四章2 『身体的快感』

 絡み合った視線が、その結びつきの強さが、胸を締め付けてくる。

 薄く開いた俺の唇から、掠れるような声が漏れる。

「ラム……」

「ソアラ……くん」

 互いに名を呼び合う声が何かのスイッチだったかのように、体を余計に火照(ほて)らせていく。特に首の周りがすごくて、そこから湯気が発しているかのように顔の体温が上がっていった。

 頭の中がぼうっとしてくる

 吐息が浅くなり、温かな湿り気を持ち始めた。

 それは俺だけでなく、ラムも同じだった。

 目が熱に浮かされたかのようにとろんと蕩けていく。

 まるで体が一つになったかのように、お互いの変化が――もちろん微妙な差異はあるのだろうけど――同期していく。呼吸のリズムさえも徐々に合わさっていってる気がする。

 その内に疼(うず)きのようなものを感じてきた。

 欲求と言い換えるといささかストレートすぎるが、多分正体はそれなのだろう。

 視線が蕩けた目から形のいい鼻、最後に唇へと辿り着き止まる。

 ぷっくりと膨らんだその二つのラインに、俺の目は釘付けになった。


 磁力に引かれるように、俺はラムの顔に自身の顔を近づけていく。

 彼女は一瞬体を強張らせて目を大きく見開いたが、すぐに瞼をゆっくりと下ろしていき、唇を微(かす)かに突き出してきた。

 その様に、胸の内が大きく揺さぶられる。

 夢の中にいるかのように体がふわふわとしてきた。

 俺は自身も目を閉じ、そのまま顔を下げていく。

 だがふいに瞼の裏に、ある少女の顔が浮かんだ。

 その子は悲し気な顔をして、こちらを見つめてきている。その視線を受けていると、罪悪感のようなものが込み上げてきた。それはさっきとは別の意味で胸を締め上げてきて息苦しくさせてくる。

 どうにも耐えられなくなり、俺は目を開き、あることをする寸でで顔を離した。

 その気配を察したのか、ラムは瞼を持ち上げ、こちらを見てきた。

「……ソアラくん?」

 瞳が悲し気な色を帯(お)びる。


 ――ラムに俺のすべてを捧げることはできない。

 でもこんな可愛い子を前に何もしないで我慢するなんて、俺にはできそうになかった。


 だから一度は離した唇を再び鼻先に持っていき、そこをちょんと小鳥が木の実をついばむようにつついた。くすぐったそうにラムは目をつむる。

 その反応が愛らしくて、俺は何度も――唇の感覚がなくなるまで――彼女の鼻や頬、瞼の上などに自身のそれを押し付けた。

 ただ触れさせるだけでなく時に擦りつけるようにしたり、彼女の肌を軽く吸い上げるようにしたりとアクセントを加えた。そうする度に頭の中にジンとした痺れが生まれ、それが全身を駆け抜けた。とても心地よい感覚に、ひとたび感じた瞬間に俺は虜(とりこ)になった。人はそれをおそらく快感と呼ぶ。的を射(い)ている二文字だと思う。


 身機になった時も、女の子の感覚はくまなく感じていたはずだが、そんなのとは比べ物にならなかった。

 生身でダイレクトに受けるラムの感覚は、単なる情報ではなく胸に直接訴(うった)えかけてきた。

 柔らかな肉感、艶やかな肌、唇を焦がすような――正確には胸を――体温。


 ラムは俺の口づけをおおむね満足そうに受け入れて目を細めていた。

 しかし時折その瞳が悲しそうに潤(うる)むのに俺は気付いていた。

 彼女の抱いている思いはなんとなくだが、わかる――わかっていると思う。

 おそらく落胆(らくたん)と不完全燃焼が心中を占め、しかし今なお期待を捨てきれていないのだろう。

 けれども俺は、どうしても罪悪感が邪魔をしてその期待に応えることができない。

 もしも両手が自由で、もっと多角的にラムの体を感じていたら欲望の膨らみに理性が押しつぶされて我慢できなくなっていたかもしれない。

 だが現状はラムと俺の間には行動がある程度抑制されていて、互いに手で触れることはできない。

 それでもいつも小生意気なラムが俺になされるがままにされて、口づけで感ずる――おそらく快感に翻弄されている様は劣情(れつじょう)をもたらしてきて、徐々に理性があやふやになってきた。


 頭の中にミルクのような霞(かすみ)が立ち込めてくる。

 何を我慢しているのだろうか?

 このまま本能の赴くままに心身を委ねてしまえばいいではないか、と。

 小さく膨らんだ胸の内が、しきりに鳴り立てている。以前より小さくなった体は、もたらされた誘惑を素直に受け止めんとしている。

 俺が体を起こし、ぼうとしていると、ラムがすっと、まるで平時の時のようにスムーズに起き上がってきた。しかし今もなお、彼女の手は縛られている。

 おそらく軍で常日頃体を鍛えている賜物(たまもの)だろう。

 きっと身体はきれいに引き締まっているに違いない――そうラムを見たまま想像した途端に顔が、夏の日差しを受けたかのように熱くなった。

 何を考えているのだろう、こんなのラムにも失礼じゃないか。

 でも別にこれを話したとしても、ラムならきっと許してくれるはず。むしろ……いやいや、でもさすがに……。

 一人で問答を繰り返していると、ふいに頬に熱を感じた。

 目の前には、いい匂いのする茶色の髪。バニラの匂いだ。

 ラムが頬に、キスをしてきている……。

 ぞくぞくと込み上げてくるのは、紛うことなき喜びだった。

 刻(きざ)まれる心臓の鼓動音は、まるでピアノの発音のように幸福感を体中に波紋のように広げていった……。

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