10

 基盤の奪還はさておき、少年を肉体へ返すことについては壊れたドローンそのものを国境近くまで運んでいく必要があると思っていた。しかし、実際はもっとコンパクトな話で、機体そのものは必要なく、そこに残った彼の意識の残滓を掻き集め、別の容器に入れて持ち運べばいいだけだった。

 問題は、その容器が何か、というところにあった。

『基盤に入っていた分も含め、あなたの電肢デバイスのストレージに余裕を持って収まる量です』と、少年は言った。『さすが、そちらの国の官給品だ』

「いや、待って。わたしの左眼に君が入ってくるということ?」

『外部記憶媒体を持ち歩くより安全だと思いますが』

「君に脳をクラックされる危険性が解決できてない」

『僕に身体を乗っ取られると?』

「君が傷ついた少年を演じている高度なAIだという可能性も否定はできない」

 少年の声が笑う。

『安心してください。僕がAIだったら、対話帯域に切り替えられた時点でクラッキングを試みてます。それに、よしんばあなたの脳を制圧できたからといって、僕にはあなたの身体をほんの数歩も動かすことはできません。僕は歩き方を知らないから』

 こちらが言葉の意味を理解する前に、彼は時間がないと急かしてきた。

『あなたと同じように僕の〈声〉を聞きつけた人が来るかもしれません。早くあなたの中へ入れてください』

「妙な言い方をするんじゃない」

 視界に、外部からのデータアクセスを示す表示が現れる。受信許可を出すと、ストレージに大量のデータが流れ込んでくる。一人の人間の意識丸々が、わたしの左眼に宿る。

『感覚系には触れませんのでどうぞご安心を。もちろん、視覚を覗くこともしません』

「そうしてもらえると助かる」わたしは倉庫の出口へ向かいながら言う。「ちなみに、わたしとしても君にそう長居はさせられない事情がある」

『何でしょう?』

「謹慎が解ければ、そこに小うるさい監視者が帰ってくる」

『残り時間はどれぐらいですか?』

「あと三日」

『でもあなたは謹慎中』

「呼ぶ相手を間違えたと思う?」

『いいえ、そんなことはありません』少年は言った。『むしろ来てくれたのがあなたでよかったと思います』

 わたしは鼻を鳴らす。

 ガラスの割れた扉を開け、外へ出る。わざと開けたままにして、その場を立ち去る。

 満月が雲に隠れようとしていた。わたしは闇に紛れるようにして、足を忍ばせながら兵舎へ戻った。翌朝の騒ぎは、ベッドの中で耳にした。


 賊は通用口のガラスを破り、扉内側の鍵を開けて第三倉庫へ侵入。庫内に荒らされた形跡はなく(もともと整理されているような場所ではなかった)、何かが盗まれたわけでもなかった。ここには鹵獲した敵戦闘ドローン〈鴎〉が安置されていたが、それについても目立った変化は見られなかった。

 被害なし。だが〈何もない〉ということが、返って軍上層部の不信感を煽った。何も盗られておらず、ドローンの安置場所に侵入が為されたすれば、これはむしろ、犯人の目的が盗みではないということになる。そういう動機で怪しい人間を探すと、線上にはわたしが現れる。

 まあ、仕方ない。わたしは再び、制服士官たちによる審問の場に引きずり出された。

 銀縁眼鏡に口髭と、面子は変わらず座る位置も同じだった。しかし、彼らは前にも増してよそよそしかった。わたしに向けられる眼は、同じ組織に属する部下に対するものではなく、敵の捕虜に向けられるそれに近いのかもしれない。もっとも、そうした彼らの態度を批難する立場にわたしはいない。わたしは確かに倉庫へ侵入したし、左眼には敵兵士の意識を宿しているのだから。

「話を聞くに、君にはアリバイというものがない」事務的な問いを一通り終えたところで銀縁が言った。「そして動機は充分にある」

「みんなが寝静まっている真夜中に、どうやってアリバイを作れと言うのでしょうか」

「丁度、電肢の支援AIも切られていた」今度は口髭が言った。

「そう判断したのはそちらです」

「これはいささか困ったことになった。証言だけでは、君への疑いを晴らすことができない」そう言って、銀縁が口髭を見た。

 口髭は腕組みしたまま目を瞑る。眠った、というわけではないだろう。

 賽がわたしの手元に転がって来たのだとわかる。彼らはわたしが投げるのを待っている。自分たちにはその権利がないからだ。末端とはいえ、ここは一応法治国家の領土内だ。基本的人権は憲法によって尊重されており、それを簡単に踏み越えることは彼らとて躊躇するところなのだ。もし万が一、何かの弾みでそれが世間に露呈した場合に、負うことになる厄介を考えれば、彼ら自身の言葉でわたしを動かすわけにはいかないのだ。彼らにできるのは、その言葉をわたしの口から吐き出させるために重圧を加えることぐらいだ。

 そうした魂胆を承知の上で、わたしは相手の策に乗る。いかにも重圧に負けたという感じで、相手の懐に滑り込む。

「わかりました。そこまで疑われるのなら、わたしの脳を解析してください」

 二人は表情を崩さない。だが、そこには確かに〈安堵〉や〈喜び〉といった類いの感情が俄に生じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る