第54話 無理無茶無謀
やることは至ってシンプル。仲間に寄越してもらったボールを保持して相手ゴールに運ぶか、相手が持っているボールを強奪してそのままゴールに運ぶかの二択。ターン制でなく、なおかつ経験者と未経験者が入り乱れるという仕様上どこにボールが集まるかの推測は比較的容易で、あとはホットスポットに首を突っ込み続けるだけ。走っては奪い奪っては走りを時間の限りに繰り返せば、自然に勝利はついてくる。
「……なんて」
なんでもないように言うが、実際はシンプルでもなければ容易でもない。最初や、甘く見積もって二回目くらいまでは奇襲として成り立つかもしれないけれど、繰り返せば繰り返した分だけ目を付けられてマークが厳しくなる地獄の戦法。現役サッカー部のマンマークくらいなら可愛いもので、それを突破したら二枚、それすら突破するから三枚とマークの数は増えに増えた。当然そうするからには陣形に乱れが生まれて他の守りが手薄になるのだが、当初の目標を考えるとそこでパスを出すなんて日和った真似もできない。僕はあくまで傲慢に、自分勝手に、独りよがりに、『今日の僕はこういうスタンスでやってきましたよ』というところを相手チームや観衆に披露しなければならなかった。
点を取る。まあ、これ以上にわかりやすいこともない。現役のサッカー部を手玉に取る。これもまた、与えるインパクトは大きい。とにかく目立て。この際方向性はポジティブでもネガティブでも良い。後先構わず突っ走れば、望みの結果は自ずとついてくる。
……だけれど。
「キッツいな、いくらなんでも……」
肉体的にも、精神的にもだ。こんな無茶を続ければ体力が削れるのは自明だし、覚悟もしていた。だがそれ以上に、メンタル面での消耗が大きい。
元より、目立ちたがりではない。できることならこっそりひそひそ息を潜めて、社会の端で光が当たらないまま生きて死にたいと思っている。人間、受け取れる期待や羨望、失望や憎悪の量には限界があって、僕の器はどこまでいっても平々凡々の人並み。望まれることが自己肯定につながるラインと、重圧につながるラインは紙一重。その上で笑いながら反復横跳びできるような大人物であればどんなに良かっただろうかと唇の端を吊り上げてみても、やはり自分の矮小な心の在り方が変わることなどあり得ない。
でも、問題はそこにすらなくて。
自己完結可能な話であれば、のらりくらり適当なところで折り合いをつけながら躱して流せる。……ただ、ここにはどうしても、他者の意思が介在してしまうから。
「香月!」
内側に留めていた思考を外側へ広げる。声のした方向を大雑把に把握してから、自分を取り囲む三人の配置を一瞥。正面に立つ僕より一回り大柄な相手を目線のフェイクでいなし、同時並行で膝と腰を脱力して極めて体勢を低め、一瞬だけ他二人の視界から姿を消す。そのままこれまでの進行方向へ逆らうように体を翻して、三人がかりの檻を突破。あとは勘で足を伸ばし、どこからか飛んでくるパスを受けるだけだ。
「…………」
ここでふと、マークについていた現役のサッカー部員と目が合った。
血の巡りが良い。これ以上なく頭が回っている。だから、ほんの一瞬の表情だって見逃さない。
まずは衝撃、次いで苦渋、そして最後には哀切。わかりやすいまでの三段変化に、心臓の下あたりがじくりと疼く。昔から見まい見まいと思っていて、しかしどうしても目に入ってしまうのが嫌だった。自分がやりたいことと自分にできることの噛み合わせの悪さを、その度に痛感させられてしまうから。
「ナイス」
小さく呟く。おそらくは、真正面に立つ彼ですら聞こえない声量で。だから当然ボールを上げてくれた久留米に聞こえるわけもない。……ただ、頭をクリアにするために、発声は有効だった。
自分の背中を壁にしてボールの出所を隠し、一瞬の切り返しでディフェンスの密集地帯を抜ける。前にチームメイトは待機しておらず、必然、一人でのフィニッシュが要求される局面。足先でボールをもてあそびながら前後左右どこからでも来る妨害を跳ね除け、ゴール前でキーパーと向かい合う。一度追い抜いた相手が息を吹き返し、後ろから再び迫ってくる気配。のんびり構える余裕はなく、一連の動きの中で品定めを終え、狙いをつけてボールを強く蹴りこんだ。……ここでも、表情がよく見える。見たくないなぁという思考の淀みのせいで直線軌道を描く球体の行先は当初の予定から若干ズレて、それでもどうにか枠内に収まってネットを揺らした。
あちこち緩急をつけたせいで自分の体が言うことを聞かなくなり、その場で尻もちをついた。試合自体は今ので終わりだから別に構わないが、僕が目指すところはもっと他にあって――と、そのとき、フィールドの外からとりわけ強い視線を感じた。鋭敏になった知覚に従ってそちらに振り向くと、狙い通り望み通り、そこで一人の男子生徒が僕の方を凝視していた。
「見たか。見たよな」
これもまた、先方に聞かせるつもりのない呟きだ。言いながら、だがそれでいいと向こうを指さす。挑発はとことんシンプルでわかりやすくあるべきと思っているから、今のは結構キマっていた。
視線の先には、新浜がいる。仁王立ちのまま、きっと僕らの試合を最初から最後まで見物していたにちがいない。――さあ、彼は今日の僕の動きを見て、なにを感じ取っているだろうか。なんて、そんなのはもう、確かめるまでもなくわかり切っているのだけれど。
「おう香月、お疲れさん。立てるか?」
「無理」
しゃあねぇなぁとぼやきながらも、久留米が腕を引っ張り上げてくれた。膝ががくがく笑っているから、歩くのも不格好になっている。
「締まらねぇ」
「まあまあ、情けないけど決勝進出確定ってことで大目に見てもらいたいとこだよ」
「それはそうだが……。香月、限度って知ってるか?」
「知った上でオーバーしてる」
必要以上に心を折って、必要以上に虐げる。多くの相手の尊厳を犠牲に、僕は自分の存在を示すのだ。
「なんでそんなに頑張ってんだ? サッカー部に入りたいならそんな熱心に売り込まなくても届け出一つでどうにでもなるぜ」
「まさか。入る前からバチバチに軋轢作るほどバカじゃない。……ただ、ちょっとな」
悪目立ちしてでも、引っ張り出したい相手がいる。そこまでしても整えたい舞台があって、そのための努力は惜しまない。この面倒すぎる性格を今すぐ捨て去ってしまいたいとおもうけれど、でも、尽くすべき礼に見て見ぬふりはできなかった。
「どうしても、本気の新浜と対戦したくて。ただ、トーナメントの都合でぶつかるのは決勝までお預けだから、せめてそれまで、こっちがちゃんと準備してきたんだってことを、言葉以外で表明したかったんだよ」
「……聞きそびれてたが、お前らなんか因縁でもあんの?」
「あるね。大いにある」
もっとも、ついこの前まで僕はすっかり忘れていたけれど。……ただ、今ではしっかりと思い出しているから。過去あった出来事を、きちんと因縁として認識できているから。
「だからまぁ……取りあえずは及第点だ」
言ったところで、目の前に竜也が現れて。彼はどうしようもないものを見るような目で僕にタオルを投げ渡して、訊いてきた。
「香月、今日は誰のために無茶してるの?」
「もちろん、自分のためだろ」
「……まったく」
さらりとついた嘘を間を置かず看破され、そしてそのまま僕の肩に軽いパンチを入れると、竜也は一言だけ言い残して向こうへと歩き去って行った。
「接着剤、やっぱり塗ってあるの?」
「あるわけないだろ……」
過去、自分の知らないところでつけられていたというあだ名。あるいは、異名。なんでもボールがスパイクから離れていかなかったことが理由だったそうだが、そんなことをしたらシュートに移れなくなるに決まっている。
ただ、まあ。
竜也がそう言うからには、今の僕には、全盛期の面影が多少は重なっているらしい。
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