第3話「初デート」

 あたしは10分前には、待ち合わせ場所に着いている主義だ。

 水族館の最寄り駅を出てすぐの所で、梓を待つ。

 先輩を待たせるなんて、ホントにいい度胸した小娘だ。誘ったんだから、普通30分前には来るべきだろう。

 5分前に、梓はやって来た。時間よりは早いが、あたしより遅い時点で失格だ。

「遅い!」

「す、すみません! 珠子先輩、早いですね」

「10分前行動なんて、社会人としては当たり前でしょ。まったく……今日はアンタがあたしをエスコートする側なんだから、しっかりしなさいよね」

「はい! きっちり挽回します!」

 と言うと、梓はジッとあたしを見る。なぜか頬を赤く染め、見惚れているみたいだ。

「な、何よジロジロと。あたしの顔に何かついてる?」

「えっ! ええと、あの、お洋服が……」

 梓はしどろもどろに答える。

「その、会社にいる時の先輩と、雰囲気違っていいなあって……」

 結局服は白のチュニックワンピースにした。確かにこういう服は、会社ではあまり着ない。

「いつもはキリッとしていて、かっこいいですけど、今日はちょっと可愛いです。そういうお洋服も、とってもお似合いです」

 あまりにストレートな褒め言葉に恥かしくなって、顔がカッと赤くなるのを感じた。

 ピンクの花柄ワンピースなんて着こなしてる女に、可愛いとか言われても困る。

 やっぱり梓相手にこんな服着て来るんじゃなかった!

「たまたまこれくらいしかなかったの! ほら、あたしの服なんかどうでもいいから、早く行くわよ!」

「はいっ! 先輩!」


 休日ということもあって、水族館は家族連れ、学生グループ、それからカップルなど、たくさんの人で賑わっていた。 

「ここはクラゲが有名みたいですよ~」

「そうなの?」

「こーんなにおっきい水槽に、クラゲがたくさんいて光っているらしいです」

「えっ何それ。キモい」

「キモくないですよ~」

 梓はぷくっと頬を膨らませる。クラゲというより、フグだ。

 そうやって話しながら、人の流れに沿って歩いていると、やがて一際大きな水槽の前に辿り着いた。

 そこには群れを成した数え切れないほどの魚や、大きなマンボウがゆったりと泳いでいた。

 魚って本当に不思議な生き物だと思う今でこそ彼らは水の中でも呼吸ができることを知っているけど、小学生くらいの頃は、本気で息が苦しくないのか心配したものだ。

そういえば、昔はやたらと水族館が怖かったことを思い出す。

薄暗い空間の中を無数の魚が泳いでいる様子が、子どものあたしには巨大な別の生き物に見えたのだ。

その怪物が、分厚いガラス越しとはいえ、こちらに向かって来る。そうすると、足が竦んで動けなくなって、あたしは母や兄の腕にしがみついていた。

今はもう怖くない。怖くないけど、やっぱり圧倒されてしまう。

そう思っていると、不意に左手を握られた。

もちろん、梓だった。

「ちょっと、何よ」

 小声で咎めると、梓は締まりのない笑みを浮かべた。

「だって、デートですよ? それに、先輩がなんだか怖がってるなあって……」

「怖い? あたしが?」

「私の妹も、ちっちゃい頃水族館で泣いちゃって、こうやって手を繋いであげたんですよ」

「あたしはアンタの妹じゃないし、怖がってもない」

「す、すみません。あの、でも私が手繋ぎたかったのは本当ですから、もう少しだけこうして……」

「女同士でイチャイチャ手繋いでも面白くないわよ」

「ただの女同士じゃないです。こ、恋人です……」

 梓はどうしても手を繋ぎたいようだ。

 まあ傍目には、あたし達は仲の良い姉妹か親戚くらいに見えているだろうし、どうせこの人ごみと薄暗さでは大して目立たないだろう。

 諦めて、そっと握られた手を握り返した。

「仕方ないわね。ここ出るまでよ」

「はい。嬉しいです」

 梓の手は少し汗ばんでいた。


 結局、やはり人の目が気になるのか、しばらくすると手を離してしまった。

 それでも目玉というクラゲの大水槽を目にすると、梓は目を輝かせた。

「先輩、クラゲですよ!」

 目に飛び込んできたクラゲのアクアリウムは、想像していたよりずっと綺麗で、思わず息を飲んだ。

「すごい……」

 うっとりと呟く梓を見て思う。

 もしかしたら、あの時怖いと感じていたのは、梓の方だったのかもしれない。でも平気なふりをしていた。

 いくら強がって見栄張ったって、あたしは梓を好きにならないのに、健気なことだ。

「先輩、イルカショーの前にお昼にしませんか?」

「そうね。ちょうどおなかも空いたし」

「イルカの後はペンギンが見たいです」

「アンタってホント子どもね」

「え~ペンギン可愛いじゃないですかあ~」

「まあ、否定はしないけど」


「うう……すみません……」

「別に……仕方ないでしょ」

「私のせいです。すみません……」

「イルカショーなんて、そんなものよ」

 昼食後、梓は「場所取りは20分前が鉄則です!」と張り切って、席を取った。そこは最前列で、案の定あたしは盛大に水を被ったのだ。

 今はタオルで拭いたため、辛うじて濡れネズミ状態は脱した。残暑の9月の気温ならもうすぐ乾くだろう。

「せっかくの先輩のオシャレな服が台無しです。あと、風邪ひいちゃいます」

「ひかないわよ」

「いいえ! ちゃんと弁償します!」

 しかし梓はこう言って聞かないのだ。告白された時もそうだったけど、梓は本当に頑固だ。だから年上のあたしが折れるしかなくなる。

「はあ……じゃあこうしましょう。アンタがあたしに合う服を見繕えばいいわ。どうせこれからそこのモールに行くんでしょ?」

「ええっ⁉ そんなことしていいんですか⁉」

「ただし、代金はそっち持ちだからね」

 梓は大きく頷いた。


 結果として、あたしは自分の選択を後悔した。

「珠子先輩! これはどうですか⁈ やっぱり先輩には、クールな青だと思うんですよ!」

 とスキニージーンズを持ってきたり、

「ピンクのもいいですよね~ちょっとガーリーすぎて先輩のイメージとは違うかもしれませんけど、私的にはギャップ萌えって感じです!」

 とフレアスカートを持ってきたり、

「こっちのキャミソールは……あ、露出度高すぎますね? 先輩は二の腕もとっても綺麗ですけど、あんまり男の人とかにジロジロ見られたら嫌ですもんね……」

 とシュンとしながら棚に戻したり、もう散々だった。

 あたしは呆れたので言ってやった。

「そこのTシャツとズボンでいいわよ……」


 買い物に思ったより時間がかかってしまい、着替えてお茶して帰る頃には、もう日が暮れかかっていた。

「あー……久々にめっちゃ遊んだわー」

「楽しんでいただけたなら、良かったです」

「いや楽しんではいないわよ。歩き回って疲れたし、水は被るし、着せ替え人形にされるしで、もう散々」

「それは……すみません。でも、先輩に似合う服なんて、ありすぎて選べませんよ!」

「アンタ、あたしに夢見すぎでしょ」

「そんなことありません。珠子先輩は素敵な人です。だから、大好きなんです」

 梓は顔を真っ赤にして言う。その顔が赤いのは、夕日のせいかそれとも……なんて、使い古されたフレーズが浮かんだ。

 あまりに真っ直ぐすぎる言葉に、こっちまで雰囲気に飲まれそうになる。

「ま、でも悪くはなかったわ。一日中遊んだのとか、学生の頃以来かもしれないし。男とのデートより気楽だった」

 それから、妹がいたらこんな感じかなとか柄にもないことを考えた。

「じゃ、じゃあ! 私のこと好きになってくれましたか⁉」

「それはない」

「そ、そうですよね……私ダメダメでした。いっぱい考えてきたのに……」

 梓は分かりやすいくらいしゅんとした。捨てられた子犬か。

そんな風に他愛のない話をしながら歩いていると、やがて駅が近づいてきた。

梓とは方向が別だから、ここで解散だ。

「まあデートなんてそんなものよ。現実知れて良かったでしょ。あたしはこっちだから、お疲れ様」

「あの、珠子先輩! 最後にちょっとだけいいですか?」

「何よ?」

「手、出してください」

 言われるがまま、あたしは手を差し出した。

 すると、梓はあたしの手を取って、恭しく口づけた。

 まるで物語の王子様がお姫様にするみたいなキス。噴水の前なのがまたベタだ。

 小さい頃夢見たシチュエーションが、今目の前で起きているという事実に、あたしは恥ずかしくて心臓がついていけなくなりそうだ。

 というか、誰かに見られていないか心配だ。

「ちょ、ちょっと! 何してんのよ!」

 慌てて手を振りほどいた。

 梓はいたずらを咎められた子どもみたいに笑って言う。

「デートの終わりにキスって、ロマンチックでいいと思いませんか?」

「い、いいけど……なんで手の甲なのよ」

「先輩、まだ私のこと好きになってくれてませんから……いつか、その時まで我慢します」

「その時とかないから!」

「でもまだ2ヶ月あります」

 晴れやかな笑顔でそう告げる。確信しきった顔に、さっき妹みたいだなんて思ったことを後悔した。

「た、たった2ヶ月でしょ! さよなら!」

 不覚にもときめいて赤くなった顔を見られないように、さっさと背を向けた。

 ああっもう! やっぱりアイツは嫌いだ!




 

 



 


 


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