一章12 『お風呂上がりのひと時』

 火照った体が、いつもより五割増しぐらい熱かった。

 それは女の子の体になったとかそういうんじゃなくて、多分、俺の横で瓶牛乳を飲んでいるヤツのせいだろう。


「なあ、そんなのあったっけ?」

「寮長、くれた」

「意外とコミュ力あるのな?」

「ん。ソアラはあまり人とお話するの、実は得意じゃなさそう」

「なんでだ?」

「お風呂場で全然目、合わなかった」

「それはお前の裸体をなるべく見ないようにしていたからだ」

「なんで?」

 首を傾げるアイス。口の周りに牛乳で白い髭を作っていて、なかなかおめでたい様相を呈している。


「は、恥ずかしいんだよ」

 真実など打ち明けられるはずもなく、俺は表層的な理由でごまかすことにする。

「……そう」

 アイスは瓶に口をつけて、こくこくと喉を鳴らす作業に戻る。

 腰に手を当てているのが微妙に似合っていなくて、逆に可愛い。

「……お前、牛乳好きなのか?」

「お風呂上がりは牛乳を飲む。そう教わった」

「へえ。なかなか面白いことを教えるヤツがいるもんだ」

「ん。お師匠が」

「……師匠って、なんの?」

「剣の」


 言葉は端的になりがちだが、確かにアイスはコミュ難というわけではなさそうだ。きちんと受け答えはできてる。ただまあ鈍いところがあるから、コミュ障の疑いは晴れないが。


 瓶の中の牛乳はなかなか減らない。

 よっぽどちびちび飲んでいるのだろう。

「……そんなに大事に飲まなくても、なくなったら二本目もらって来ればいいだろ?」

「牛乳を一気に飲むと、お腹痛くなるって」

「ああ、まあ確かにな」


 二人でゆったりした時間を過ごしているところへ、盛大な音を立ててドアが開いた。

「はーっ、やっぱ夜の街をぶっ飛ばすのは清々(せいせい)するねぇ」

「……うっ、き、気分が……」

 顔を赤らめて興奮冷めやらぬと言った様子のエンジュと、ふらついたティアが入ってきた。

 ティアは顔を青ざめさせて口を押さえている。みるからに体調が悪そうだ。


「おっ、おいティア、大丈夫か?」

「は、はひ……。だいじょうぶ、れふ……」

「……大方、エンジュの車に乗せられたんだろう?」

「よ、よくわかりまひたね……」

「まあ、伊達に長いこと一緒にいたわけじゃないからな……。トイレに行って一度すっきりしてきた方がいいんじゃないか?」

「お言葉に甘えて……、そうさせていただきます……」


 ティアがトイレに入ってすぐ、中からおぇえと遠慮気味なえずき声が聞こえてきた。

「……お前いい加減、免許の返納を考えた方がいいぞ?」

「天神、それは聞きようによっては宣戦布告と受け取ってもいいんだが?」

 ゆらっとエンジュの背後にどす黒いオーラが立ち込める。

「きっとエンジュは誤解してる」

「ほう?」

「俺が言いたいのはな。自動運転の車があるのにわざわざハンドル握って、その割にはデンジャラスなドライビング・テクニックで公道を爆走して、無辜(むこ)なる市井(しせい)の人々の恐怖心を煽(あお)るのはよせってことだよ」

「ソアラ、何言ってるの?」

「コイツ、時折ワケわかんないこと言うんだよ」

「お前はわかれよ教師! ってか、お互いに挨拶の一つでもしたらどうなんだ? 人の上に立つ権力者同士だろ?」


 ティアとエンジュは顔を見合わせる。

「ども」

「……こんばんは」

 しんと場が静まる。

「……初対面か、お前等?」

「いいや」

「顔見知り」

 以外にも息ピッタリな二人。

 仲が悪いわけではなさそうだ。


「アイスはともかく、エンジュが口数少ないって珍しいな」

「あたしは相手に会わせて、コミュ取ることにしてんだよ」

「だったら俺にも合わせてくれよ……」

「合わせてるぞ」

「嘘だぁ……」

「お前ももう少し大人になったらわかるよ」

 柄(がら)にもなく保護者面して、ぽんぽんと頭に手を乗せてくるエンジュ。俺はそれを払いのける。


「……ったく、可愛げがないねえあんた」

「お前に可愛いと思ってもらうために生きてるわけじゃないからな」

「そうかい。せっかくこれを持ってきてやったのに」

 パチンとエンジュがキザったらしく指を鳴らすと静かに扉が開き、メイド服を着た女性がハンガーラックを引いて現れた。ハンガーラックには色とりどりの女子用の服がかけられていた。


「おっ、おお……!」

「どうだ、厳選して運んできてやったんだぞ」

「ど、どれもすっげえ可愛いんだけど……。これ全部、もらっていいのか?」

「まあ、そのために持ってきたんだしな」

 俺は近づいていって、その内の一着を手に取って眺めた。


「レースのついたブラウス、ゆったり素材のキーネックのワンピース、フリルがふんだんに使われた甘ロリ風ドレスに、チュール素材の重ね用ロングスカート……! もう最高、エクセレント!!」

「……ソアラ、何言ってるの?」

「理解できんなあ」

「いやっ、わかれよッ! お前ら二人、わからないとおかしいだろ!?」

「そうなの?」

「そうなのか?」

 ほぼ異口同音に声をそろえるコンビ。


「なんで元男の俺がレディースファッションに詳しくて、お前等は知らないんだよ!?」

「……元、男?」

 首を傾げるアイス。

 はっと慌てて口を押さえたが、もう後の祭りである。


「どういうこと?」

 眉一つ動かさずに、アイスは俺とエンジュの顔を交互に見やる。

 手から温もりが消え、酷く冷たい湿り気を感じた。


 エンジュは意外そうに目を丸くして訊いてきた。

「天神、まだ話してないのか?」

「普通、話さないだろ……」

「あんた等二人、お互いのことどれぐらい知ってるんだ?」

 俺とアイスはそろって顔を見合わせた。


「……確かアイスは、聖霊領域の次期エリアルーラーだろ」

「ソアラがここのエリアルーラーの娘だって聞いた」


「ははあ、なるほどねえ。娘ねえ」

 ニヤつきながら、ねばっこい口調で言ってくる。

 俺は顔を逸らして唇を尖らせた。

「いやだって、そう言うしかないだろ……」


 アイスの様子をちらりと横目で窺(うかが)うと、依然として虚無的な表情を崩していなかった。……動じている様子はまったくない。一体どんな精神構造をしているのかと知的好奇心が掻き立てられそうになる。


「まあ、今はこんなナリしてるけど、天神は元々男だったんだ」

「……でも、どう見ても女の子。おち○ちんなかったし」

「女の子がそういうこと恥ずかし気(げ)もなく言うなよ!?」

「ほほう。すでに己の体を有効活用してたってわけか」

「誤解だっ! 俺が浴室にいるのに、アイスが勝手に入ってきたんだよ!!」

「ノックは、した」

「……いや、トイレじゃないんだから。っていうか電気ついてるんだし、誰かいるのは外からでもわかるだろ?」

「女の子同士だから」

 すすっと近づいてきたアイスは、なぜか胸を凝視してくる。


「…………」

「お、おい」

「……………………」

「え、あ、その……?」

「…………………………………………」

「なっ、なんだよッ!?」

「元男、なのにわたしより大きい」

 初めてアイスが眉間に皺を寄せているのを見た。


「……まあ、気にするなよ。お前もその内大きくなるって」

「胸は揉まれると大きくなるらしいぞー」

「エンジュは黙ってろッ!」

「……おっぱい、揉ま“れる”と大きく」

 なぜか、ある二文字を強調して呟くアイス。


 彼女の紅い瞳が真っ直ぐに俺の目を覗き込んでくる。


 きれいな瞳につい見とれて言葉を忘れていると、一言。

「揉んで」

 有無を言わさぬ口調で発せられた。

「…………はい?」

「おっぱ○、揉んで」

「だから女の子がそういうこと躊躇なく言うなよ!?」

「……男女差別」

「差別はよくないぞ、天神。それは人権を脅かし、誰もが自分らしく生きるための社会の根底を揺るがす、悪しき習慣を増長させる要因になりかねないんだからな」

「お前がもっともらしいこと言うなッ!」


 俺の叫び声は寮に留(とど)まらず、夜空まで響き渡ったことだろう……、恥ずかしい。

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