一章7 『刀を振るいし少女』

 エンジュのよこしてくれたワゴン車に荷物を積載し、ついでに乗せてもらって女子寮に向かっていた。

 黒いスーツを着た口数の少ない男は、不愛想ではあったが運転技術は確かだった。急ブレーキや急発進など急のつくことは決してしない。おかげで車内は常にゆりかごのような心地よい状態が維持されている。


 窓から見える景色は道路がやたら広いビル街だ。

 街に出たわけではない。ここも学校管理の敷地なのだ。

 敷地内にはビルや工場、マンションなどが広い道路を挟んで区画ごとにまとめて建てられている。それぞれ研究エリア、開発エリア、住宅エリアと呼ばれており、その中でもさらに細かく地域区分されているようだ。

 他にも自然管轄区域や資料管理エリア、聖霊領域、そして俺たちの通う学校が建てられている学園エリアが存在する。


「なあ、ティア。お前、エンジュの助手なんだろ?」

「はい。お仕事などをお手伝いさせていただいていますよ」

「じゃあ、この学園都市の統括にも関わってるのか?」

「いえ、わたくしはあくまでも研究専門です。学園都市の管理に携わっているのは所長たちを始めとした権力者の方々ですから」

「そうか。なんかちょっと安心した」

「安心……と言いますと?」

「今まですっごい偉いヤツにタメ口をきいてたのかと思ったから」


 ティアは口元を隠して軽く笑った。

「所長だって、とても地位の高い方ですよ」

「アイツはいいんだよ」

「家族だから、ですか?」

「いいや。尊敬できないからだ」


 ちょうど車がビル街を出て、今まで建造物によって遮られていた西日が窓から差し込んできた。眩しさに目を細める。

「まあ、所長はあまり威厳とか出さないタイプですからね」

「出さないんじゃなくて、出せないんだよ」

「あはは、そうかもしれませんね」


 今まで黙っていた男が、ふとルームミラー越しにこちらを見やって言った。

「まもなく到着します」

「承知しました。この度は荷物の運搬だけでなく、わたくしたちを乗車させていただき誠にありがとうございます」

 よどみない口調で言って、ティアは深く頭を下げる。

 俺も遅れて「あ、ありがとうございます」とお辞儀した。

 男は軽くうなずき、視線をフロントガラスへ戻す。


 それからすぐにワゴンは女子寮の駐車場に停車した。

 振り返った男が事務的な口調で述べた。

「荷物は自分が運びます。その間、この周辺を散歩していても構いません。二十分後ぐらいには寮の中に入り、自分の部屋に戻れば、荷解(ほど)きのできる状態になっているはずです」

 男はそこで口を閉じ、無言でこちらを見やってくる。

 呆気に取られている俺に代わりティアが「わかりました」と返事をした。

 うなずいた男は素早く車を降りた。


 ティアはシートベルトを外してこちらを見やり、「さあ、参りましょう」と微笑した。

 俺は「あ、ああ」とぎこちない手でシートベルトを外し、彼女に続いて降りた。

 散々歩いたアスファルトも、少し違う踏み心地な気がした。体が軽いのと、履き慣れないローファーのせいかもしれない。悪くない感じだ。むしろ一歩一歩が新鮮で、もっと歩いてみたくなる。


「ご覧ください、天神さま」

 ティアに言われて、俺は顔を上げた。

「こちらがこれからお住まいになる、女子寮です」

 それは男子寮とほぼ同じ外観だった。

 煉瓦造りの巨大な洋館。外壁の色が青ではなく赤色というだけで、建物自体の形や窓の配置はほぼ同じだった。


「中の構造は男子寮の時と同じか?」

「はい。ただ女子寮は満室なので、男子寮の時より騒がしいかもしれません」

「騒がしいのはいいけど。俺が元男子だからって、その……」

「ご安心ください。もしも言われのない風評が立ったとしても、わたくしがお守りしますので」

 両手をぎゅっと握って気合をアピールするティア。


 俺は苦笑して頭を掻いた。

「……言われはありそうな気がするけどな」

「天神さまの平穏は何物にも乱させません。ですからご不安になられる必要は一切――」


 とティアが言いかけたところで。

「キャァアアアアアッ!」

 平穏な時間を脅(おびや)かす悲鳴がどこからか聞こえてきた。

「……な、なんでしょうか、今の?」

「……こっちだ!」


 俺は悲鳴の発されたと思わしき方へ駆けだした。

「あ、ま、待ってください!」

 後からティアが追いかけてくる足音が聞こえた。


 通りに出るとすぐに悲鳴の原因と思わしき状況を目(ま)の当たりにした。

「かっ、返してよっ、わたしのバッグ……!」

 地面に倒れている女性と、バイクに乗ったスカジャンの野郎。

 スカジャンの手にはブランドものらしきバッグがあった。

「誰が返すかよ、へへへ。あばよ、姉ちゃん!」


 エンジンを吹かせて、スカジャンはバイクを発進させる。

 ロケットスタートを切ったバイクはすさまじい速度で俺の前を通り過ぎる。呼び止める暇すらなかった。


 バイクの行く先を目で追うと、その進行先に一人の着物の少女がいた。

 黒い上着に緋袴(ひばかま)と珍しい和服の中でも特に見ない取り合わせだ。

 紅い紐で二つに結ばれた黒髪が、風になびいている。

 吠え猛るバイクがまっしぐらに少女に向かって突っ込んでいく。スカジャンは上体を傾けてハンドルを切ろうとしているようだが、間に合いそうにない。


「あっ、危ない!」

 俺が思わず叫んだその時。

 すっと少女の姿がいきなり掻き消えた。

 直後、バイクが急に傾きスカジャンが地面に投げ出され。

 一拍間を置き、ドォン! と盛大な音を立ててバイクが爆発する。


 場にいる誰もが現状を理解できず、呆気にとられる。

 爆心地の近くに、いつの間にか少女の姿があった。

 手には銀色の剣身の刀。

 彼女はスカジャンの方へ、ゆるりと向いた。


「ひっ、ひっ……わぁあああああッ!」

 スカジャンはバッグを放り出し、脱兎のごとくどこかへ逃げ去った。

 少女は刀を収めてバッグを拾った。それを手に女性のところへ歩いていく。

 女性はというと、スカジャンのように眼前の出来事にすっかり怯えてしまい、ガタガタと震えていた。その震えは少女が近づくごとに大きくなっていく。


 女性の真ん前に立った少女は、バッグを差し出して静かな声で訊いた。

「これは、あなたの?」

「いっ、いえっ、そのっ、え、あ……」

 女性は後ずさりながら首を振り、生まれたての小鹿みたいな状態で立ち上がったかと思うと背を向け。

「け、け、結構ですからぁああッ!」


 打って変わったさながらチーターのごとき走力を見せて逃げ出してしまった。

 残された少女はバッグを持ったままぽつねんと立ち尽くす。

「……違ったのかな」


 バッグを見ながら首を傾げている彼女のもとへ、俺は駆けつけた。

「おい、大丈夫か?」

 振り返った少女は瞬きを繰り返して首を傾げる。

 一向に返事が返ってこないので、俺は言葉を少し変えて、ゆっくりと話すよう気を付けて再度尋ねた。

「ケガとかしてないか?」

「平気」


 俺はホッと胸を撫で下ろしかけたが、ちょうどその時、少女の頬をつうっと紅いものが伝った。

「頬擦りむいてるじゃないか!」

「え? ……あ」

 少女は左の頬にやった指先を見やり、軽く目を見開く。どうやら自分では気付いていなかったようだ。

 もしかしたらバイクが爆発した時に部品の一部が飛んで、彼女の頬を切ったのかもしれない。


 俺はティアの方を見やって言った。

「おい、未開封のミネラルウォーターとか持ってるか?」

「ちょっと待ってください」

 彼女はバッグを漁り、ペットボトルを取り出した。

「これでよろしいですか?」

「ありがとう。お前、ちょっとこっち来い」

 無言でいつまでも固まっている少女の細い手首をつかみ、俺は彼女を引っ張って歩きだした。

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