一章6 『色褪せた過去によって心は作られる』

 言うかどうか悩んでいるようだったが、俺がじっと待っていると、やがてティアは恐る恐る先を口にした。

「……本当に女の子になれたのが嬉しいんだなって」

「ん? まあ、そうだな。今日は人生で多分トップレベルの吉日だと思ってるぞ」

「でもその、普通はもっと戸惑うと思うんです。今まで生きてきたのとは別の性別になっちゃうのって、やっぱり不安とかあると思うし……」

「そうだなあ」


 俺は顎に手をやり、少し考え込んで言った。

「確かに不安は色々とあるさ。女の子の体は男のものとはだいぶ違うだろうし、生活環境だってそうだろう。でもきっと、大丈夫だと思うんだ」

「どうしてですか?」

「だって、ティアがいるからな」


 ティアはぽかんとした顔で瞬きを繰り返した後、自分を指差して首を傾げた。

「……わたくし、ですか?」

「そうだよ。もしも困ったことがあっても、お前を頼ればいいかなって。迷惑か?」

「いっ、いえ、そんなことはありません! お困りのことがあればなんなりと手をお貸しします!!」

「おう、ありがとな」


「ではその、まずは荷物運びをお手伝いしますね!」

 袖のボタンを外して腕まくりするティアに、俺は慌てて言った。

「そ、そんな悪いって!」

「いえいえ。これから一緒に住まう、か、家族同然の間柄になるのですから、遠慮なさらないでください!」


「……家族、か」

 思わず、ぽつりと呟いてしまった。

 訝(いぶか)しそうにティアが尋ねてくる。

「どうされたのですか?」

「いや……」


 黙っていても、別によかったのだろう。

 だがこれから共に暮らすティアには、話してしまいたいと思った。

「ティア、やっぱり荷物運びを手伝ってくれ」

「わ、わかりました。でも……」

「……ちゃんと話すよ。作業してる途中でさ」

 面と向かった今の状況よりは、何かをしながらの方が話しやすい気がした。


   ○


 男子寮と女子寮の間はかなり離れている。

 男だった時よりも歩幅が狭くなった今は、その距離がかなりきついだろうなと容易に予想できた。

「……ああ、そうそう。だからさ、車を一台よこしてくれないか? ……面倒って、お前なあ。……はあ、本当に頼んだぞ」

 通話を終えたマルチフォン、通称マルフォンの画面にはエンジュと表示されていた。


「よかったですね。女の子の体で荷物を運ぶのは大変ですから」

 洋服を段ボールに詰めながらティアは微笑を浮かべた。

 俺はため息を吐いてマルフォンをポケットに入れた。

「あそこまでごねるのは、想定外だったけどな。……あ、服はそんな丁寧に畳まなくていいぞ。どうせ捨てるんだから」

「でも、今まで天神さまのためにつくしてくださったんですから。感謝の意味も込めて丁寧に扱ってあげたいんです」


「エンジュにティアの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ。アイツ、着た服をそのままそこら辺の床に放っておくからさ」

「ま、まあ、わたくしのしてることだって、単なる自己満足みたいなものですから」

「いや、ものは大切に扱うべきだな。うん」


 俺は勉強用具を段ボールに仕舞う作業に戻った。

「……先ほどのお話しによると、天神さまは家族を失われてすぐにルートさまに引き取られて、その後は所長のお世話になっているんですよね?」

「ああ」


「一つ、訊いてもよろしいですか?」

 俺はしばし躊躇した後、「なんだ?」と返した。

「ルートさまは、どうされたのでしょうか?」

 俺は自分の唇を噛んだ。

 そう訊かれることはわかっていたはずなのに、いざ答える段になるとかなり精神的に来るものがあった。


 だが話すと決めたのだ。

 俺は触れ慣れない胸に手を置いて深く呼吸し、気持ちを落ち着けてから言った。

「ある時にふらっとどこかに出かけて、行方不明になった」

「……行方不明、ですか?」

「ああ。五年も前の話だ。ルートの知り合いは、誰もが死んだって思ってるよ」


 ちょうど本棚に取り掛かった時だった。

 中段の一番机から近い場所にある、古臭いアルバムが目についた。

 つい手に取り、ページを開いてしまう。


 そこにはまだ俺が小さかった頃の写真が何枚も綴(と)じられている。

 ルートやエンジュも一緒に写っている。エンジュが学生服を着ている姿はなんか笑えた。

 隣にティアが来て、アルバムを覗き込んでくる。


「わぁ、可愛いですね。天神さまの昔の写真ですか?」

「ああ。いわゆる、家族写真ってやつだ」

「へえ。素敵ですね」

「どうかな?」

「えっ?」

「よく見てみたら、そう言えなくなるかもしれないぞ」

 ティアは眉をひそめて、写真を見比べ始める。


 このアルバムに綴じられているのはスナップ写真がほとんどだ。取るに足らない日常生活の情景が大半を占めている。

「写真撮るの、好きな方だったんですか?」

「ああ。カメラマンになりたかったらしい」

「らしい、ということは……」

「夢は儚く散った、そう言ってたな」


「詩人さんみたいですね」

 柔和な笑みを浮かべるティア。

 俺は軽く首を振って、肩を竦めた。

「臭い言い回しが好きなだけだよ」


「ふふっ。それでルートさんは、どのようなお仕事をされていたんですか?」

「……何をしてたんだろうな、アイツは」

「えっ?」

「ルートは失踪するその日まで、自分のことをつまびらかにはしなかったんだ。妹のエンジュもあたしが勝手に口にする資格はないって、教えてくれないしな」


「なんというか、意地悪ですね」

 ティアのぷくっと頬を膨らませた顔が可愛くて、自分の頬が緩むのがわかった。

 思わずつんとつつくと、「ひゃん」と嗜虐心をくすぐる声が漏れて、ドキッとした。それ以上は可哀想だから、ひとまず攻撃は中断する。ティアはつつかれた頬をそっと撫でて赤面し、「なんですか?」「何も」「もう」と端的な言葉のやり取りをし、どちらからともなく笑い出した。


 それが治まってから俺は言った。

「まあ、人には秘密にしたいことだってあるだろ。それをいちいち詮索するようなヤツは嫌われちまう」

「でも、気にならないんですか? ルートさんが何をしていたのか」

「気にならないって言ったら、嘘になる。だけど多分、知らない方がいいんだ」

「なぜですか?」


「俺が今知ってるルートって男は、きっとアイツ自身が見せたかった自分なんだ。だから変に詮索するより、記憶の中の姿をいつまでも覚えていた方が、ルートも悦ぶんじゃないかってさ」

 ティアは目を細め、頬を緩めて「そうですね」とうなずいた。


「ところで、写真のおかしいところは気付いたか?」

「あっ。……えっとその、わかりませんでした」

 俺は「だろうな」と一笑して、答えを教えてやる。


「写真にエンジュとは違う女が大勢写ってるだろ?」

「はい、写ってますけど……」

「ソイツ等は、親戚でもなんでもない。赤の他人だ」

「……あ、もしかして」


 真相に辿り着いただろうティアは大きく目を見開く。

 俺はを漏らし、窓の外の方を向いた。

 夕焼け空の中に、たまたま一番星を見つけた。それを眺めやりながら言った。

「女にだらしなくなければ、ただのいいヤツだったんだけどな」

「でも、その女の方々とお会いになられている内に、天神さまは女の子がお好きになられたんですよね」

「多分な」


 俺は脳の奥から色|褪(あ)せたルートとの記憶を引っ張りだした。

「女の子を『可愛い、可愛い』っていいながらじゃれ合ってるルートがすごく幸せそうに見えたんだ。それからだな、街中を歩く度に俺は自分が可愛いって思える女の子を探し求めるようになったんだ」


「……あの、天神さまにとっての可愛い女の子というのは、そう容易にみつかるものなのですか?」

 躊躇(ためら)いがちに訊くティアに、俺は大きくうなずいて言った。

「いる。たくさんな」

 自分の左胸をぎゅっと押さえて言葉を継いだ。

「教えてくれるんだよ、脈打つ心臓がさ」

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