頭の中でアラームが鳴る。

 わたしは我に返る。闇の中でぼんやりと光る計器類。

『三尉、出撃命令です』ティンカーベルが言う。

「場所は?」

『F66―404957です』

 タッチパネルを叩き、座標を特定する。尻の下でアクチュエータが唸る。わたしの身体を前後に大きく揺すった後、〈蟹〉は移動を始める。

『灯台島の観測によると、敵影は二。どちらも〈鴎〉です。便宜識別コード〈甲〉〈乙〉を付与します』

 先日、ヨリに言われたことを思い出す。もう一機いたら、抜かれていたかもしれない。

「敵機の飛行動勢のトレースを灯台島に要請。観測結果を過去データと照合し、三日前に撃墜した機と一致もしくは近似したものを検索」

『要請完了、観測結果受信。検索を開始します』二秒ほどの間が空く。『〈甲〉に近似傾向を確認しました。〈乙〉は過去に観測データがありません』

「主目標を〈甲〉に固定」

『提言。最終防衛ラインを突破される危険性があります』

「〈乙〉は囮の可能性が高い。〈甲〉を墜とせば撤退する。心配だったら誰かに支援を要請。ただし、わたしのいるエリアには入れさせないで」

『条件付き支援要請を送信――受理されました』

 わたしの乗った〈蟹〉は指定した海岸に到着する。バレルを固定し、迷彩を展開する。視覚をカメラと同期しようとしたところで、作業が止まる。

 声が、聞こえた。

 何を言われたかはわからない。そもそも声であったかすらも定かではない。

「何か言った?」わたしはティンカーベルに問う。

『私は直近三十秒以内に何も発言していません』

「外部からの通信は?」

『直近三十秒以内に受信した形跡はありません』

「灯台島からも?」

『はい』

 わたしは左眼を掌で覆う。眼底が疼くような気がする。だがそれも〈気がする〉というだけで、実体は掴めない。さっきの〈声〉と同じように。

『ノルアドレナリン低下を検知。更なる低下は任務遂行に支障をきたします。補正剤を摂取してください』

「問題ない。少し考え事をしていただけ」

『当事案は懸案事項としてログに記録されます』

「勝手にして。視覚同期開始」

 わたしの眼が〈蟹〉の人工眼に変わる。望遠倍率を最大まで上げると、灯台島から右にずらしたところに黒い点が二つ浮かんでいるのが見える。

「敵機視認」

『攻撃可能距離まで残り五十五』

 敵が海岸線まで飛んでくるのを待つ。その前にティンカーベルの声が続く。

『攻撃可能距離に到達』

「もう少し」海の上に墜としたところで意味はない――個人的な理由だが。

『敵機、最終防衛ラインに接近しています』

「集中が乱れる。黙れ」

 敵影が大きくなってくる。海岸線との相対距離の目盛が見る見る減ってくる。わたしはそのカウントが0になるのを待つ。

 ターゲットサイトが前方を飛ぶ一機を捉える。

 息を吸う。呼吸を止める。

 相対距離が0になる。

 銃口を後方の〈乙〉へ向けると、ターゲットサイトを振り切ることができた。ロックオンまでの演算が追い付かない。わたしはトリガーを引く。

 機体前部への弾着。真っ直ぐに飛んでいた機体が空中でフラフラと体勢を崩し、高度を落としていく。その姿を目で追い、おおよその墜落地点を確かめる。

 耳の内側で忙しいアラートが鳴る。敵のロックオンを受けている合図だ。

 見ると、最初に狙っていた機体が向きを変え、こちらに迫っている。対空装備のバルカンを向ける前に、相手の機銃が砂を巻き上げながら〈蟹〉の外装に当たる。脚を一本やられる。だが、嘆くほどのことではない。

『救援を要請します』

「しなくていい」わたしは遮る。それから、敵機が墜落した地点を確かめる。黒く細い煙が、氷の上で立ち昇っている。海岸からそう遠くはないが近くもない。回収班が来る前に辿り着くには、早々にもう一羽をどうにかしなければならない。

『第二波、来ます』

 再びの機銃掃射。鉄を穿つ音。鉄の拉げる音。ブラックアウト。

『メインカメラ喪失。左第二脚も被弾。機体稼働率六十パーセントに低下』

 わたしは己の視覚を取り戻す。電肢の左眼にはノイズが混じっているが、肉眼の右眼には問題ない。ハッチを開く。

『危険です、三尉』ティンカーベルが言う。

「このまま蜂の巣にされるつもりはない」

 目視で飛び回る敵影を追う。円筒状のドローンは曇天の中で旋回を続けている。突如露出した相手の致命的弱点――つまりわたしに狙いを定めたことは、電肢を使わずともわかる。

〈鴎〉が正面に来る。わたしは無反動砲の砲口を向ける。

 眼が合った。相手の機体前方に取り付けられたモノアイが、その人工網膜の動きまで見えるようだった。

 無人兵器と――自動殺人機械と相対しているという感覚は、不思議とない。

 まるで誰かと向き合っているような感じだ。根拠はない。だが、ぶつかってきた視線には体温が感じられた。

 隙が生じた、と自覚した時には既に、機銃の銃口が暗さのわかる距離にあった。〈現実〉という防波堤に打ち寄せていた〈死〉の波が、僅かだが堤防を越えた。わたしの中で時間が停まった。というより、時間という概念がなくなった。

 何もかもが、消えた。

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