一章13 『エマージェンシー』
俺の服――つまり可愛らしい女性服と、無駄に扇情的でセクシーな下着|(これは後で買い直そう)をタンスに仕舞い、ほっと一息ついた頃。
――ウゥウウウウウッ、ウウウウウゥウウウウウウッ!
突如、俺達の携帯端末スターフォー、通称スタホが一斉に剣呑な音を響かせだした。
「こっ、これって……!?」
ポケットから取り出したスタホを横目で見たエンジュが「チッ」と舌打ちした。
俺も机の上に置いていたスタホを手に取った。電源ボタンを押さずともすでに画面には光が灯っていた。
そこには黄色い背景に文字が表示されていた。
『〈緊急警報〉危険地域・聖霊領域 異常事態No:99』
「おっ、おい、No:99って……」
俺が全て言い切る前に、エンジュが答えた。
「敵襲だ」
「マジかよ……」
エンジュが俺達を見回して、いつになく厳しい声で告げてきた。
「あんた達はここにいろっ!」
「えっ、エンジュはどうするんだよ!?」
「現場に行って、様子を確かめてくる」
「そっ、そんなことする必要ないだろッ!? お前は軍事担当じゃないはずだッ!!」
俺の訴えにエンジュはかぶりを振って、声音を和(やわ)らげて言った。
「いいや、無関係な存在とは言い切れん」
「どっ、どうしてだよ!?」
エンジュは窓の外――ちょうどその方角は聖霊領域だった――を見やって、独(ひと)り言(ご)ちるように呟いた。
「……戦場にはな、あたしの教え子達が赴(おもむ)くんだ。自分がかつて育てたヤツ等が、命を賭(と)して戦うってんだ。なら、その雄姿を目に焼き付ける義務が、あたしにはある。そう思わないか?」
「……お前が行ったところで、事態は何も変わらないだろ」
「おそらくな。まあ、実際のところはただのあたしの自己満足だ」
「だったら……!」
「天神。それ以上は言うな」
すっと、エンジュの顔に影が差した。
それを前にして、俺は口にしようと思っていた言葉がわからなくなってしまった。暗澹たる世界に急に放り込まれて、荷物を失ってしまった時のように。
「……わたしも、行く」
ふいにアイスが沈黙を破って言った。
エンジュは鋭い目つきになって彼女を見やった。
「あんたが?」
「わたし、聖霊領域の次期頭首。それこそ、行くのは義務」
「……確かに、そうだな」
エンジュはうなずき、扉の方へ足を向けてアイスに言った。
「行くぞ。遅れたら置いていく」
「うん」
駆けだそうとしたその背中に向けて、俺は大声(たいせい)をぶつけた。
「待てよッ!」
エンジュは足を止めたが、振り返りはせず、返事もなかった。
だが構わず、俺は続けた。
「……俺も、俺も連れてけよ」
「あんたには関係ないことだ」
「……関係っ、あるに決まってんだろッ!!」
「ソアラ……?」
アイスが振り向き、首を傾いだ。
俺は声を張り上げ、エンジュに訴え続ける。
「友達が危ない場所に行くって言ってんだ! なら俺だって、無関係じゃないだろ!?」
「……天神」
エンジュが振り返る。その顔を見た瞬間、俺はゾクッと全身の毛が逆立つのを感じた。
冷徹なる光を宿した目を向けてきて、彼女は言った。
「遊びじゃないんだ。そんな生半可な気持ちでついてこられても、迷惑なんだよ」
「……な、生半可なんかじゃ、ねえよ」
「残念だが、あたしには――」
「エンジュ」
アイスが淡白ながらもよく通る声でエンジュの言葉を遮った。
「なんだ、愛洲」
「わたしはソアラを連れて行く」
エンジュは目をすがめてアイスを睥睨(へいげい)する。
「……なに?」
「ソアラを連れて行く」
威圧的な空気をものともせず、異口同音で繰り返すアイス。
エンジュは苛立たし気(げ)に頭を掻いた。
「あのな、愛洲。天神は操呪士じゃないし、身機(しんき)としても未熟だ。しかも頭に血が上れば暴走する、タチが悪いヤツだ。連れて行ったところで役に立たないどころか、邪魔にすらなるかもしれないんだぞ」
「……ソアラは応急処置ができる。救護班の手伝いができるかもしれない」
応急処置――他でもない、エンジュが俺にに叩き込んだことの一つだ。ゆえにそのことを当の本人であるアイツが知らないわけがない。
「もしや、その処置……」
アイスの顔の被覆材を忌々(いまいま)しそうに眺めるエンジュ。
こくりとうなずき、アイスは言う。
「ソアラがしてくれた」
「そうか……」
エンジュはこちらを見やって、顕微鏡(けんびきょう)を覗き込むような目つきで問うてくる。
「もう一度訊く」
「お、おう」
「あんたはどうして、戦地に赴きたい?」
自分の心中から、雑多な思考が干潮の時の波みたいに引いていく。
エンジュの望んでいる答えとは?
……いや、そうじゃない。もっと根本的な、心の根にある思い。
俺が身機として生きることを選び。
今日まで心身を琢磨(たくま)し学校に通っていたその意味は――
「……俺は守りたいんだ」
ぐっと拳を握りしめ、己(おの)が思いを語る。
「何をだ?」
「そんなの、決まってんだろ……」
息を吸い。
くわっ! と目を開いて、俺は言い放った。
「俺はっ、自分自身の手で可愛い女の子を守りたいんだッ!」
水を打ったかのように、場が静まり返る。
やり切った感に満たされる俺。硬直する二人。
そこへ、洗面所から血色を取り戻したティアがそっと顔を覗かせる。
「……あの、今のお声は一体?」
エンジュはマリアナ海溝より深いため息を吐いて言った。
「……バカがバカみたいな夢を語ったせいで、あたし達に一瞬バカが移っちまって黙り込んじまったっていう、バカ話だが。詳しく聞くか?」
「い、いえ……」
苦笑いを浮かべてティアは辞退した。
「なんだよ、人のことをバカバカ言いやがって」
「いや、バカだろ。正義のヒーローは腐るほどいるが、そんな理由で戦うバカはそうそういないだろうさ」
「いやいや、昨今のアニメとかラノベ舐めんなよ? あらゆるヒーローが百人百色の、各々の矜持(きょうじ)を持って戦ってるんだからな」
「んなもん、知りたくも聞きたくもないが……」
エンジュは俺の元へ近づいてきて、ふと表情を和(やわ)らげ。
「まあ、そういうバカならつれていけば多少愉快な気持ちになるかもしれんな」
ぽんと俺の肩を軽く一回叩いて、彼女は言った。
「ついてこい。将来のための、社会科見学だ」
「……おう!」
俺はエンジュの後を、スカートを翻(ひるがえ)して歩き出した。
「あ、あの、これは一体……?」
戸惑っているティアを、俺は肩越しに見やって言った。
「ちょっと出かけてくる。留守番は頼んだぞ」
「え、あ、はあ……」
ドアが閉まる瞬間まで、ティアの呆けた顔はそのままだった。
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