第67話 一夜明けて

「おはよう」「あ、香月くん」「よっす」「見てたよ昨日の」「すごかったねー」


 自分の身の周りの空気が一変したのを感じる。目を合わせたこともないようなクラスメイトに始まり、名前も顔も初めましてな他クラスの生徒や上級生までもが僕に話しかけてくる。昨日の今日でずいぶん大きく変わったものだと嘆息しつつも、向けられる感情が決して悪いものでないことだけは理解しているのでよそ向けの笑顔でそれなりに応対した。

 無論、目論見からは外れている。僕の印象は最後の最後で薄まるはずで、だからきっちり覚えられてしまっている現状はよろしくない。――だが、それもどうせ一過性のものだ。おそらく一ヵ月もすれば生徒の脳裏から僕の名前は消え、三か月も経てば僕の顔は消える。学生が体験する一年の密度からすれば、それはある意味で当たり前のことだった。僕の思いもかけない活躍は、三年間に吐いて捨てる程巻き起こる突発的なムーブメントの一つに過ぎない。だから変に天狗になる必要も、人間不信に陥る必要もない。

 言い聞かせながら、教室までの廊下を行く。感じる視線を程よくいなし、横戸をがらがら開いて入室。


「お、来た来た」


 僕へ真っ先に反応したのは久留米だった。教室前方の机を意味ありげにバシバシ叩いているので、意図を察して近寄る。やはり自クラスの中でも向けられる目の数は増えていて、それは決して自意識過剰ではなかった。


「主役なんだし、お前はもちろん参加な」

「……そこに至るまでの話が削られ過ぎてやしないか」


 なにかの主役に抜擢された記憶もなければ、なにかへの参加を義務付けられた覚えもない。当惑しながら黒板を見やると、数行に渡ってなにやら計画表のようなものが書かれていた。


「打ち上げ?」

「そう。今さら感もあるけど、クラスの親睦会も兼ねてな」


 サッカー優勝おめでとうだの、次は全体優勝だの、あちこちに落書きがされている。そもそも来年はクラス替えがあるから、同じ面子でのチャレンジこそが最難関なはずだが。ただ、概要は理解した。今回の球技大会を終え、一度派手に羽目を外そうということらしい。球技大会自体が生徒のガス抜きを目的としたイベントのはずなのだが、遊び盛りの学生を一度調子づかせたら止まらないということなのだろう。さながら坂道を転げ落ちる車輪がごとく、無限に加速を続けていく。


「セッティングは俺たちでやるから、希望者は手をあげてくれるだけでいい。人数さえ集まれば会費もそれなりにおさえられるだろうし、参加者は多ければ多いほどいいな」

「発案は君か?」

「ああ、他の奴らと喋ってたらその流れで。女子には芦屋から話を通してもらえるように段取りをつけた」

「適任だな」


 芦屋ならまちがいがない。最初の人選を誤るとドミノ式に全てが瓦解するので、骨組みは強固であればあるほど好ましい。

 芦屋の机がある方向に振り返る。すると狙いすましたように目が合って、小さく手を振られた。会話は筒抜けということか。


「今のところの参加具合を訊いても?」

「日程が未定だから中途変更はあるだろうが、どんなに少なくてもクラスの半数以上は出るだろうな。後は部活や家庭の事情との折り合いだ」

「……そうか」


 既に不参加を決め込んだ人間がいるかどうかを聞き出せれば一番だったが、自分の立ち位置を鑑みてやめた。今の僕が否定的な態度をとれば、たちまち計画全体に波及する。


 正直、誰かと楽しく飲み食いという気分ではない。更に言ってしまえばこうやって会話するのすら億劫で、許されるのなら学校にだって来たくなかった。勉学も出席日数も人間関係も、全ては二の次だ。僕が血を注がねばならない問題は、学校の中にはない。娯楽など、眼中にない。


「懐と相談するから、しばらく待っておいて欲しいな」

「おう、足りなきゃ貸すから遠慮なく言え」


 屈託なく告げられ、それに手を挙げて応える。本当は小遣いに困ってなどいないが、茶を濁すのに好都合な文言が他に思い浮かばなかったのだから仕方ない。

 席に着き、教科書やノートをリュックから引っ張り出す。昨日のお祭り騒ぎの残り香は学校全体に充満したままで、それでも否応なく授業はやって来る。肉体にわだかまった疲労感は不眠の一夜によって加速され、思考と視界に霞がかかる。


「おーい。起きてるー?」

「……ああ、ばっちり」


 だから、隣席の竜也が話しかけてきたことを認識するまでに、相応の時間を要した。彼は僕の顔を一瞥し、それから腕を組んだ。


「筋肉痛?」

「腕も脚もまともに動いたもんじゃない。やっぱり、運動ってのは継続的にやるものなんだ」

「それにしては、疲れすぎに見えなくもないけど」

「気のせいだよ」


 僕のエンジンが朝からフルスロットルじゃないのは昨日今日に始まった話ではない。夜型低血圧人間は、日中の活動に不向きだ。――そう思ってもらわないと困る。


「……なんかあった?」

「あったさ。昨日山ほど」

「いや、うーん……。まあ、香月がそう言うなら」


 成長がない。進歩がない。ようやく歩み寄れたという実感からまだ半日と少々、それしか経っていないのに、口を突いたのは出まかせだ。いかに僕という人間が欠陥品かを思い知らされるようで頭痛がする。


 でも、どうしようもないのだ。僕は、どこまでいってもこういう人間なのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る