第37話 摩擦
目をこする。すずの眠りを妨げないようにと気を遣った影響か、睡眠がイマイチ浅い。そのせいかホームルームを取り仕切る委員長の声は耳を右から左へ抜けていって、どんな話をしているかはさっぱり。黒板にカツカツとなにかが書かれていくが、それがどんな意味を持つものか理解できない。教室を取り巻く喧騒も今の僕の眠気を醒ませるほどではなく、このまま午睡へとなだれ込んでしまいそうだ。
「香月」
「起きてる。起きてる」
「そうじゃなくて、大丈夫? うとうとしてる間に色々本決まりになってるけど」
「ああ……?」
ここでようやく目を凝らして、脳機能を活性化。チョークでサッカーだのバスケだのとやや斜めになった文字が書き込まれ、その下にずらりと名字が並んでいる。香月姓は及川と並んで、サッカー領域にあった。
思い出す。六限目のホームルームでは、球技大会の種目分けをする予定だった。僕は当初の予定通りに人数不足の場所へ数合わせとして駆り出されたようだ。そのことにはなんら文句がなく、しかし今この瞬間まで竜也と話す機会が持てなかったことの方に頭を悩ます。こういうの、時間を空けすぎるとダメだってわかっているから。
「僕は問題ない。……それより、君はどうなんだ?」
「どうって?」
「サッカー、大丈夫かって話」
「そりゃあ大丈夫さ。知らないとは言わせないよ」
「……なら、いいんだけど」
竜也と氏家の間にあるであろう明確な接点。それは、部活動だった。
竜也はごく短い期間ではあったものの、中学でサッカー部に籍を置いていた。夏休みの終わりには辞めてしまっていたから、都合半年も続いていない計算になる。だが、僕はどんな事情があって退部したのかを知っている。
それを踏まえての、大丈夫か。
「と言っても、このクラスにはサッカー部が二人いるから。俺がしゃしゃり出る必要はないかもね」
専門家の晴れ舞台だ。お株を奪ってはいけない。僕らは端っこで、たまにくるボールをなんとなく蹴り返すだけで良い。高校生くらいの年頃だと、こういう機会に張り切り過ぎるのをダサいとみなす雰囲気があって、唯一その例外が該当部の部員。適当にやったら顧問に叱られるという名目で、好き放題に羽目を外せる。
球技大会のメインターゲットは、僕らじゃない。
「なあ、竜也」
氏家とはどんなつながりがあるんだ……とは、さすがに聞けなかった。
「昨日の新浜って男子生徒、一晩経って思い出したことはあるか?」
僕に因縁をつけてきた相手だ。竜也のこともどうしてか知っていた。一夜明けたら思考が整理されてなにか思い浮かぶかもと思っていたがそんなことはなく、彼の存在は完全なるブラックボックス。夜の通話で芦屋に尋ねれば、その人脈で多少なりとも解決に近づいただろうが、それで向こうに変な噂が立ったら申し訳ない。……というのは八割嘘で、その噂をなにかで上書きされる恐怖心しかないため、聞くに聞けなかった。
だが、竜也なら話は変わる。
「新浜創健。涼音ちゃんと同じ八組の生徒。サッカー部所属で、将来的にはエースナンバーを背負うんじゃないかと目されてるんだって」
「さすが情報が早い。……となると、そうか」
「そうだね」
僕らは視線をかわしあって、どこで関わり合いになったかをだいたい察する。エピソードはなおも不明瞭だが、絞り込みはこれにて終了。
それに、今はもっと肝心なことがある。申し訳ないが、彼に構っていられる余裕はない。
「……過去が迫ってきたって感じだね。俺も、香月も」
「ああ、らしい」
過去の清算なんて、高一で経験するものではないだろうと思う。だけれど、事実として目の前にやってきたからには、なにかしらアクションを取らねばならない。逃亡上等。目隠し万歳。逃げというのも一つの立派な選択肢。……けれど、今このタイミングで襲いかかってきたという偶然の一致が、僕には天啓に思えて。
「……やっつけるか、なにもかも」
貯まったツケの払いどきだ。後に後にと先延ばしにしても、いずれどこかでぶつかる壁。ならば、今叩き壊しておくに越したことはない。
「竜也」
授業中だというのをすっかり忘れ、僕は真正面から彼の瞳をのぞきこんだ。竜也は困ったように眉を寄せ、「どうしたのさ、改まって」と笑う。
「放課後、時間くれ」
「強制?」
「強制……といきたいところだけど、たぶんそこまで強く出られない。あくまで君の意思を尊重したいとは思ってる。でも、頼む」
「そっか。強制ではない……か」
竜也は深呼吸を一度挟んでから、おもむろに立ちあがる。そのまま真っすぐ黒板へ向かって委員長からチョークを預かり、書記の役を買って出た。そういえば確か、あいつは役付きだったっけ。
「……つれないな」
お話はここでおしまい。そういうことだ。表立って、口に出して、「それは嫌だ」とは言わない。だから物理的に距離を取って、やんわりと否定の意を示す。
竜也はまだ、自分の一番深いところに僕を踏み込ませる気がないらしい。それは友人としてはすごく寂しいことで、また同時に、燃えることでもあった。僕らの関係性にはまだまだ発展性があることの、紛れもない証左だから。
「どうにかしてやる」
呟く。チャイムが鳴る。当たり前のように放課後がやってくる。
この日、僕と竜也がこれ以上言葉をかわすことはなかった。
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