一章2 『意識の有無』

『天神っ! そのままじゃ根路の身体が保たない、自身の陰陽力をコントロールしろ!』

 できない。できるはずがない。

 俺の体の発熱は、抑えられない。


 なぜかって、この女子と一体になっている状態で、興奮しないのが無理だからに決まっているッ!

 熱気によって垂れる汗、漂う甘い香り、赤面した頬!

 はぁはぁと漏れ出る吐息の掠れるような声、温かく湿った感触、ゆっくりと上下する身体に揺れるおっきいおっぱい!


 根路の辛さが手に取るようにわかり、なおかつ俺自身の感覚神経がもたらす快感の混ざり合った、気が狂ってしまいそうなほどの、苦楽の猛烈なせめぎ合い、酔いしれるような感覚といったら!

 まさしく眩暈(めまい)のするような魅惑のマリアージュ!

 火照った根路もといブレゼと流れ出るボワッソン。五感を悦楽へと導く極上のフルコースだッ!!

 エクスタシーが増大するほどに、力が漲(みなぎ)ってきやがる!!


 身体の制御権が根路から俺に移った。

 自由に動けるようになった途端、俺は興奮に突き動かされるように走り回り、跳躍し、目につくものをひたすらに、手に持っていた刀で斬りつけ、迸る思いのまま吠え猛った。


「うはっ、ははっ、ハアッハハハハハ!! 堪んねえ、堪んねぇええよッ! すっげえ、とんでもなく気持ちぃいいいいぜッ! 今の俺ならなんだってできるッ、この世界を変えることだって、ぶっ壊すことだってできらぁあああああッ!! うはははっ、はひゃひゃひゃひゃひゃッ! 俺のもんだぁっ、この力も世界も何もかもッ! ぜぇんぶぜぇんぶ、俺のもんにして、叩き潰してやるぜェエエエエエエエエエエエッ!!」


『クソッ、また暴走か! おいお前、強制解除音を流せ! 大音量でだ!!』

 それからすぐに、俺の聴覚を不快な音が占めた。

「ぐぁああっ!? ちっ、力が……っ、俺の力がぁあああああ!?」

 まるで頭が割れそうなほど高い音、それから地獄の底から響いてくるような低温が不規則に流れる。


 全身から力が抜けていく。心の動きが鈍くなっていき、何も考えられなくなってくる。

 やがて変化が維持できなくなり、鋼鉄の体から、紅い光玉が溢れ始める。

 感覚神経がすべからく消え失せ、目の前が暗くなっていく。

 そして俺の意識は、こと切れた。


   ●


 声が聞こえた。

 この声、どうも馴染みがあるような気がするんだが……。

 ダメだ、頭が重い。すぐ近くの記憶にすら、手が届かない。体も動かない。

 夢を見ているのか?

 にしてはこの空気が耳をくするような声は、かなり現実的なものの気がする……。


『今回も失敗ですね』

 落胆した少女の声。

『クソッタレ! コイツ、陰陽力と身体能力はバカみたいにあるんだが……』

 続けて成人女性の怒鳴り声が間近で聞こえたと思ったら、冷たい水滴みたいなものを顔に感じた。状況から推察する唾だろう。きったねえ……。


 絶対にこの女知ってる気がする。でもあんまり、顔を見たい気は起きない。こんな尋常じゃないキレ方をするようなヤツだ、絶対に性格が悪いに決まってる。

 もしかしたら女のことを思い出せないのは、単に自己防衛機能が働いているせいなのかもしれない。


『あっ、所長が顔を覗き込んだ途端、眉をしかめませんでした?』

『気のせいだろう。インド象でも丸一日は眠る麻酔を打ったんだぞ』

『ですが、仮にも化人(かじん)ですよ。もしかしたら……』

『はははっ、バカ言うな。その化人にも効果を表すように調合されたのがこの麻酔だぞ。万が一にも意識が戻ったら、ヘソで湯を沸かしてやる』


 なんと。それはぜひとも見てみたいな。

 しかし意識はあれど、体が動かない。

 くそっ、動け、動け、動け! 今動かなきゃ、あの女の恥辱塗れの姿を見逃しちまうだろうが!

『まつ毛が震えてますよ。やっぱり意識あるんじゃないですか?』

『バカを言え。ほら、鼻をつまんでもぴくりともしないだろ? 普段のコイツなら間違いなく飛び跳ねて、蹴りの一発でもかましてくるぞ』


 ふごっ、ふごごごっ、ふーごっごっごっごっご!?

『可哀想ですよ、意識がないからって……』

『それもそうか』

 鼻が解放され、息が楽になる。

 あーっ、しんどかった……。


『表情が穏やかになりましたね』

『生理的反応だろう。これぐらいなら意識がなくたって起こりうる』

『うーん、そうなんでしょうか』

 少女がいくら言っても女性は真面目に取り合わない。

 俺も声を上げたいのはやまやまだが、指先すら言うことを聞いてくれない。変化時の光玉の時みたいだ。


『さて、どうすべきかなコイツ。人間だから、スクラップにするわけにもいかないしな』

『ひっ、酷いです! 天神さまだって、望んで暴走したわけじゃないのに……』

『冗談だ、冗談。あたしだってそこまで鬼じゃない』

 心臓に悪い冗談だ。もしも体が自由に動かせていたら、そのふざけた口を地面とキスさせてやったのに。


『しかし本当にあたしは悩んでるんだぞ。なんせ特待生入学させたコイツがまるで使い物にならないんだからな』

『天神さまは物じゃありません!』

『例えだよ、例え。そう噛みついてくるな、犬か』

『わたくしはその、猫派ですが……』

『悪癖を治せれば、どうにかなるかもしれんが……』


 女性がいかにも悩んでますって感じの唸り声を上げる。

 それに少女がきょとんとした感じで尋ねた。

『なんですか、悪癖って』

『決まっているだろう。暴走する原因のことだ』

『暴走する……原因?』


『……まさか本当にわかっていないのか? 天神が暴走するのは、搭乗している女に興奮しているせいだ』

『ええーっ!?』

 すっごくビックリしましたって響き。寝耳に水な気持ちを味わっているのだろう。

 チッ、あの粗暴そうな女のせいで、俺の悪評がまた一つ増えちまったじゃないか。


『普段は温厚そうな仮面を被っているが、それを外せばあのザマだ。まるで餌に飢えた狼だな』

『そっ、そんな言い方……』

『言っておくが、弁護は無駄だ。天神について詳しいのは、ずっと一緒に暮らしてきたあたしだ』


『……でも所長、人を見る目はあまりないような』

『人事採用から完全追放されたことを言ってるのか?』

『あ、その、えーっと……』

『まあいい。その話は後にして、まずはコイツの処遇だ』


『……あの、所長』

 少女の声音が突として真剣さを帯びた。

『わたくしが、天神さまの搭乗者になってはダメでしょうか?』

 初めてだった。自ら俺の搭乗者を名乗り出てくれたヤツは。

 ソイツの顔を見てみたい……が、どうしても目が開かない。

 クソッ、なんなんだよこのポンコツな体は……!


『あんたが、か?』

『はいっ』

 盛大なため息が聞こえてきた。

『ダメに決まっているだろう。異国からの留学生に万が一のことがあったら、どう責任を取ればいいんだ?』

『でも……わたくしなら、もしかしたら!』

『あんたの特異性は認める。適合する可能性もあるかもしれない。それ等を考慮してもリスクの不安の方が勝るんだよ』


『……どうしても、ダメですか?』

『そうだな。なんの対策もしていない状態で留学生の身を危険にさらすのは、デメリットが大きすぎる』

 少女はしばし沈黙した後、ぽつりと言った。

『……もしも天神さまが女の子なら、こんなことには……』


 二人から声が失われる。

 かなり長い時間が経過した。

 その間、音量をゼロにしたかのように静かな時間が長く続いた。


 やがて女性が言った。

『それだ……、それだよそれッ!』

 呆然とした呟きから、歓喜の叫びへと。彼女の興奮に至る様子が、声の調子だけで手に取るようにわかった。

 少女が『えっ、……え?』と戸惑い気味に同音を繰り返している。


 ……なんだか、急激に意識が薄らいできた。麻酔とやらの効果がぶり返してきたのかもしれない。それと共に、声が遠のいていく。

『天神が……なら、……を、女にすれば女に……かもしれない』

『でも、……説明も……、いきなり……が女に……驚くかも』

『……ものか。…………暴走……むしろ感謝…………』

 ああ、ダメだ……。

 指の隙間から零れていく水をどうすることもできないように、俺の意識は深い闇の底へ沈んでいった……。

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