第55話 ままならない

 災難も苦難も困難も、どうせなら一斉に片付けてしまいたい。効率主義に肉体の端から端まで侵された、ものぐさな考えだ。継続的に課せられるほどほどの負荷よりは、瞬間的に要求される激烈な負荷の方が楽そうに見えてしまう性質なので、まさに今こそがそのときだと踏み込んだ。つまるところ性根が腐り切っているだけなのだが、尻に火がついている状態の自分は強い。それを経験則でよく知っている。

 目下降りかかる問題は山積み。だから、それらを強引に、そして一気に解決してしまう方法を考えた。香月蓮に度々突っかかってくる新浜創健、及川竜也と氏家繭香の間に漂う不和、花柳涼音が香月蓮に対して抱える罪悪感もそうだ。……それに、他にも一つ僕の中でわだかまっているものがある。本来はそれぞれ別個の問題として対処解決にあたるべきなのだろうが、残念ながら僕には堪え性というものがない。一つ一つ結び目を解いていくうちに作業が雑になって、ロクな結末を迎えないだろうと断言できる。だから、手っ取り早く一緒くたに終わらせるべきだと考えた。そのために、今日の球技大会へ焦点をあてた。

 逃れること、目を逸らすことも解法の一つであることにはまちがいがなく、僕自身、それらによる解決を否定していない。なんなら推奨すらしていて、だったらどうして今頑張っているんだという話になってくる。……でも、今回はかなり事情が入り乱れていた。僕は恩義を捨て置けないし、一度でも自分の内側に迎え入れてしまった相手を見捨てることができない。なんということはなく、今回はたまたますべて、その条件に合致してしまったのだ。


 なら、やるしかなかった。朝晩いそいそランニングに励み、生活リズムを昼主体にし、こそこそ根回しに精を出す。たった一週間、されど一週間で、もう当分頑張る気はないぞと体が訴えかけてくる。当たり前だ。今後頑張らなくていいように、今回特別頑張ったんだから。


「……足の具合はどんなもん?」

「どうもなにも、ここまで出場機会ゼロの人間が怪我悪化させてたら笑うでしょ」


 グラウンドの端、水飲み場の近くで仰向けになっていた僕のすぐ横へ、竜也が腰を下ろした。なんでもないようにふるまってはいるし、言われなければ気づくこともできないだろうが、しかし彼がわずかばかり片足をかばっているのがわかる。古傷は未だに彼を蝕んで、解放する気がないらしい。


「まあ、見ての通りだ。僕はもう満身創痍で、でもさすがにここまできたら優勝しておきたい。……しかし、相手がアレだから」


 指を差す。その先で絶賛進行中の準決勝第二試合。対戦相手は三年のチームだったと記憶しているが、そんなことは歯牙にもかけず、一人の一年生が獅子奮迅の大暴れをしていた。

 

「人間性にいささか難があるっぽいけど、実力はガチらしい」

「自己紹介?」

「残念なことに君にも当てはまるんだこれが」


 なにと交換して力を得たのかがはっきりしてしまった。そんなジョークは鼻で笑い飛ばしつつ、話を続ける。


「まあ、順当に行けば新浜のクラスが優勝するだろうって下馬評だったしな。いくらなんでも経験者多すぎなんだあそこ」

「しかもそれに加えて、エースに発破がかかっちゃってるみたいだけど?」

「僕が仕向けたからな。ちょっとした保険として」


 いくら勝ちの目が高かろうが、スポーツには万が一がある。主力のちょっとした怠慢で展開がひっくり返るのなんてザラで、しかも時間制のスポーツに一発逆転はない。だから、どうしても張り切ってもらいたかった。


「で、ここまでくるだけでヘロヘロの香月が、まだまだ余力たっぷりかつ絶好調の新浜をどうするわけ?」

「どうにかするんだよ。それが礼儀だから」

「……礼を尽くす理由なんてあった?」

「あった。なんて言うか……本来僕が被るはずだった泥がいつの間にかせき止められてたっぽいんだよな」

「本当になんて言うかって感じ。もうちょっと噛み砕けない?」

「放り投げた責任を拾ってもらって、起こるはずだったことが起こらなかった。なら、僕はそれなりに誠意ある対応を求められるわけだ」

「噛み砕くを辞書で引くべきじゃ?」

「あくタイプ、ぶつりわざ、いりょく80、めいちゅう100、PP15」

「たぶんそれ、辞書じゃなくて攻略本なんだけど」


 仕方ないことだ。攻略本を眺めた時間の方が、辞書のそれよりも圧倒的に長いのだから。


「噛み砕こうが放置しようが、やることは結局変わらない。勝って帰って気分よく寝る。ここまで休養たっぷりの君が憎たらしいくらいに活躍して、学校中の話題をかっさらって終幕」

「……まさか、そんなことのためだけにここまで必死にお膳立てしてたわけじゃないよね?」

「まさかもなにもその通りだ」

「それ、香月にどんな利益があるのさ」

「あるよ。いくらでもある」


 指折り数えて、最終的には握り拳に。それを竜也に見せつけ、ゆるやかに解く。


「少なくとも、自分の天才性と向き合ういい機会にはなった」

「自分で言っちゃうんだ……。まあ、否定しようもないんだけど」

「ほんと、参るよな。僕はただ、仲間内でこじんまりとやっていけるくらいの能力があれば満足だったのに。それがどうして、こんなんになったのか」

「聞く人が聞いたら顔真っ赤にして殴りかかってきそうだね」

「君はどうだ?」

「別に、俺が欲しかったのは丈夫な体であって技術ではないから」


 そういう彼も大概だ。ただ、竜也には能力を扱いこなせるだけの度量があった。向上心もあった。だから過去、困ったことはなかったのだと思う。

 ただ、僕は違って。停滞を是としているくせに、体はどんどん前へと進んでいくものだから、気持ちとの調和が取れなくなってしまった。ちっぽけな身の丈には似つかわしくない、不要な才能だったのだ。

 あれから数年経っても、時折考える。適性はないのに才能があるのと、才能はないのに適性があるのとではどちらが不幸かと。答えなんか出るわけもないのに、淡々と思考を繰り返している。贅沢な悩みだと切って捨てられたらそれまでで、しかし当人から見れば、問題は意外と深刻で。そのたび、ゲームみたいに自分の意思でスキルポイントを振り分けられたらどんなに良かったかと、あり得ない逃避に走るのだ。


「ままならねえ……」

「まあ、人生ってやつが巧妙に練られているって話でしょ。香月も俺も、その被害者だ」

「達観してんなぁ……。というかそもそも、君が――」

「俺が?」

「悪い、やっぱりなし。後で言う」


 直感的に、タイミングが今ではないと思った。君はどうして僕を巻き込んでまでサッカーに競技登録したのか、そう聞こうとして。別に、消極的な人数調整だったのかもしれないけれど、だからと言ってわざわざ因縁のあるスポーツに首を突っ込むかは怪しい。そこにはなんらかの意思があるに違いないと睨みながら、僕は今日までちまちま策を弄してきた。


「ま、答え合わせは全部終わってからってことで」

「…………?」


 困り顔の竜也を無視して、重たい体を持ち上げた。既にところどころ筋肉痛に襲われているのが痛々しい。すぐ反動が来るのは若さの証と空元気を振るってみるも、それで状況は好転しない。

 僕にできるだけの人事は尽くし終え、後は天命を待つのみ。ここまできたら芦屋頼み……なのだが。


「おいおい……」


 当初の目的を考えたとき、時間的猶予はもうほとんどない。……なら、今血相を変えて走り去った長髪の女子はなんだ。見まちがいを願ったが、芦屋と勘違いできるほどの生徒がこの学校にいるとも思えない。


 ああ、これは、もしかすると……。


「マジでままならないな、人生……」


 自嘲たっぷりに呟いて、さぁどうしたものかと頭を回した。……いや、正直これはどうにもならない気しかしないんだけど。

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