一章1 『愛は暴走する』

 女の子から警戒心を抱かれる。

 思春期の男子ならば、まあよくあることだろう。


 アイツは女遊びが激しいから気をつけろ。だとか。

 ○○くんはこの前、エロ本コーナーの前にいたからきっとエッチなヤツだとか。

 あの野郎はなんとかちゃんを泣かせた酷いヤツだから、敵だ。とかさ。


 まあどれもこれも、友人の間で笑い話になるような、可愛いもんだ。進学するなり就職すれば、忘れてしまうぐらいささやか。いじめの温床になるような危険性は孕んでいるが親に理解があれば、引きこもって逃げることだってできる。

 大分マシな悩みだと思う。

 俺と比べれば、な。


 今、すぐ傍にいる女子に向けられている視線。

 それは常軌を逸した恐怖を孕んでいた。


 あまり会話をしたことがないが、クラスメイトだ。

 同じ教室で机を並べて、毎日授業を受けている。


 ただまあ、その教室でも俺は浮いていた。

 変わり者というよりは、腫れ物扱いだった。いるだけで空気が白けて、迷惑がられる。


 そんな俺とこうしてペアを組まされている。大人から命令されて。

 女子が表情に浮かべているのは恐怖だ。

 ただの恐怖じゃない。

 学校一の強面(こわもて)教師を前にしても、こんな風にはならないだろう。

 隣にいるのが俺だからこそ、女子は顔面を蒼白しているのだ。


『そう緊張することはない。これは実践ではない、あくまで訓練の一環だ』

 ワイヤレスイヤホンから聞こえた成人女性の声に、女子は震えながらもうなずく。


 俺はため息を吐いて、周囲を見やった。

 呆れるぐらいに縦にも横にも広い空間。


 ここはまるで一昔前の映画に出てくる、架空の電脳世界を模したかのような内装だ。

 青と銀を混ぜたかのような、天井、壁、床。

 そこを緑色に光った直線や曲線が走っている。

 背後にはドア。俺達が入ってきた場所だ。

目の前の壁の上部に、強化ガラスが張られている。そこに大人たちがおり、俺達の一挙手一投足を観察しているに違いない。


『今回の訓練は、もう何度も行っている変化と搭乗。それに動作確認。何も難しいことはない。肩肘張らず、いつも通りにこなせばいい』

 成人女性は女子の緊張を解くためか、らしくない優しい声音で語りかけている。

 しかし女子の表情は一向に変わらない。かなりデカい左胸にやった手が、微かに震えていた。

 おそらく俺が隣にいる限り、彼女の恐怖が和らぐことはないだろう。


 聞こえはしなかったがなんとなく雰囲気で、女性がため息を吐いたのがわかった。

『……では、訓練を開始する。二人共、準備をするように』

 女子が唾を飲み、両拳(こぶし)をぎゅっと握った。


 彼女の全身をぴったりと覆った強化衣装、正式名称を光影の装束というが、通称は横文字のスーツなのだから命名者は浮かばれない。スーツというのはまあ装甲のついた全身タイツのようなものだ。それはある仕組みによって、外気の温度を身体にとって快適なものに変える処理がなされている。


 だから着衣者の女子は、寒い思いをしているはずがない。デザインは違えど同じものを着ている俺も気温は快適なのだから。

 にもかかわらず、女子はさっきから震えが止まらないようだった。もしも彼女が寒さを感じているのなら、それは外ではなく内からによるものなのだろう。


 俺はどうにか震えを止められればと思い、できるだけフレンドリーさを心掛けて声をかけた。

「えーっと、根路(ねじ)さんだっけ?」

 根路は一際大きく体をぶるっと震わせながらも、うなずいてくれた。


「うっ、うん……。えっと、根路登芽流(とめる)……だよ」

 丁寧にフルネームで自己紹介された。

 となれば礼儀上、俺もそうするべきだろう。


「俺は天神(てんじん)ソアラだ」

「知ってる……。一年の時も、同じクラスだったし」

「そうか」


 ならなんでお前は名乗ったんだ、と訊くのは野暮というヤツだろう。

 俺がぼっちだから知らないのかもしれないと、気を遣ってくれたのかもしれない。


「今日はよろしく」

 友好の第一歩は握手から、と手を出すと、根路はビクッと虫でも見たかのように大きく後ろに退いた。

 握手だけに、悪手だったか……。二重の意味で悲しくなった。

 ただ根路さんには血も涙もあったようで、おっかなびっくり手を伸ばしてきた。


 零四(れいよん)という特殊素材越しに指が振れる。手が握られる。

 根路の手にはまるで幽霊のように力が入っていなかったが、形にはなった。根路は唇をかんで何かに耐えるように体を強張らせているが、それでも少しは心の距離が近づいたはずだ。


 別段、これから行うことに友好や信頼なるものが必要かどうかはわからない。

ほぼ百パーセント失敗に終わると俺も根路も、大人たちさえ思っている。

 気休めでどうこうできるものじゃない。


 だとしても。

 俺は信じたかった。

 もしもバディときちんとした信頼関係が築けたなら、その時初めて、成功するのだと。

 こんな絶望的な日々が終わりを告げるのだと。


 でないと、あまりにも惨めだから。辛すぎるから。

 その思いが伝わったのかどうかは、わからない。

 だけど根路は怯えを残しつつも、しっかりと俺の目を見てきてくれた。

 震えながらも、握る手にしっかりと力を込めてくれていた。


 俺は唾を飲みこみ、言った。

「じゃあ……始めるぞ」

 根路はうなずき、かすれた声で「……うん」と返してくれた。

 繋がれていた手が解かれる。それでもきっと、生まれた心の結びつきは離れていかないはずだ。


 俺は根路の背後に回る。

 無防備の背中。短く切り揃えられた黒い髪の下に、スーツに覆われたうなじが見える。

 近づいて行くと、視界が髪に占められていく。


 最後の一歩を詰めると、根路と俺の体が密着した。

 感じる。スーツ越しに彼女の体温が。コンディショナーの爽やかな甘い香りが。微かな身動きさえも、伝わってくる。

 そっと根路の肩の上から手を回す。ちょうど後ろから抱きしめる形になる。胸が大きいからか、気を付けてきたはずなのに手が微かに触れてしまった。


 今まで何人もそうしてきた。

 その度に、悲しくなる。

 すべての女子が皆、俺に怯えている。その事実が心を抉ってくるのだ。

 どうして生まれてきてしまったんだろうとさえ、思う。

 だがそんな苦しみも、これからのことが上手くいけば――報われるはずだ。


 俺は息を吸いこみ、唱える。

「我が身に宿りし魂よ、この身をただちに再構築したまえ。操呪士(そうじゅうし)を乗せ、悪しき化け物と戦う姿に。肉も骨も共に砕きて鋼鉄の体躯へと変じ、いざ成らんッ! 強大なる力を持ちし身機(しんき)へとッッッ!!」


 詠唱を進めれば進める程に体が熱くなり、表皮から――いや、血液から紅き光が発せられる。

 そして唱え終わった瞬間、明確な変化が起きた。

 体が重力から解放されたように軽くなり、体から淡い紅い光玉(こうぎょく)が立ち上り始める。

 その光は根路を取り巻くように、彼女の周囲を回り始める。


 やがて俺の体は完全に紅玉のみとなり、感覚神経が変化していく。

 あらゆる感覚が一時的に全て根路にのみ向けられる。


 さっき以上に直接的に、彼女の体温を感じた。加えて心臓の鼓動音も、指先からつま先までの動き、毛髪の揺れ、発汗から唾液の分泌まで。

 つまり俺は根路の感覚を追体験しているのだ。神経のリンク。今はないはずの自分の身体にゾクゾクと震えが走ったのがわかった。


 それだけじゃない。俺は根路を他者的な観点からも感じていた。

 彼女の顔、スーツに包まれた肉体の隅々、毛のほつれから、肉感の柔らかさまで。

 根路の全身を客観的にも捉えていた。

 外からも内からも、一人の女子の何もかもを俺は感じている。


 ふいに感覚神経に自分のものが混じり始める。無論、混じるだけで今までの体感が消えたわけではない。最初の頃は情報の多さに混乱したが、何度も繰り返いしている内にすっかり慣れた。

 視界に我が身が映る。

 身体はデカい、鋼鉄の素材へと変わっていた。地面がすごく遠くに見えるが、視力が上がっており、いつもより鮮明に見えるぐらいだ。

 体重はその割に重くない。ただ自分で体を動かせるわけではないから、まだそこまで実感はない。


 俺の身体の制御権は今、操呪士(そうじゅし)である根路に委ねられている。彼女がそれを放棄しない限り、それを自由にする権利はこちらにはない。

 その根路は今、ものすごい猛暑に見舞われていた。

 発汗が凄まじく、深刻な脱水症状に頭痛さえ覚えている。当然、それ等の不快感はこちらも受けている。


 猛暑の原因は、他でもない俺のせいだ。

 鋼鉄の体は、真夏の日射を浴びたコンクリートのように尋常じゃない熱さまで温度が跳ね上がっていた。

 室内の温度は変わらない。この鋼鉄の体自身が熱を発している。

 ああ、ヤバい。この状態が続けば、根路の命が危うい。

 わかっている、わかっているのだが……。

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