四章11 『セキュリティと護衛』

 ウォータースライダーの中で体を好き勝手にされた俺は、完全に体力を削られて己(おの)が意志を失っていた。

 滑り終えた後、アイスは放心状態にあった俺をプールから連れ出した。

 そのまま俺は彼女に着替えさせられ、更衣室から出された。


 今はアイスに手を引かれて歩いている。

 ようやく気力が回復してきた俺は、彼女に訊いた。

「どこへ向かってるんだ?」

「わたしの部屋」


 ここはメイオウのアジトであり、アイスはその長(おさ)である。彼女のためだけの部屋があっても不思議ではない。


「学校でいう校長室みたいなものか?」

「プライベート・ルーム」

「……ベッドとかある方の?」

「そう」

 なぜか顔がかっと熱くなってくる。

 デモンストレーションとやらがあるのだから、今はあまり|込み入った(・・・・・)ことはしないと思うが……。


 そのまま何度か角を曲がり、エレベーターに乗り込んだ。

 中は円柱状で、窓の類は一切なかった。

 アイスは空中に表示されたエア・モニター――宙にダークマターによって生成される画面の名称で、触って操作することができる――で希望する移動先の階を選択する。そこは最下層の地下30階だった。現在いるのは地下12階、大体真ん中ぐらいの場所だったらしい。

 それからすぐにエレベーターが動き始める。ほとんど振動はなく、エア・モニターの回数表示が変わらなければエレベーターが本当に動いているかどうかわからなかっただろう。


 静寂が訪れた。鼓膜が凍り付くほどに、それは長く続いた。

「……なあ、アイス」

「なに?」

「ええと」

 沈黙の間を埋めるために話しかけたので、具体的な内容は一切決めていなかった。

「メイオウはよく軍に気付かれずに、こんな地下三十階まで作ることができたな」

「わたしもそう思う」

 アイスはうなずき口を閉ざす。


 このままではまた元の状況に逆戻りだと察した俺は、慌てて言葉を継いだ。

「どうやったんだろう?」

「何を?」

「軍に悟(さと)られることなく、地下にこんな大きな施設を作った方法。アイスは知らないのか?」

「その手法がどんなものだったかは知らない。ただ、それを考案したのは人間じゃないって聞いたことがある」

「人間じゃない……ってことは、アンドロイドとかサイボーグか?」

「ううん」

 アイスはふるふるとかぶりを振ってから答えた。

「考えたのは、聖霊だって」

「聖霊……」


 俺は初めてアイスの身機として戦った時のことを思い出した。

「あの時の上杉謙信とかか?」

「そう。でも彼女だけじゃなくて、他にも聖霊はいる」


 聖霊――ここ、聖霊領域の地が有する名にもなっている存在だ。

「なあ、聖霊ってどういう存在なんだ?」

「知らないの?」

「まったく」


 その時『ポーン』と軽い電子音が鳴ってエレベーターのドアが開いた。

 アイスは俺の手を引き――ずっと繋いでいたままだった――外に出て、歩きながら説明してくれた。

「聖霊は二種類存在する。一つはかつて生きていた人の魂がこの世に留(とど)まり、具現化した存在」

「……つまり幽霊ってことか?」

「そう」

 僅かな沈黙に下駄とスリッパの音が混じり合う。間抜けなパタパタという音と、下駄のカランコロンという軽妙な響き。なんだか少し恥ずかしくなり、できるだけ音を消そうとアイスの歩調に意識的に合わせるようにした。

 それに気が付いていないのだろう、彼女は前を向いたまま淡々と続ける。

「もう一つは人々の思念が合わさり、生まれた存在」

「思念が……って、どういうことだ?」


「集合的無意識」

 何やら難しそうな単語をアイスは発した。

「すまんが、まったく意味がわからん」

「カール・グスタフ・ユング」

「……スイスの精神科医、だっけか?」

「そう。彼が提唱(ていしょう)した概念」


 何度目かの角を曲がったところで、ゲートのようなものが現れた。通路に白い枠をつけ、透明なガラスの自動ドアをはめたようなものだ。

 アイスは着物の袖口からきんちゃく袋を取り出し、ゲートの脇にある電子マネーカードを読み取りそうなリーダーみたいな模様のついた場所に近づけた。

 ピピッという微妙に高い音が鳴ってドアが開いた。

 おそらくこのゲートは重要区域の前に存在する、門みたいなものなのだろう。

 ということはあのガラスも防弾仕様にされているに違いない。


 ただでさえ監視の目をかいくぐって三十階に来るのも難しいだろうに、そのうえこんなセキュリティ設備まである。

 にもかかわらず……。

「お前って、お偉方なんだろ?」

「……リーダーだから、多分そう」

 言ってからこくりとうなずくアイス。俺は他人事ながら、メイオウの未来に一抹(いちまつ)の不安を覚えた。

「じゃあ、命を狙われやすい存在なんじゃないか?」

「秘密組織だから」

「今は大丈夫でも、バレた時はどうする?」

「……あ、そっか」

 ぽんと手を打つアイス。頭痛を覚えると共に、彼女とメイオウに対してただならぬ不安感で胸がいっぱいになる。


 俺は大きなため息を一つ吐き、彼女の手を軽く引いてこちらを向かせてから言った。

「これは忠告だが、護衛の一人でもつけた方がいい。できるだけ荒事に慣れていて、信頼できるヤツが望ましいだろうな」

「……考えておく」

 そう呟いたアイスは、こちらをじっと見つめてきた。まるで狼がじっと獲物の様子を窺っているような情景が、ふと頭の中に浮かび上がってきた。

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