第60話 補記

 事の次第をピースサインで蓮に伝えてからしばらく、みやびはグラウンド入り口前に留まって状況を俯瞰していた。彼にしては珍しい滾るような笑顔と、その後に見せた覚悟の決まった険しい顔とを反芻しつつ、頑張った甲斐があったなと満足しながら。

 どうやら、前半に蓮の出番はなかったらしい。昼休憩時点でずいぶん憔悴しているのを確認していたので不思議とも思わないが、人に働かせるだけ働かせて自分はぼうっと座っているのをよしとするような人でもない。おそらく今は後半を見据えての助走期間なのだろうと推測していると、スコアに変動があった。ここのところ明らかに蓮が意識していた新浜創建なる男子生徒が現役として面目躍如のシュートを決め、味方から盛大にもみくちゃにされている。

 みやびとてスポーツ経験者。先制点がどれだけの意味を持つかはよく知っている。それも、基本的にはロースコア進行のサッカーという競技で、与えられている制限時間が常よりはるかに短いことを考えれば、その一点の差は見た目以上に重い。

 この展開に蓮はどんな反応をしているか気になって視線をベンチ方向へ移したみやびが見たのは蓮――ではなく、彼の友人である竜也がなにやらウォーミングアップをしている光景だった。肝心の蓮はどこかぽかんとした顔で、近くの竜也を見上げている。その後二人はなにか言葉をかわしていたようだったが、距離があるのでその内容までは読み取れなかった。


 選手交代が認められ、竜也がピッチに立つ。その爽やかなルックスから一定の女子人気を得ている彼は、登場するだけで観衆のボルテージを少し上げた。周囲から「かっこよくない?」「何年生?」「いや一年生対決だから……」という漫才のような会話が流れ聞こえてきて、みやびの頬はわずかに綻ぶ。というのも、今のツッコミに蓮に通じるものを感じたからだった。――それからちらりと自分の後ろを振り返って、みやびは観戦を続ける。本人に言っても決して認めはしないだろうが、香月蓮という人間は天才肌だ。勉強も運動も人並み以上にそつなくこなす。人間関係の構築に限っては少々難が認められるが、生きるのに苦労するほどではない。……ともあれ、そんな彼が躊躇なく天才と評した及川竜也がただ者であるはずはなく、この局面で投入されたからには一波乱起きるのは確実。みやびはそれを決して見逃さないように――そして見逃させないようにと心構えをして、目を大きく見開いた。


「うっそぉ?!」


 声をあげたのはみやびではなく、先ほど会話をしていた女子集団。確かに、今しがた眼前に広がった光景はにわかに信じがたく、いっそ嘘と言ってもらった方が楽だった。ボールを持った竜也は一瞬のうちに相手フィールドを駆け、キーパーすら置き去りにしてあっさりと一点を返したのだ。

 なるほど、さすがは天才。そう彼女が感心するより早く、グラウンド全体がどっと沸いた。賞賛と驚愕とが半々に分かれたリアクションで、黄色い歓声も目立つ。竜也は出場からものの数秒で、完全にこの試合の主役になってしまった。


『心配しなくとも、今日の終わりにはみんな僕のことなんて忘れてるさ』


 蓮の言葉が思い出される。確かに彼の言う通りで、これからしばらく校内は竜也の話題で持ちきりになるだろう。それを見越して、彼は少々無茶な段取りをしたらしい。

 ただ、みやびにとって重要なのは今後のことではなく――


「それで、どう? 今の、ちゃんと見た?」

「…………」


 ――みやびの半歩後ろ、その背に隠れる立ち位置に、一人の女子生徒。蓮の注文通りにこの場所へ引きずり出した、重要人物。


「他の誰でもなく、あなたが見なくてはならないものだってある人が言ってた」

「……絶対に香月じゃん、それ」


 氏家繭香。彼女と及川竜也の間にはなにかしらの因縁があるらしいものの、結局のところ詳細は明らかになっていない。口ぶりから察するに蓮は確信に触れたようだったけれど、今後話してもらえるという確証はなかった。

 知りたいのならば、繭香本人に聞いてしまうのが手っ取り早い。……だが、それはどうにも躊躇われた。みやびの嗅覚が、そこへ土足で踏み込むにはある程度の覚悟がいるぞと告げている。


「あなたは、他の人ほど驚かないのね?」

「……別に、あいつがある程度できるのは知ってるし」

「でも、そう言う割には動揺してる」

「…………」


 図星のようだ。現に、瞳は近くと遠くをかわるがわる見つめながら、手や脚はそわそわして落ち着きがなかった。なにかしら感じるものがあったのは明白で、それが蓮が躍起になった事実へとつながるのだろう。


 みやびは踏み込むべきか踏み込まざるべきか逡巡し――結局前者を選んだ。関わった以上、事情の一部に触れておいた方がゆくゆく便利だという発想からだ。


「ある程度できるのは知っていて――でも、あそこまでできるとは思っていなかった?」

「…………!」

「確かに、ブランクを感じさせる動きではないものね」


 二人の間にどんな事情があるかまでは知らない。ただ、それがサッカーという競技に関連していると悟れないほど鈍くもない。みやびは効率よく刺さりそうなワードを選びつつ、探りを入れる。

 ――対する繭香のリアクションがあまりにも明け透けなのは、さすがに想定外だったが。


「だって……だって。あんなに一生懸命だったくせに、辞めるのは一瞬で。あたしに一言も相談しないでぱぱっと決断して、後は未練なんか全然ないみたいに遊びまわって」

「でも、見た限りではあったのでしょうね。未練も、思い残しも」

「なら、どうして言わないでヘラヘラしてばっかり……」

「……詳しくは知らないから、一般論だけ教えておくわね」


 一般論……というよりも、最近身の回りを見て学習したことだ。みやびとしては業腹で、認めがたい事実ではあるものの。


「男の子って、意地を張る生き物らしいわよ。……特に、その子が特別な場合は」


 それだけ言って、返答は待たずに立ち去る。蓮から請け負った役割は十二分に完遂したと言えるだろうから。

 

 さて、この後はどうしたものか。クラスの輪に入って一緒に応援するのがベターではあるものの、どうにも途中からの合流は気が引ける。実行委員会に属しているわけでもなければ自分の競技が長引いたわけでもないのに、なぜ今までやってこなかったのかと聞かれたら言葉に詰まってしまう。

 

 ――そう思い悩む間に、みやびは一人ぽつんと孤立した長身かつ猫背の女子生徒を発見した。

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