3
夜の突堤からは灯台島の灯がよく見える。
灯といっても、灯台が本来持っている船舶へ向けた光ではない。確かに〈灯台島〉にはかつて機能していた建造物としての灯台が今も存在するが、事変勃発の直後に無人のレーダー施設へ改修されている。灯台島より更に沖合に設定された防空ラインを常に監視するこの施設は、夜になるとその存在を海峡の両側に示すため赤色灯を点灯させる。それは、敵にとっては抑止力となり、味方にとっては監視の眼が健在である証になる。万一この施設が破壊された時は、敵の本格的な侵攻が始まったことの目安にできる。
距離感も死ぬような暗闇の中で、赤色灯は一定の間隔で瞬いている。今日も監視の眼は健在で、敵の侵攻もないということだ。
「マト」ヨリの声がする。「またこんなところにそんな格好で。風邪ひくよ?」
解析部の彼女は万全の防寒対策をしている。一方わたしは、仕事着のジャケットを羽織っただけでマフラーも帽子もない。動きやすさを重視するとこうなるのだが、外勤者の慣れだろうか、特に寒さは感じない。
「あんた、また墜としたドローンに近付こうとしたんだって? 問題になってるよ」彼女はコートのポケットから煙草のパックを出し、一本抜き取る。
「自分の獲物を自分の目で確かめたいだけ」わたしは言う。
ヨリは煙草を咥えて火を点ける。吐き出された糸のような煙が、海風に溶けていく。
「余計なことしてると仕事なくすよ。好きなんでしょ、〈鴎撃ち〉?」
肯定も否定もしない。彼女に、ドローンへの弾着の際に聞いた〈声〉について訊ねたいとも思ったが、やめておく。代わりに当たり障りのない質問をする。
「解析、どうだった?」
「ダメ。AI周りはメモリまで完全にデリートされてる」
「一撃で仕留めたはずだったけど」
「映像見たけど、あれは相手の方が一枚上手だよ。あんたの姿に気付いて機体を切り返し、時間を稼いでる」
「わたしは撃たされた」
ヨリはもう一口吸い、
「引き際のよさを見る限り、かなりの手練れね。もう一機連れてきてたら、あんただって抜かれてたかもしれない」
「わたしは抜かれない」
「頼もしい」彼女は肩をすぼめる。「ところで例の噂、聞いた?」
噂? 思い当たる節がない。巷間の噂が入ってくるとしたら、ヨリの口を通じてだ。わたしが基地内で雑談を交わす相手など、彼女ぐらいしかいない。
「向こう岸が騒がしくなってる」
「侵攻?」
ヨリは小さく頷く。
「本省のAIもレベル4の判定を出してる。近いうちに5になるのは確実ね」
「最近、基地の中がうるさいのはそのためか」
「貴重な援軍をうるさいとは」
「ここの美点は静かなこと。それだけ」
「静けさに慣れすぎたのよ、あんたは」彼女は携帯灰皿に煙草を押し付ける。「自分の声ばかり聞いてると、どんどん他人への免疫なくすよ?」
「一生他人と交わらないのなら、それでいい」
「そんな人生あるわけないでしょうが。あんた、死ぬまで〈鴎撃ち〉やるつもり?」
「叶うことなら」
「やれやれ」ヨリは首を振り、「着々と仕事をこなしてれば、そのうち事務方に回されるわよ。抜かれたら抜かれたで、そこでキャリアは終わり」
「もう一つ、可能性がある」
「何よ」
「〈蟹〉ごと木っ端微塵になる」
「冗談のつもり?」
「本気のつもり」
「怒るよ?」
わたしは黙る。
ヨリは溜息をつき、わたしの肩を小突いてくる。
「バカなこと考えてないで、さっさと寝なさい。風邪引く前に」
彼女は積もった雪に足跡を残し、去って行く。
わたしも踵を返し、水平線に背を向ける。
誰かに呼ばれた気がする。
振り返る。しかし――いや当然、誰の姿もない。真っ黒な闇の中で、灯台島の灯りが明滅しているだけだ。
赤色灯が三回灯るのを見つめてから、わたしは兵舎へ歩き出す。
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