5.


「なぁ、夕美。そんなにむくれるなよ」


「怒るわよ。だって、私。脅されているのよ」


「……。」


 夕美と志郎は並んで学校から駅とは反対側に行く坂道を下っていた。志郎は籠に二人分の鞄をのせて、自転車を押している。夕美はいつも徒歩通学。二十分ほど歩いたマンションに住んでいた。一応、そこに向かっている。


「なあ、寄り道しないか?」


 志郎は夕美の返事も聞かずに、角を曲がる。そっちは海の方だ。付き合っていたときは、帰り道に寄るのが定番のデートコースだった。


(あれから、行かなかったのに)


 夕美は、少し脅してまで一緒にいようとするのは、きっと大切な話があるのだろうと思った。志郎が紘道先輩のことを聞き出すことだけに、夕美を呼び出したとは思えない。夕美は文句も言わず、志郎の後に続いた。


 久しぶりに来た浜辺は、穏やかだった。砂浜はあまり大きくないが、水平線はどこまでも続き、太陽がオレンジ色に光だしていた。学生はいない。犬を連れて散歩している人が夕美たちの後ろを通っていった。


 自転車を砂浜に停めて、志郎は砂浜を歩き出す。夕美はその横を歩いた。ローファーで歩きにくかったが、裸足になろうとは思わなかった。


「で、何の用なの?」


「用って言うか、聞きたいことがある。いまさらなんだけどさ。俺は……、どうして夕美に振られたんだ?」


 夕美は志郎の顔を見る。その顔は夕美が別れようと言ったときと同じ、苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。


「……キス、嫌だったのか?」


 夕美は口を開こうとして止めた。代わりに首を横に振る。


 志郎はやはり気づいていなかったのだと思った。


 三年前のあの日、夕美は日直だった。志郎が終わるのを待っているというので、急いで日誌を職員室に持って行き、教室に戻ってきた。教室のドアに手をかけると、中で志郎の笑い声がする。友達と一緒のようだった。


『それで、篠原とはどうなんだよ、志郎?』


 自分の話をしていると思って、夕美はドアの隙間からそっと中を覗いた。夕陽が差し込む教室で、志郎を含めた三人の男子が行儀悪く机に腰を下ろしている。


『どうって、どうもこうも』


『どうもこうもって、お前たち付き合っているんだろ?』


 夕美はハッとした。夕美は志郎に付き合っていることを周りに秘密にしようと言っていた。だけど、志郎たちの会話を聞いている限り、秘密とはとても思えない。中を見ると、志郎は口元に手を当てて、目を泳がせている。やがて言う。


『実は、昨日、キスした』


 そんなと夕美は思った。秘密を話しているだけでなく、そんなことまで言うなんて。夕美は自分の胸がズキンと痛むのをはっきりと感じた。


 にやけた顔で志郎は続ける。


『昨日の放課後、浜辺でしていいかって言ったら、頷いたからしたんだ』


『えー、付き合って一か月だろ! 篠原って案外、ちょろいんだな』


 ショックだった。これ以上は聞いていられなかった。夕美は踵を返して走り出す。胸が痛くてしょうがなかった。そのとき、誰かにぶつかる。


『ごめ……』


『篠原さん? どうしたの。……泣いているの?』


 同じクラスの野々花だった。泣いていると聞かれて、目元を拭うと指に水滴がつく。


『だいじょ……』


 虚勢を張ろうとするが、声はかすれて出ないし、涙は止まらない。そこに、蝶の刺繍がされたハンカチが差し出される。


『廊下じゃ、落ち着かないよね。どこか、落ち着くところに行こう』


 落ち着くところと言われて、真っ先に思い付いたのが図書室だ。


『図書室、行きたい……』


『うん。それじゃ、行こう』


 野々花が夕美の片手を握って引く。隣にいる野々花は図書室に行っても、何も聞かず、ただそばにいてくれた。それ以来、野々花とはよく一緒にいるようになった。

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