第74話 混迷

「これは笑い話なんだけど、僕、最初は女だと思われてたっぽいんだよな」


 切るのが億劫だからという理由で髪を伸ばしっぱなしだったのがいけなかった。邪魔と言えば邪魔だったが、理髪店に行って店員に話しかけられる方がよほど面倒だった僕は、髪の毛を後ろでくくって日々の生活を送っていた。

 幼少の、まだまだ性差がはっきりしていない時期だ。その中でも僕はとりわけ線が細い方だったし、ヘアスタイルで性別を判断されるのもおかしくない。……おかしくないが、当初発生したいくつかの話の食い違いが勘違いによるものだったと気づくまでには少々の時間を要した。


「香月くん、今でも割と中性的だものね」

「未だにそこそこコンプレックスの女顔が、ガキの頃はどうだったかって話なんだ。あいつ、隙を見つけては三つ編みにしようとしてくるもんだから、初めはそういう妖怪かなにかかと思った」

「三つ編み……三つ編みね」


 目を細め、芦屋が僕を検分する。なにを考えているかはおおよそわかるが、男子高校生の三つ編みなどただただ見苦しいだけなので勘弁。それに、今となってはそうやって遊べるだけの毛量もない。

 なんとなく、後頭部に触れる。読書中の僕の背後に陣取り、やけに楽しそうに髪をいじって笑っていた昔のすずを思い出す。注意しようにもなんと言えばいいかがはっきりしなくて、結局やらせっぱなしになったんだったか。そもそも当人はそのいたずらを気づかれていないものだと高をくくっていたらしいが。


「幼稚園から逃亡した僕だから、同世代の人間とどう接するかなんてまるでわからない。ましてや相手が女子となればわからなさの二重攻撃でもはやどうにもならなかった。ほんと、あの当時はなすがままされるがままというか、なんというか」

「でも、それが結果としていい方向に作用したと」

「ああ」


 そもそも僕が幼稚園を離脱した理由の一つに、環境への適応があまりにも下手くそだったことが挙げられる。遊んで踊ってはしゃいで騒ぐ同年代のパワフルなちびっこたちに、僕は付いて行くことができなかった。結果として部屋の隅で椅子に座ってぼんやりしているだけのはぐれものが誕生するわけなのだが、実のところ、そうあること自体に不満はなかった。自由時間になにをしようが咎められるものでもないし、馴染めないなりに自分ができる最大限の配慮が輪から外れることだと考えていた。

 でも、どこにだってお節介焼きというのはいるものだ。先生なり、同じ組の男子だったりが、何度も遊びに誘ってくれた。それは、素直にうれしかった。僕とて、積極的に人から離れていきたいわけではなかったから。ただ、どう近付けばいいかがさっぱりだっただけで、助けてくれるというならそれに便乗するのもやぶさかではなかったのだ。

 問題は、その先。


「善意からの打算なき行いは素晴らしいものだと思うんだけど、それって助けられる側は結構プレッシャーかかるんだよ。助けてもらったなら、きちんと助けられてあげなきゃいけないっていうか。手を差し伸ばされた時点で、そういう厄介な義務や責任が生じる気がしてさ。……で、僕はそれに応えるのが致命的にダメダメだった」


 遊びに誘ってもらったなら楽しまなくてはいけない。グループに入れてもらったのなら最低限の役割はこなさなければならない。それが本来無償で提供されたはずの善意に対しての誠意。幼少の僕はその考えに忠実に従おうとして、見事オーバーフローした。楽しくなくても楽しいふりで作り笑い、もとから得意ではなかった会話にも精一杯力を入れて、しかし苦手がゆえに発生する齟齬が、次から次へ僕の首を絞めた。


 自分が集団に不要なパーツであるのだと気づくまで、そう時間はかからなかったと思う。多少の無理を通せばいずれ馴染むだろうという当初の浅い考えはまったく通用せず、日に日に体に異常が出た。熱だったり皮膚の炎症だったりと症状は多岐に渡ったものだが、そのたびに自身の出来損ない具合を教えられているようで、ストレスはますます募っていった。齢一桁でそのストレス耐性、どう考えても社会の荒波に揉まれたら即死だ。実際、幼稚園からの途中退場という形で僕は一度死んだわけだが。


「じゃあ、どうして花柳さんは大丈夫だったの?」

「今からじゃ信じられないことかもしれないけど」


 前置く。ごく最近の、僕の影に隠れて歩くようなすずしか知らないと意外に思うかもしれないから。


「強い奴だったんだよ。確かな芯と、自分だけの信念が幼いながらに確立されていて、それが揺らがなかった。僕がどれだけ失礼で適当な態度を取ろうと歯牙にかけるそぶりもなく、僕に近付くことに迷いがなかった。強い奴で、すごい奴だった」


 過去形でしか話せないのが惜しくて、悲しい。強かった花柳涼音は、もはや一部の人間の記憶の中にしかいない。それがどうしようもなくもどかしくて、だからせめて近しい場所にいる誰かには、その事実を知っていてもらいたいのだ。今のあいつを否定する意図は毛頭ないものの、ただ、今の姿だけがすべてではないのだと。僕にとって、あるいは他の誰かにとってのスーパースターだった時代が、確かにあったのだと。


「それまでも、僕を理解しようと努力してくれた人たちはいた。でも、そういう良い人たちが、結局僕を理解できずに落胆していくのが嫌だった。でもすずは、ちょっと違って」

 

 他人に失望されて良い気持ちがする人間はいないと思う。僕だって無論そうで、しかし理解されにくい性格に生まれてしまったものだから、多くの善人たちを無理解の落とし穴に叩き込んでしまった。すずと出会ったのはちょうど、その学びを生かして手を差し伸べられる前に拒絶するスタイルを確立し始めた頃だった。

 単純に嫌な人間として生活できたら、少なくとも善き人たちと交わることはなくなるだろう。たぶん、それが一番、お互いの傷が浅くて済む最適解。本気でそう考え、それに基づき行動していた。


「わからない僕を、それならそれでよしとした。わからないなりに適当な答えを空欄に書き込むわけじゃなくて、解きようのない問題として放置した。……それでいて、平然と近寄ってきた」


 驚愕だったね。そう付け足して、五限の時刻が迫りつつある古い掛け時計を見やった。やはりというか、案の定というか、昼休みの限られた時間の中で全てを語り切ることはできないらしい。続きはいつかに持ち越すことになりそうだ。


「両親ですら決めあぐねていた僕の扱いに、ぽっと出の子どもが最適解を出したんだ。まあ、誰にでもできることではないんだろうけど、少なくとも幼少の花柳涼音にはそれが自然にできた。……僕は態度を取り繕わずとも言葉を選ばずともよくなって、どれだけ気が楽になったか」


 席を立ちながら言う。自分だけならともかく、優等生の芦屋を遅刻には付き合わせられない。彼女も彼女で荷物をまとめて立ち上がろうとしており、僕はそれを待った。


「悪い、中途半端で」


 続きはまた放課後にでも。もっとも、ここから先はさらに要領を得ない話の連続だろうが。


「ううん、ありがとう」


 礼を言われるようなことじゃないんだけどなと肩をすくめていたところに、予鈴が鳴り響いた。振り返ってみれば胸中に漂っていた靄は幾分か晴れていて、少なくとも早退してしまおうかという気分ではなくなっていた。色々と話したのが、気持ちの整理につながったのだと思う。


「急がないと」


 現在地から教室までは思いのほか距離がある。どうせ授業を受けるのなら遅刻扱いを受けるのは不本意と、早足で教室へ。問題についての進展がまったくないなりに、自分の立ち位置を再確認できた気がする昼下がり。さて、僕はこれからどうしたものか。

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