一章3 『目覚めたら俺は』

 ぼんやりと霞んだ意識。

 水の中にいるかのような、ぼんやりとした感覚。

 だが瞼越しでも明るい。ここは地上、現実なのだろうか……。

 重たい瞼を持ち上げると、眩さに目が痛んだ。

 慌ててまなこを閉じる。


 なんだ……?

 気持ちを落ち着けて、冷静に考える。

 日光じゃない。多分、それよりも眩しい。光量が強いか、光源が近いかのどちらかだ。


「あ、目が覚めたようですよ」

「そうか。じゃあ、ライトを消してくれ」

「了解いたしました」

 明るさが薄らぐ。それでも完全な暗闇ではないのだろう。瞼で作られた闇に、淡く光が滲んでいる。

 ふと嗅覚が消毒薬の臭いを捉えた。どうやら医務室用のようだ。

 恐る恐る目を開く。


 二人の女が、俺のことを覗き込んでいた。

 一人は着崩したスーツの上から着物の上着を羽織った、赤いベリーショートヘアの女性。ボーイッシュな空気感が漂っている。緑のツリ目がいやに腹立つ。

 反対側から覗き込んでいるもう一人少女が覗き込んでいた。巫女服とブレザーを混在させたようなうちの学生服を着た、白髪ツーサイドアップ。小さな顔は丸っこく、まだ幼さが残っている。大きな青い瞳はサファイアのようにきれいだった。


 記憶が水底から浮上してくるように、思考に定着するのがわかった。

「……エンジュ、と……」

 そう、着物スーツの女は武鹿地エンジュ。

 武鹿地が苗字だが、最後のちの発音が面倒なのでエンジュと呼ぶようにしている。


 唾棄したくなることに、亡き両親に代わって俺のことを育てたヤツだ。抱きしめたくはないが、ギロチン・チョークで締めたくはなる。

 性格の悪さが限りなく底辺に近く、この先の生涯ずっと善行を積んだところで免罪には至らないだろうというほどである。

 所長だの校長だのとやたら肩書きを引っ下げているのも鼻につく。


 で、もう一人は……。

「誰だ、お前?」

 自分の声音に、ふと疑問を抱いた。

 あれ、いつもより高くね? ……と。


「あ、お初目にかかりますね。わたくし、所長のお手伝いを色々とさせていただいております。ティア・ポテンというものです」

「ティア……。ああ、なんか聞いたことあるな。確か、円寿がやたら自慢してくる助手とやらだ」

「え、あ、そうだったんですか」

「ああ。飛び級するぐらいに超優秀だから他の教授にとられる前に確保に成功した。この先従順になるようにゆっくり調教し……」

「あんたちょっと黙りな」


 パンチを食わされた。パンじゃない、げんこつの方だ。拳が口の中にまるまる入っていてきやがったんだ。言っておくが俺の口はそこまで大きくないし、円寿の手だって決して小さいわけじゃない。じゃあなんでそんなことにっなったんだって訊かれても困る。俺としてもぜひ延寿を問い詰めたいところだが、言葉を発するどころか息もできん。めっちゃ苦しい。


「ちょっ、そんなことしちゃダメですよ! 天神さまが可哀想です!!」

「平気、平気。これぐらいで壊れるような、ヤワな鍛え方はしてないから」

「でも、今の天神さまは……、えっと、その」

 なぜか途中で言い淀むティア。頼むから早く邪知暴虐(じゃちぼうぎゃく)の主を糾弾してほしいのだが……。


 やがてティアは顔を真っ赤にし、意を決したように続きを口にした。

「おっ、女の子なんですからっ!」

 頭の中のギヤが一つ、カランと地面に落下したような音がした。


 ……はい?

 思考がぴたりと止まる。

 今、ティアはなんて言った?

 記憶のムービーを編集し、ティアの発言を一つにまとめてみる。

 今の天神さま/女の子なんですから

 となる。


 俺が、女の子。

 ……なんの冗談だ?

 エンジュが何か突っ込むだろうと見やったが、ヤツはため息を吐き。

「……それもそうだな」

 とあろうことか納得し、手を引っ込めた。


 俺は咳き込みながらも呼吸を繰り返す。

「大丈夫ですか、天神さま?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる、ティアの瞳。


 そこに移り込むのは俺自身のはずなのだが。

 我が目を疑った。

 眼前の己(おの)が姿。

 それはそれは世にも愛らしい、ブロンドの少女だった。


「ちょっ、え、ええっ!?」

 驚きのあまり跳ね起きた、その拍子に。

 ゴチンッ! 鈍い音が鳴って、脳がグワンと揺れた気がした。


「いってぇ……」

「いたた……」

 二人して額を押さえ各々よろよろと倒れ、うずくまって呻いた。視界が涙で滲み、額がヒリヒリと痛みを訴えてくる。

「何をやってるんだ、あんた等は」


 呑気に頬杖ついて眺めてやがるエンジュに、俺は怒鳴った。

「おいエンジュっ、俺の体に何しやがった!」

「何をしたかと問われれば、答えてあげるが世の情け」

「ふざけてないで真面目に答えろよ!!」

 執拗に詰問すると、エンジュはやれやれと肩を竦めた。

「性格は女の子になっても変わらんね」

「やっぱりお前が犯人か」


「まさしく。まあ正確には、あたしは医者に命じただけだがな」

「それでも十分に元凶じゃねえか!」

「まあそう怒りなさんな。それより、生まれ転がった自分の姿を見てたまえ」

「性転換のせいは生まれるじゃなくて性別の方だっての」

「細かいことはいいから、ほら」


 目の前に掲げられた鏡には、より鮮明な自分の姿が映っていた。


 やっぱりこの子、超可愛い。日系の顔立ちだが鼻がやや高く肌が白く澄んでおり、顔の輪郭がすっきりしている。それ等はブロンドヘアとバッチリマッチしていた。

 灰色のツリ目はやや気が強そうだが、その分美麗さを生み出している。まさに高嶺の花的なイメージ。

 自分の滑らかで張りのある肌に手を滑らせる。触れ心地がよく、指を這わせているだけで幸福感のあまりうっとりとしてしまう。

 胸の辺りは、やや大きめだろうか。揉む指に力を籠めると、沈み込むような感触を味わえる。

 腰はきゅっとくびれており、お尻は弾力がある。

 腿は男の時より柔らかい。膝枕をしたら、さぞ気持ちいいことだろう。


 グレート。ほぼ完璧な、理想の女の子である。

 もしも違った出会い方をしていれば、俺はこの子を口説いていたかもしれない。

 だが運命は残酷だ。

「どうしてっ……、どうしてこの子が俺なんだよぉオオオオオ!?」


 嘆きの声を張り上げ、両手で蒲団を叩いた。さっきとは違う、胸から来る涙がぽたぽたとシーツを濡らした。


「チクショウ……チクショウッ……! 俺は可愛い女の子のためだったら、なんだってするってぇのに……! 身分違いだとのたまう大人も、血縁者を阻む法律も、種族の壁だってまとめてぶっ飛ばしてぶっ潰してぶっ壊す覚悟があるのにッ! ……さすがに、さすがに自分自身ってのは無理だってぇえええええのッッッ!!」

 喉が張り裂けんばかりに叫んだ。

 いくら泣いたって現状が改善されるわけじゃない。しかしそうわかっていても、感情の昂(たかぶ)りは止めようがなかった。


 そんな俺の肩をぽんぽんと叩いて、エンジュは言った。

「そう悔しがることはないだろう。男児たるもの、一度は可愛い女の子になってみたいものじゃあないか?」

「うっさいやい! 大体、どうして俺を女の子にしたんだよ?」

「いい質問だ」

 生まれて初めて聞いた部類の褒め言葉だった。問うことで学習意欲が高いと目上の者から認められ、かけてもらえる。授業中に安眠を貪っていれば、一生耳にすることはない。つまり俺にとって最高レア度のワードだ。まあ、ちっとも嬉しくないが。


「なぜ女にしたか? その答えは、お前がポンコツ同然だったことにある」

「……まるで答えになってないように思えるが?」

「それを理解してもらうには、ちょいと込み入った話が必要だが……」

 あーめんどっちいな。おそらく今のエンジュの心中はこんな感じだ。


 ふと脳裏に閃くものがあり、言ってみた。

「……もしかして、俺が身機としてポンコツなことと、何か関係があるのか?」

 エンジュは「ほぅ」と感嘆の声を漏らしてこちらを見た。


「なかなか冴えてるな。早速性転換の効果が出てきたか?」

「……性転換と直勘の間に何か因果関係でもあるのか?」

「さあ?」

 両手を広げて肩を竦めるエンジュ。


 激情に突き動かされて握り拳を作ると、ティアが慌ててフォローを入れてきた。

「じょ、女性の方がシックスセンスに優れていると言いますし! 性転換がまったく関与していないとは言い切れないのでは?」


 せっかく出してくれた助け舟を、あろうことかエンジュは撃沈しにかかる。

「そうか? だったら麻雀(まーじゃん)は必ず男より女の方が強いことになるぞ」

「え、あ、それはその……うう」

 上手い返しが思いつかなかったのか、ティアは涙目になる。

 あまりにも彼女が可哀想だったので、俺は仕方なく作った握り拳を解いた。

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