーチカが取り得る中で一番穏当な手段は体当たりだ。運にもよるが、受け身の取り方では大怪我で済む。
レバーを前へ傾ける。案の定、トラックは横転し、何度か回転しながら後方の闇へ消えていく。爆発は起こらない。乗っていた兵士たちが再び歩けるかは、彼らの日頃の行い次第だ。
「そういえば」とわたしは言う。「さっき、意識を統合した時、拷問とは違う映像も見えたんだけど」
〈映像〉とは便宜的に名付けたものだ。それは単に観るものではなく、記憶として残るような感覚といった方が近い。
「ノイズみたいに混じっていたあれは、この基地とは別の体験みたいだった。どこか別の施設のような。拷問を受けるのは今回が初めてじゃないの?」
答えはすぐには返ってこない。数秒の空白が置かれた後、ニアは語り出す。
『それは過去の記憶です。あと、拷問ではありません。似たような記憶だから、連動して引き出されたのかもしれません』
「君は自分の国でもあんなことされてたの?」
『意識転送端末を取り付ける手術の時のものでしょう。七歳かそこらの時のことだから、恐怖の度合いは拷問に対するそれと変わらなかったのでしょうね』
「そんな子供が動員されるの?」
『僕の場合は特別なんです。〈特殊〉といった方がいいかもしれませんが』それから、声のトーンがいくらか落ちる。『手術を受けなければ、生存の権利もありませんでした』
「歩けないから」わたしは言う。「今後、歩ける見込みもなくて一般の兵士とは使い物にならないから。だからその意識だけが必要とされた」
『記憶を覗き見したんですか』
「お互い様でしょ」
もっとも、完全に何かを観たというのではなく、得られた断片情報を繋ぎ合わせて推察しただけだ。彼の意識データは遮蔽されているし、下手に触れようとすれば境界が癒着し、わたしの意識と同化しかねない。物理媒体を持たないデータだけの存在というのは、それだけ流動的なものなのだ。
地面を這ってきたサーチライトの光とぶつかる。振り切ろうと試みるが、光の輪は機体を捉えて離さない。わたしは舌打ちする。
『僕に操作させてもらえませんか? 動きは大体わかりましたから』
「ドローンとは違うよ」
『飛んでくる弾に当たるわけにはいかないという点では同じです』
わたしは肩をすぼめる。
「レバーは有効にしておいて。いざと言う時、何もできずに死ぬのはイヤだから」
『ありがとうございます』
機体の操作権がニアに移る。その途端、横向きで進むだけだった〈蟹〉が左右にステップを刻み始める。そうなれば当然コクピットも動くわけで、わたしの身体も前へ後ろへ忙しく揺さぶられることとなる。
『これが走るってことなんですね』ニアは楽しそうに言う。
「生身の人間が乗っているって忘れないでほしいんだけど」三半規管には自信のあるわたしでも、若干の吐き気を覚えてきた。
『すみません、つい』
とは言ったものの、多少控えめになっただけのダンスを続けたニアは、ライトの光を撒き、基地の東端に張り巡らされたフェンスを跳び越えた。
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