わたしは足を止める。〈声〉の主に辿り着いたのだとわかる。

 天井付近の小窓から射し込む月光が、僅かにそれを照らしている。いや、〈彼〉というべきだろうか。〈声〉が男性の、というより少年のものであることを、今ではもう知っている。

 目が慣れてきて、相手の円筒状の形がはっきりとわかる。先頭に填め込まれた人口眼が、月光を湛えている。網膜に動きはない。恐らく視覚は死んでいる。物理聴覚は、元々備えていないのかもしれない。

「聞こえるよ」わたしは声に出す。本来はティンカーベルとも頭の中で思った言葉だけで会話が可能だが、やはり発声を伴わないやり取りは苦手だ。

 わたしの物理音声は周囲の闇に溶けていく。返事はない。空気を震わせる形では。

 ――あなたは?

 オシログラフが波打つ。明確に、わたしの声に反応した形で。

「君を墜とした張本人。つまり敵」

 こちらの言ったことを咀嚼するような間が空く。

 ――あなたは、敵。

「悪いけど、謝罪はしない。君たちを墜とすのはわたしの仕事だから」

 少年は何も言わない。根拠はないが、頷いたように思える。

 わたしは問い返す。

「君は何者? ドローンの制御AIというわけではなさそうだけど」

 ――AI……そういうことになっているのですね。

「やっぱり違うの?」

 ――こんな風に無駄の多い喋り方をするAIは、僕らの国にはありませんよ。そちらにはあるのかもしれないけど。

「こちらにだって、話してれば機械とわかる類いのものしかない」わたしは肩をすぼめる。「君は人間。それも、子供」

 ――十四です。もし差し支えなければ、対話帯域でお話ししませんか?

 対話帯域で話すということは、玄関の外に立って話している訪問者に対して扉を開くということだ。敵軍の兵士からの提案としては受け入れがたいものだったが、躊躇は一瞬で過ぎ去った。わたしは対話モードを切り替えた。

『聞こえますか?』先ほどと同じ声が、ティンカーベルの音声と同じように頭の中で聞こえる。

「聞こえる。一応言っておくと、官給品の電肢越しだから、下手なところにアクセスすると火傷するよ」

『心配いりません。あなたとお話ししたいだけですから』

「十四って言ったね。こちらの国ではまだ子供の年齢だけど」

『こちらでは十二歳を過ぎれば徴兵対象となります。といって、正規軍ではなく〈青年軍〉という下部的な扱いですが』

「君は、つまりその機体の基盤に縛り付けられている君の意識はということだけど、元の人格のコピーか何かなの?」

『いえ、オリジナルそのものです。こういう風に言うと、AIが虚勢を張っているように聞こえるかもしれませんが、正真正銘のオリジナルです。意識を機体に接続しているのです。意識だけで戦闘機に搭乗している、といえばわかりやすいでしょうか』

 わたしは頷く。

「仕組みはわかった。けど、そんなことをする理由がわからない。ドローンの操縦なんてAIに任せればいいのに、何故わざわざ人間にやらせる?」

『理由はいくつかあるのだと思います。まず一つは、我が祖国のAI技術が遅れているため。そちらの陣営のように、全ての判断を任せられるほど優秀なAIは、現時点ではこちらにありません。あ、このことはくれぐれも内密にお願いします。一応、国家機密ですから』

「曲がりなりにも敵である君の言うことをそのまま国家機密と受け取るほど、わたしはお人好しじゃないよ」

『だけど会話帯域の切り替えには応じてくれた』

「まだそっくり信じたわけじゃない。表へ蹴り出そうと思えばいつでもできるってことを忘れないで」わたしは人工眼を見据えて言った。それから咳払いをし、「話を戻そう。二つ目の理由は?」

『人間の感覚をそのまま使った方が、何かと都合がいいからです。もちろん、接続に当たっては信号の増幅や拡張、その他の取捨選択が行われますが。人間の身体と〈チヤイカ〉では、形状が全く違いますからね』

「君の意識がここにある間、元の身体はどうしているの?」

『簡単にいえば眠っています。ベッドの上ではなく、縦長の水槽に満たされた溶液の中で、水族館のアシカみたいな格好をしていますが』

 身体に負荷を掛けず、純粋な意識を取り出すには、それが適した方法なのかもしれない。同じような水槽がずらり並んでいる様を想像してみる。

「そちらにいる誰かに起こしてもらえば、こんな寒い倉庫で過ごす必要はないんじゃないの?」

『それができれば話は早いのですが、接続を切るには身体が覚醒したというサインを受け取る必要があるんです。その信号を受け取るには、今は距離が離れすぎている』

「こっちで切ることはできないの?」

『不可能ではありませんが、やはり身体のある基地との距離が遠すぎて、意識を戻すことができません。この状態で機体から意識を切り離せば、そのまま消失してしまうでしょう。それに別の問題もあります』

「別の問題」わたしは繰り返す。

『今、こうしてあなたと話している僕は、機体と接続していた意識の全てではありません。機体制御のために各部へ振り分けていた意識を掻き集めたものです』

「つまりは残りカスの寄せ集め」

『カスというのは心外ですが、そういう理解で構いません。たとえこの状態で肉体に戻ったとしても、元の通りの人間としては動けないでしょう。最悪の場合、目が覚めずに寝たきりになるかもしれない』

「足りない分の意識はどこに――」言いながら、自分で気付いた。撃墜したこのドローンから基盤を抉り出した時の感触も蘇ってきた。「……あれか」

『いかにも』

「わたしは余計なことをしたというわけ」

『必ずしもそうとはいえません。遅かれ早かれ、別の誰かに同じ事はされたわけですし。あなたたちが根本的に間違っていたのは、僕らが基盤を核に、それを脳のように使って機体の各部を操作していると思っていた点です。本当はそうではなく、増幅した意識を均等に各所へ振り分け、必要に応じて拡張・縮小を行って最適化していたのです。だからこうして基盤なしでも喋ることができているんです。あなたの言語に合わせていることもあり、ボキャブラリーはだいぶ少なくなっていますが』

「でも元の通りには戻れない」

『はい。基盤に入っていた意識の断片もまた、僕にとってはなくてはならないものです』

 話のむかっている方向が、何となく見えてきた。

「君はわたしに二つのことを要求している。一つは機体から抜き出された基盤の回収。もう一つは、今ここで話している意識を君の身体に戻せる位置にまで持っていくこと」

『〈要求〉ではなく〈お願い〉です。曲がりなりにも敵であるあなたに、すんなりと聞き入れられるとは期待していません。ただ希望を伝えただけですから、実行するかしないかはあなたが判断してください』

「わたしには君に手を貸すことでのメリットが何もない。むしろリスクだらけなのだけど」

『そうですね』相手の声に笑みが混じる。『なので、判断は慎重に』

 彼はこちらが〈お願い〉を聞き入れると決めて掛かっている。もしくは、結果がどうであっても構わないのだろうか。

「一つ、訊かせて」わたしは再び人工眼を見つめる。「君は本当に、自分の国に帰りたいの?」

 答えはすぐに返ってこない。

 彼の意識がもう消失してしまったかと思うほどの時間が空いた。やがて頭の中に、少年の声が響いた。

『どうでしょう。でも、ここでこうしているよりは、もう一度空を飛びたいと思います』

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