しょっぱい夕陽:夕美

1.


 夕美は食堂までの渡り廊下を一人歩いていた。


 右手には赤いギンガムチェックの巾着袋をぶら下げている。中身はお弁当箱。この日は水曜日で、お弁当の日。夕美の母が毎日は作るのは大変だからと、火曜日と木曜日は食堂で食べることになっている。青華学園の食堂はメニューも充実しているし、毎日でもいいよと言ってみたけれど、それはお金がかかるからダメだと言われた。


 ふと、前からやってきた人たちに視線を奪われる。知っている人物ではなかった。男女で、恋人同士だ。その証拠に手をつないでいた。


 ただ手をつなぐにも種類がある。単に手を合わせているだけか、親が手を引くようにつないでいるか、指を絡ませているかなど。


 目の前の二人は二の腕が触れ合うほど、近い距離で歩いていた。顔も寄せ合って話していて、親密そうだ。青華学園は別に男女交際禁止というわけではない。ただ単純に目のやり場に困る。すれ違う人たちは、どことなく気まずそうにしていた。


 夕美も何となく視線を渡り廊下の外にずらした。


「あ、ひこうき雲」


 初夏を感じさせる青い空に、まっすぐな白い線が一本だけ描かれていた。




「夕美、こっちこっち!」


 食堂のいつもの席に行こうとしたら、途中で呼び止められた。友人の光が、いつもとは別の席で手招きしている。野々花とレイアもいる。三人ともいつもは窓際の丸テーブルなのに、この日は調理場に近い四角テーブル席に座っていた。


「今日はどうしたの?」


 夕美は空いている野々花の隣の席に座る。


「それがね。いつもの席が空いていなかったの」


「へぇ」


 食堂は広い。席はいくらでもあるから、近くの席も空いていないなんてこと、これまではなかった。


「一年生がそろそろ慣れてきて、教室から移動して来たのかもね。最初は遠慮するから」


 夕美たちが通う青華学園は中高一貫校。中学の頃から通っていたけれど、食堂は高校生のたまり場というイメージで中々足が運ばなかった。お弁当がない日は、購買部のパンを買っていた。


 それが、高校一年生になれば食堂は解禁。という、暗黙のルールがある。けれど、すぐには来られなくて、野々花の言う通り、慣れるのには一か月ぐらいかかった。


「そうですか? 私は最初から遠慮なく来ていましたけれど」


「レイアちゃんは、高校編入組だもんね。中学生のときには、同じ学校でも高校生の人たちはすごーく大人に見えたよ」


 野々花が目の前のレイアに言う。


「だけど、あの頃思っていた大人な高校生って感じじゃないな、私。その点、夕美は中学生が憧れる大人な高校生って感じかも」


 光の言葉に夕美は巾着袋のヒモを開けようとしていた手を止めた。


「そう? 私なんてただの眼鏡の女子じゃない」


 これに、えーっ! と、声を上げたのは野々花だ。


「美人の夕美ちゃんがただの眼鏡の女子だなんて言ったら、女の子みんなただの女子だよ」


「そうですよ。夕美ちゃん、黒髪が綺麗で大和なでしこって感じで、私、憧れますよぉ」


 お人形のようなレイアに言われると、さすがにむずがゆく感じる。


「そんなことより、お昼食べよう」


 夕美がそう言うと、お弁当か食堂の料理に手を付ける面々。


「さすがにこの席じゃ、先輩とは会わないね」


 光は大きめに割ったハンバーグを箸で持って、思い出したように言う。

そう言えばと、夕美も辺りを見回してみた。かのカツサンドの彼と呼ばれていた先輩の姿は、学生たちが行き交う食堂では簡単には探せない。


「もしかしたら、窓際の席をウロウロしているかもしれませんよ、カツサンド先輩」


「そ、そうかな。こっちの席で食べていますって言った方がいいかな? あ、でも連絡先しらないし、さすがにお友達といる所に行くのは迷惑かな」


 レイアの言うことに野々花は普通に反応している。それにしても――。


「ねぇ、いつまでカツサンド先輩って呼ぶの?」


 夕美は咀嚼そしゃくしていたものを飲み込んで言った。


 野々花のバイト先のパン屋に足しげく通い、カツサンドを買っていく先輩。そのカツサンドを買っていく理由が判明したのは、四月の中旬。高校三年生で先輩であることは、野々花がなんとか聞き出している。普通に考えれば連絡先ぐらい交換していそうなものだけれど。中々、聞き出せないのは野々花らしいといえば、らしい。


 しかし、ゴールデンウイークも終わった現在、未だに先輩はカツサンド呼ばわりされている。


「そうよね。さすがにカツサンド先輩も、カツサンドから卒業したいと思う」


 光もうんうんと頷いた。


「野々花ちゃん、もしかして個人情報を気にしてお名前を隠しているのですか?」


「ち、違うよ、レイアちゃん。それが、聞けてないの。名前……」


 これには野々花以外の三人があんぐり口を開けて固まった。名前は最初に聞くべきことじゃないだろうか。それなのに、食堂ですれ違えば手を振り合い、パン屋ではたまに言葉を交わし合っているという。


「タイミング、失っちゃって。何回もお話しているのに、いまさら名前を聞くなんて変じゃない?」


 野々花は下を向いて、弁当箱のほうれん草のごま和えを箸でつつく。


「いや。名前も知らないのに、親しく話している方が変だよ」


 光がズバッと言い切った。


「うっ……。でもでも、いまさら?」


「いまさらでも何でも聞かないと、先輩はいつまでもカツサンドの呪縛から解けないよ」


 優柔不断な野々花に容赦ない光。


「カツサンドの呪いを解くのは野々花ちゃんだけです! そう言うと、なんだかロマンチックですねぇ」


「いや、呪いを解くもなにも、名前を聞くだけでしょ」


 ずれたレイアに夕美は言っておく。


 かねてから、あまり恋バナをしない四人。だけど、ここのところ昼休みに集まると、この話で持ち切りだ。


(名前を聞くだけで、野々花のこの戸惑いよう。本当にピュア。私にはできないな)


 そう、夕美は思った。

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