13
室内は廊下以上に暗い。その中で一箇所だけ、端末のモニターが点いたままになっている。近付いてみると、黒いウインドウの中で、白い英数字が増え続けている。何かの処理が行われているようだ。
端末の本体から伸びるケーブルを辿っていくと、奥に大きな筐体が見える。左眼の仮想マップを拡大すると、基盤があるとされる位置と合致した。
『見つけた』わたしは頭の中で言い、筐体に手を伸ばす。
突然、目の前で何かが爆ぜる。
いや違う。光が溢れたのだ。真っ白な光が。
目の眩みはすぐに止む。左眼が先に視界を取り戻す。頭上の蛍光灯が灯っている。室内が灯りで満たされている。
背後に人の気配がある。わたしは咄嗟に腰へ手をやる。だがそこには何もない。謹慎中の兵士に武器を持たせるほど、ここの人間たちは平和的ではない。ゆっくりと振り向くと、白衣を纏ったヨリが立っていた。
「引き返してほしかったわ、マト」彼女は悲しそうに眉間に皺を寄せている。「ここまで入ってきてほしくなかった」
「わたしはまんまとあんたの術中に嵌まった」わたしは言う。「そういうこと?」
「分岐点はいくつもあった筈よ」ヨリは白衣のポケットから手を抜こうとして、思いとどまる。身体が煙草を求めたのだとわたしにはわかる。その手が何故出せなかったのか、何を握っているかも想像できる。「あんたの選択を心の底から残念に思うわ」
「選ぶほどの道はなかった」
「気付かなかっただけよ。ずっと海の向こうばかり見ていたから」
釈明しようとして、やめる。たしかに彼女の言う通りだ。代わりに、わたしは問う。
「もしかして、これは最後の選択?」
ヨリは否定も肯定もしない。じっとこちらを見つめてくる。わたしは彼女の視線から逃れるように目を逸らす。それから言う。
「わたしは、本当のことを知りたかっただけなんだ」
「本当のこと?」
「自分が何と戦っているのか。何を撃ち落としているのか」
「知ったからってどうなるの? あんたのすることに変わりはないと思うけど。それとも、相手が人間だとわかったら戦いをやめた?」
「だからあんたたちは本当のことを隠していた」
「隠してはいない」ヨリは言う。「知る必要がないから教えなかっただけ。何も知らない方が幸せだから。この世はそんなことばかりだけど」
「それはわたしにとっての〈幸せ〉じゃない」
「今となってはね」彼女は白衣のポケットから右手を引き抜く。鈍く黒光りする銃口が、わたしの方へ向けられる。「あんたを止められなかったのは、あたしのミスだ」
銃把を包む指は白くて細い。真っ黒な鉄の塊と比べると不釣り合いというより真逆の存在に見える。目を凝らすと、拳銃は小刻みに震えてる。銃の重さによるものなのか、他の原因があるのかはわからない。
「ニア」わたしは言った。頭の中で言ったつもりが、声に出た。「悪いけど、ここまでだ。君を帰すことはできそうにない」
ニアはすぐに返事をしない。あまりの絶望に言葉も出ない、といった沈黙のようには思えないが、根拠はない。
「ニア」ヨリが呟くように言う。それから肩をすぼめ、「それが、その子の本当の名前か」
トリガーに掛かった彼女の指に、力が籠もる。
銃声が耳を突く。二回。
耳鳴り。
視界は見えているのに何も見えない。
何かが焦げたようなにおい。
痛みは、ない。後から湧いてくるといったこともない。手には一滴の血も付いていない。後ろで何かが破裂する。基盤と繋がれていた筐体に穴が空いている。
「〈ネズミ取り〉は黙らせた。それで持って行ける」ヨリが言った。「早くしな。あまり時間はない」
わたしは筐体から基盤を取り出す。いくつものコードが纏わり付く手のように繋がっているが、それらを全て断ち切る。
『基盤は無事です。罠の形跡もありません』
ライターの蓋が閉まる音がする。振り返る前に、煙草のにおいが漂ってくる。こちらに背を向けたヨリから、細い煙が立ち昇っている。
「ヨリ」わたしは彼女の背中に呼び掛ける。「一緒に行かない?」
「行かない」彼女は背中を向けたまま答える。「〈蟹〉は一人乗りでしょ」
「頑張れば二人乗れなくもない」
「そんな状態で国境まで辿り着けるの? 軍は本気であんたを追うよ」
大丈夫、とは口にできない。虚勢を張るには、掛かる代償が大きすぎる。このままここに残る方が、彼女の生存の可能性はいくらか高くなるだろう。ほんの、気持ち程度かもしれないが。
「大事にしなよ、その友達」ヨリは言った。
「ありがとう」わたしは白衣の背中に言った。「その――今までも含めて」
ヨリはヒラヒラと手を振った。やはり最後まで振り向くことはなかった。
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