3.
次の日。前の日と違い、いつもの丸テーブルの席が空いていた。夕美が食堂で注文したナポリタンを持って席に着くと、野々花が興奮したように口を開く。
「みんな、聞いて、聞いて! 昨日ね。バイトですごいことがあったの!」
「なんですか!? パン屋さんですごいことというと、有名な方がお買い物に来たとかですか?」
「レイアちゃん、惜しい! あのね! 先輩がお買い物に来てね」
「なんだ。いつものことじゃない」
「もうっ、最後まで聞いて、光ちゃん。それでね! 先輩がお会計するときに、自分の名前は紘道ですって言って帰ったの!」
夕美は口を開けていたのに、ナポリタンを運ぶフォークの手を止めた。
「それは……、すごいことだわ」
「いきなりどうしたのですかね、カツサンド先輩」
レイアが首を捻るが、夕美には心当たりがあった。
(カツサンド先輩って呼ばれるのが嫌で、あの後すぐに行動に出たんだ)
それにしても、名乗り方がかなり強引だ。嬉しそうに頬を緩ませている野々花に、夕美は図書室の一件は水を差すから言わなくてもいいかと思う。
「そのとき、他にお客さんとか、店員さんはいた?」
夕美は気になって野々花に聞いてみる。
「うん。いたよ。おばあちゃんのお客さんが一人と頼子さん」
(それは、それは)
きっとその二人は今の夕美たちと似たような何とも言えない表情をして、微笑ましく見守っていたのだろう。
「あ。カツサンド先輩改め、紘道先輩がいるよ」
光が野々花の肩を叩いて、目配せをする。そこには食堂のトレイを持った紘道先輩が友達と席を探して歩いていた。
「本当だ。紘道先ぱーい」
野々花はいつものように小さく手を振った。紘道先輩も小さく振り返す。そして、夕美の方を見て、少し苦笑いをした。たぶん自分が話題に上がっていることが分かっているのだろう。そのまま、少し離れた席に座った。
「お名前が分かったのですから、次は連絡先ですね」
レイアがニコニコして野々花の顔を見ながら言う。それを聞いた途端、野々花はにこやかだった顔をこわばらせる。
「で、でも特別用事もないのに聞くなんて……」
「理由はなんでもいいじゃない。それこそ、紘道先輩が名乗ってきたときみたいに強引に聞いちゃってもいいと思う」
「確かに」
夕美は光の言うことに頷いた。お互いに気になる存在には間違いない。いまさら恥ずかしがったって、周りにはバレバレだ。
「でもさ、でもさ。連絡先聞いちゃったら、それから大変じゃない?」
「「「大変?」」ですか?」
たかが連絡先だ。スマホの中に入っていて、知っていても腐るものではない。野々花はラップに包んだおにぎりを両手で持って、もじもじと語りだした。
「もし。もしだよ。紘道先輩から連絡先を聞いたら、いつでも連絡できるようになるじゃない」
うんと夕美たちは相槌を打つ。
「そしたら、そしたら! いつ先輩から連絡が来るかなーとか、私から連絡した方がいいのかなーとか、でも迷惑かなーとか思っちゃって、バイトとか勉強とか手につかなくなっちゃうと思うの!」
豪語した野々花は自分が何を言っているのか分かっているのだろう。顔が真っ赤だ。
「そんなに気にするものじゃないんじゃない? 野々花が送りたいときに送れば。先輩だって好きなときに連絡してくるだろうし」
サバサバした光は、そう言うけれど。
「いやでも、確かに野々花って何かに気をとられると、すぐに他がおろそかになっちゃうよね。中学のときもテストが散々な結果で、私、勉強に付き合わされたし」
「中学のとき、ってなんです? 今回が野々花ちゃんの初ロマンスじゃないんですか!?」
些細な夕美の発言に、レイアが食いついてきた。
「あー、野々花の初恋の話なんだけどね」
「夕美ちゃん、そんな昔のこと!」
昔の話をしたのが悪かったのかもしれない。そこに、夕美にとって招かれざる客がやってきた。
「篠原」
後ろから声をかけられる。篠原は夕美の苗字だ。呼ばれたと思って振り返ると、そこには一人の男子生徒が立っていた。
(げっ)
夕美は心の声をなんとか表情に出すことを踏みとどまった。短髪の男子生徒は少し切れ長な目を細めて笑っている。
「あれ? 田川くん。久しぶりだね」
そう言ったのは野々花だ。夕美と野々花、田川志郎は中学二年生のとき、同じクラスだった。
「伊藤、久しぶり。ずっと同じクラスにならないな」
「しょうがないよ。十クラスあるんだもん。それより、夕美ちゃんに用だった?」
野々花が気を利かせて、話を振る。
(……いったい、なんの用があるっていうの)
夕美と志郎に接点はない。クラスも違えば、夕美は部活をしていないし、委員会だって同じになることはない。
「大したことじゃないんだ。ただ、篠原と二人で話がしたいと思って。放課後、中庭で待っているから」
それだけ言うと、志郎は去って行く。その後ろ姿を四人で見送っていたが、他の生徒の影に隠れると野々花たちが次々に口を開いた。
「これって、これって呼び出しだよね」
「間違いないね」
「放課後、中庭で二人きりで話すこと。これは、あれしかありませんよ!」
夕美以外が色めき出っている。だけど、レイアが言うあれではないことは、夕美には分かっていた。
(いまさら話なんてないはずなのに)
夕美は険しくなっている表情を誤魔化すように、最後のナポリタンをフォークに巻いて口に運んだ。
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