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 検査を受けた翌日には脳解析の結果が出た。思考に〈鴎撃ち〉特有の鬱傾向が認められるが、兵舎からの脱走および倉庫への侵入の記憶はなし。わたしの無罪が証明された。

 もちろん、これを為し得たのはニアの偽装工作によるものだ。何をどうやったのか、細かいところまでは知らないが、彼はスキャンの眼を誤魔化すため、わたしの脳の一部に膜のようなものを掛けたらしい。

『僕らの国では、皆やっていることです』とニアは言っていた。『少し訓練を積めば、誰でもできるようになります』

『それほど頻繁に脳解析があるの?』

『〈人が何を考えているか〉に敏感な国ですから』

 嫌疑は晴れたものの謹慎自体が解かれたわけではないから、未だ外出は許されていない。こんな状況で兵舎から出ようものなら、その時こそ手に負えない事態が持ち上がることだろう。だが、残る時間はあと一日。それまでに行動を起こす必要がある。

 いずれにせよ、取り得る選択肢は二つ。基盤を探すか、このまま大人しくしているか、だ。

 迷いはなかった。選択肢を並べるより前に、答えは決まっていた気がする。一度決心すると、久しく味わっていなかったような清々しさに包まれた。わたしは決行の夜に備え、熟睡した。

 真偽はどうあれ、ニアの手に入れた情報以外に基盤に辿り着く手掛かりはない。わたしの脳解析を踏み台にされたことも釈然としなかったが、だから彼への協力をやめるという気持ちは不思議と湧いてこなかった。

 彼への哀れみもあるだろう。だがそれ以上に、彼がわたしをどこかへ連れて行ってくれるのではないかという期待もあった。

 彼についていけば――。だが、彼は海の向こうにもわたしの理想とする土地はないと言った。わたしを誘うならいざ知らず、わざわざ希望をくじく必要もない。たぶん、ニアの言葉は嘘ではない。だとしたら、わたしはどこへ行くのだろう?

 こことは別の、どこかへ行けるのだろうか?


 枕元のデジタル時計は、二時二十六分を示している。

 わたしはベッドを抜け、灯りを点けぬまま準備を整える。といって、着替えが済めば終わりだ。纏めなければならないような荷物はない。何かを残していって未練を感じるほど、わたしはここでの生活に馴染んでいなかったのだと今更知る。

 今夜は月が出ていない。何事かを企てるには、むしろこれぐらい暗い方がいい。

 忍び足で廊下を進みながら、念のため位置情報を確認する。基盤の在処までの経路は散々シミュレートしてきたが、考えるのと身体を動かすのとでは、やはり感覚に差異が生じる。思考だけではどうしても、自分に都合の悪い要素を排除しがちだ。

 ニアが基地のシステムに〈潜って〉手に入れた情報では、基盤は基地の北側に位置する研究棟にあるとのことだった。置き場所としては妥当だ。研究棟では情報部が、灯台島などから送られてくる敵軍の情報を日夜分析している。敵機から取り出した基盤にだって、情報を求めるだろう。

 情報部、という言葉から、ヨリの顔が思い浮かぶ。彼女はこのことを知っていたのだろうか。つまり、敵のドローンを制御しているのがAIではないことを。

 何も知らなかったのは、わたしだけ。

 怒りもなければ哀しみもない。仮に彼女が真実をわたしに隠していたとして、それは彼女が職責を全うしたということに過ぎない。ただ、どんな気持ちだったのか知りたいとは思う。単に機械を撃ち落としているつもりになっている同僚を、どういう眼で眺めていたのか。感情抜きで、純粋な好奇心から、知りたいと思う。

 兵舎の外では、監視所から照射されるサーチライトの光の輪が這い回っている。ライフルを抱えた警備の姿も見える。侵入された事実が残っている以上、対策を講じるのは当然か。

 監視の眼を盗み、物陰から物陰へ渡る。それを何度か繰り返し、研究棟の裏手に辿り着く。

 裏口として、簡素なアルミの扉が付いている。しかし、さすがに情報を扱う場所とあってか、ドアノブの上には番号キーが九つ並んでいる。ニアが四桁の数字を口にする。わたしはその通りにキーを押す。

『待ってください』確定キーを押そうとするわたしに、ニアは言った。『解錠したら、メインシステムに通知が行きます。ここから先は、本当に後戻りができませんよ?』

「今更迷うことなんてない」わたしは親指で確定キーを押し込んだ。

 ビービーと警報が鳴り響くことも覚悟していたが、扉の向こうで鍵の回る音がしただけだった。ノブを回すと、アルミの扉は奥へと開いた。

 建物の中に人の気配はない。緑色の非常灯と、赤い消火栓の光だけがリノリウムの床を照らしている。一切の物音はない。どれだけ足の裏に神経を集中させても、どれだけ息を殺しても、それが建物中に響き渡っている気がする。

 目的の部屋は二階にある。階段を上がり、左眼に映した仮想マップを頼りに進む。未だ、裏口の解錠を聞きつけた警備がやって来る気配はない。それはニアのお墨付きだ。

 だからこそ、違和感がある。

『何か様子がおかしいですね』ニアも同じことを考えていたらしい。『スムーズに行き過ぎている』

『警備が――薄いのかもしれない――研究棟なのに』

『やっぱり罠だったのでしょうか』

『ここまで来たらもう遅い――〈虎穴に入らずんば虎児を得ず〉』

『何ですか、それ?』

『行動を起こさなければ何も変わらないという意味の慣用句』

『初めてあなたの口からポジティブな言葉が出ましたね』

『うるさい』

 廊下の突き当たりに、目指す扉はあった。〈第一研究室〉と書かれたプレートが掲げられている。本来ならID認証が必要らしいが、そのロックは解除されている。いよいよ罠のにおいが強くなる。扉はまさしく、虎穴のように思えてくる。

 それでもわたしは、中へ入る。

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