一章5 『スカーフの結び方を教えて』

 俺が戸惑っていると、横からエンジュが口を挟んできた。

「天神、ティアは女だ」

「そりゃそうだろ」

「そして今のあんたも女だ」

「ああ」

「なら話はいたってシンプルだ。女がシェアルームをするのは世間的に何もおかしいことじゃない。Q.E.D.(証明終了)」


「おおっ、なるほど!」

 思わずぽんと自身の膝を叩いてしまった。

「そうかそうか。ティアは普通にルームメイトとして招いてくれてたのか」

「え? ……あ、はい、そうです」

 拍子抜けした様子でうなずくティア。


「なんだよ、それなら初めからそう言ってくれればよかったのに」

「も、申し訳ありません」

「いや、謝らなくていい。こっちが勝手に勘違いしただけなんだからな」


 俺はスリッパに足をつっかけて、床に立った。

「そうと決まれば、荷物を運びこむよ」

「ちょっと待て」

「なんだよ、エンジュ」

 走り出そうとしたところを引き止められて、ちょいと俺は不機嫌になった。


 エンジュは指を突きつけてきて言った。

「その恰好で出回ってたら何事かと思われるだろ。着替えてから行きな」

 自分の格好を見やると、入院患者が着ているようなガウン姿だった。

「確かにこれじゃあ、見てくれが悪いな」

「……天神とあたしの間で認識のずれがありそうだが、まあいい。そこにあるのが、あんたの服だよ」


 ワゴン型の二段バスケットの上部に、女子用の制服が置いてあった。ティアも着ているのものだ。

 矢絣模様の描かれたセーラー服。見た感じお洒落だが、実はかなり好戦的な理由でこのデザインが採用されたらしい。

 打ち倒せ、敵を。的な。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 俺は感慨深い思いで制服を手に取った。


「まさか俺がこれに袖を通す日が来るなんてな……」

「毎年一クラスは女装喫茶をやってるから、年に数人の男子はそれを着てるぞ」

「お前、俺を白けさせるの好きだな」

「別に。ただ、生徒に真実を教えるのが教師の務めだろう?」

「……俺が子供の頃に、蛙は鶏肉の味がするから実は鳥類なんだって嘘ついたよな?」

「あの頃はまだあたしも学生だったからね。デマのバーゲンセールだってし放題だったってわけさ」

「この前もおっぱいは大きいパイだからおっぱいなんだって言ってたぞ」

「あれは酒の席だったから、無礼講というものだ」

「そこに生徒を連れていくのは教師としてどうなんだ……」


「ったく、口ばっかり達者になったな」

「おかげさまでな」

「もういい加減、着替えな。早くしないと夜闇の中で運搬作業する羽目になるぞ」

「へいへい」


 俺はカーテンレールを引いて外部の視線を遮断し、着替えることにした。

 ガウンを脱ぐと、いよいよ自分の生まれた時とは異なる体とご対面だ。

 一度唾を飲みこみ、意を決してを見下ろす。


 小ぶりな胸はすでに水色のブラジャーに包まれていた。そっと触ると、ちゃんと柔らかかった。自分の体なのに、なんだかドキドキする。もしも直に触れたら、心臓が壊れてしまうかもしれない。

 くびれた腰はほっそりしており、腿は柔らかくも細い。

 肌は火に焼けていない部分が驚くほど白く、新雪が積もっているかのようだった。

 ブラジャーと同色のパンツは男のものより生地が滑らかで肌にぴったりとフィットしていて、大切に守られている感じがした。アレがないから、余分な空間を作る必要がないのだろう。


 新しい体との顔合わせはこれぐらいにして、服を着ることにした。

 とある事情――幼い頃に会った女性達と、エンジュのせいで――女性服の構造に関することは彼女達と同程度の知識を有していたため、思ったよりも簡単に着ることができた。

 ただスカーフだけがどうすればいいか、わからなかった。


 俺はカーテンを開き室内を見やったが、すでにエンジュはおらずティアがお行儀よく丸椅子に座って本を読んでいた。

「あれ、エンジュはどうしたんだ?」


 ティアは本から顔を上げて、こちらを見やった。

「所長ならお仕事があるようで、すでに出ていかれましたよ」

「そうか。じゃあティアに訊くかな」

「なんでしょうか?」

「スカーフをどうすればいいかわからないんだ。教えてくれないか?」

「かしこまりました」


 ぱたんと本を閉じ、ティアは立ち上がってこちらへやってきた。

 なぜか手と足が同時に出ていて、転ばないかちょっと心配になった。

 カーテンの中に入ってきた彼女は、再びそれを隙間なく閉じた。


「別にスカーフをつけるだけなんだから、そこまで徹底しなくても」

「あ、そ、そうですね。でも、もう閉めちゃいましたから……」

 紅潮した顔でもじもじと言われると、なんかさっきの胸に触った時みたいなむらむらとした感情が蘇ってきた。


「……で、そ、その、スカーフなんだけど」

「ベッドに腰かけてください。今回はわたくしがつけてさしあげますので、それを覚えていただければと……」

「あ、ああ、わかった」


 言われるままに、俺はベッドに腰を下ろす。

 ティアは「前からではつけにくいので、後ろに回りますね」と断ってからブーツを脱いでベッドに上がった。


 すぐ後ろにティアがいる。無防備な背中を俺は曝しているのだ。そう思った途端、鼓動の音が大きくなった気がした。

 男の時は、こんなことはなかった。女になったことで、何かが変化したのだ。

 なんだか落ち着かない。そわそわしてしまう。

 ティアに肩に手を置かれた途端、思わずビクッとしてしまった。


「そんなに硬くならないでください」

 ゆっくりとした調子の、優しい声音が耳のすぐ近くからした。

「わたくしは怖くないです。天神さまを傷つけたりなんてしません。身構えないで、楽にしてくださると嬉しいです」

 聞いている内にふっと体から力が抜けた。張り詰めていた緊張が解け、ティアが傍にいることに安らぎを感じるようになってくる。


 ティアはくすりと笑い、囁くような声で言った。

「天神さま、可愛いです」

「……え、俺が?」

「はい。本当に、女の子になられたんですね」


 俺は自分の手を見下ろした。

 男の時のような無骨なものでなく、細工師がこしらえたような繊細な作りだ。指はスリムですらりと長く、爪の煌めきはローズクォーツのよう。握って開くという単純な動作でさえも、どことなく優雅さが漂っている。いつまでも見飽きないぐらいに。


 すっと目の前に別の手、ティアのものが伸びてきた。

 彼女の手は俺のものより一回り小さくて、可愛らしく見えた。指は少し短く、ふわりと柔らかそうに少し膨らんでいる。

 肌はやはり白く、淡い桃色の爪はどれもきれいに丸く切り揃えられている。


 彼女は俺の左右の肩越しに回した両手で三角形のスカーフを持ち、言った。

「よく、見ていてくださいね。スカーフはこうして折りたたんでですね……」

 説明しながら、ティアは慣れた手つきで実演する。

 その小さな手が動く度に、胸の内をくすぐられているような気分になった。


 可愛い……でも、いつもの可愛いと違う。

 興奮するとか込み上げてくるというより、なんだかこう……なんか違う。まだよくわからないけど、ふわふわしてる、みたいな……。

 熱に浮かされたように、ぼうっとしていた。


 いつの間にかスカーフは一本のリボンみたいになっていた。

「あとはこれを、後ろから回して……」

 すっと手が引っ込み、後ろの襟を軽く持ち上げられる。手が背中に触れた途端、心臓が軽く跳ね上がった。今度は男の時と同じような感じ。だけど以前より、もっとすごいかもしれない。胸が膨らんだ分、鼓動音の響きの通りがよくなっているんだろうか。

 再び前に回された手はスカーフの形を整え、最後にクリップで止めた。


「はい、完成です」

 俺は自分の胸元のスカーフを見やった。

「おお、惚れ惚れするぐらいきれいにできてるな」

「ほっ、惚れ惚れなんて……。そんな、大げさですよ」

「大げさもんか。他の女子のよりも、きれいに見えるよ。よし、帰ったら俺も同じようにできるまで猛特訓するぞ!」

 拳を握りしめて決意すると、背後からくすくすと笑い声が聞こえた。


「ん、どうした?」

 振り返ると、ティアは慌てた顔で手を左右に振った。

「あ、いえ、その。えっと……」

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