第33話 新浜
同じ制服を着た、同じ学年の生徒。卓越したコミュニケーション能力を持つ人間であればこれだけで声をかけるきっかけになり得るのかもしれないが、もしも彼がそういった人間性の持ち主だと仮定した場合、今の喧嘩腰具合は甚だ疑問。
それに、ここで会ったが百年目なんて言うからには、どこかに一年目がないとおかしい。因縁浅からぬ相手にしか投げかけない言葉なのはまちがいなく、しかし僕視点では完全に初対面なのだから、今の混乱も当然と言えた。
「香月の知り合い?」
「今記憶を辿ってるとこ」
竜也からの問いかけに答える。これだけ癖の強い相手だったら、僕だって忘れないはず。そこを覚えていないのだから、つながりらしいつながりがないのだと断定してよさそうなものだが。
どれだけ過去を思い返しても、残念ながら記憶にない顔だ。身長が僕よりいくらか高いとか、一目でスポーツマンだとわかる筋肉質な体だとかいった情報は、昔々を漁るのには役立たない。だとしたら、知らないところで不名誉な名の広まり方をした線が濃厚か。悲しいかな、そういった体験がまるっきりゼロとは言えない人生なのだ。
最近で特にあり得そうなのは、芦屋絡みでの因縁。とびきり顔が良いわけでも、とびきり頭が良いわけでも、なにかしらの部活動で実績を残しているわけでもない僕が彼女と懇意にしているのを良く思わない層の存在。僻まれてもおかしくない立場にいることは、こっちだってよくわかっている。
「なぁ?! まさか覚えていないとでも言うつもりか!」
「いや待って。僕も一生懸命頑張ってるから……」
しかし、今の反応からして芦屋はおそらく関係ない。もっと古い、僕と彼だけの他を介在しない過去があるはず。……だけれども。
「……名前聞いてもいい?」
「
「…………」
決して記憶力に乏しい方じゃない。ゲームに登場したどうでもいいNPCの名前もある程度覚えられるし、小中の同級生の顔や名前は今でもほとんど思い出せる。なのに、新浜と名乗った彼に関する情報はこれっぽちも僕の脳内で再生されなかった。
「覚えて……いない?!」
「香月、物覚えは結構いいはずなんだけどね」
「…………! そういうお前は、まさか及川竜也か……?!」
「まーじで。俺まで知られてるパターンなの?」
こめかみをぐりぐりやりながら記憶漁りをしていたら、追加でもう一つの事実が発覚。竜也と僕の両方を知っているとなると同じ中学校に属していた可能性が高くなるが、こんな芝居がかった話し方をする奴だったらクラスが違かろうと絶対に印象に残る。竜也も誰かわかっていない様子だし、身近な人物である可能性は低い。
「竜也、どう?」
「友達の友達だったらワンチャン。交友関係広げると、こっちだけ一方的に知られる機会が増えるから」
「でも、それなら僕はどうなる? 閉じたコミュニティで生活してるぶん、人を覚える脳の空き容量はかなり多めだぞ」
「謎だね」
「謎だ」
「……裏で話すならまだしも、眼前では礼に欠くと思わんのか」
「礼節を弁えてる人間の話しかけ方じゃなかったし、僕らだってそれなりの対応になるだろ」
「…………」
反論の余地がないのは明白。礼を説くには、彼の礼が足りていない。それが理解できない人間ではないようで、所在なさげにあちこちに視線を散らし始める新浜。
「いや、忘れてる僕らも悪いんだろうけど、正直なところ君が誰かさっぱりわからない。どういう経緯で僕らを知ったか話してもらえないことには、たぶん一生平行線だ」
「な、なんという屈辱を……!」
新浜は肩をわなわな震わせ、拳をぎゅっと握りこんだ。たとえば小学生のころ遊んだ相手だったり、中学生のとき一度会話をした相手だったらこういう反応にはならない。つまるところ、掘り返してもうまみの少ない記憶なのだろう。そして、それを踏まえてなお話しかける必要がある相手だったのだろうこともわかる。少なくとも、彼にとってはだが。
「忘れたとは言わせないぞ!」
「だから、それを教えてもらいたいんだよ。せめて手がかりでもないことには、僕と竜也から見て君はよくわからないけど因縁つけてくる奴以上の存在にならない」
「香月、ワードチョイスワードチョイス」
確かに隔意や敵意のこもりすぎた発言になったなと反省。しかしながら、僕らは放課後という自由な時間を脅かされているわけで、これくらいの姿勢になってしまうのもやむなしと言えた。それに、僕は発展性のない問答が嫌いなのだ。友人間の日常会話ならばどれだけ冗長であろうが冗漫であろうが構わないが、今はそうではない。彼はなにかしら明確な意図をもって話しかけてきていて、けれどそれを明かさない。これでは非効率もいいところだ。
過去になにかあって、それを僕らが自発的に気づくのを理想とする気持ち自体はわかる。だが、さすがに期待するにしては引っ張り過ぎ。妥協点や諦めポイントまで指示してやる義理はないので、そちらから折れてもらわないと困る。
以前に起こった出来事をはぐらかす。この手法は、つい先日に芦屋からもお見舞いされた。おかげで未だにどうして彼女が僕にご執心なのかはわかっていない。しかし、僕はこれについて思うことはあれ、憤ることはなかった。芦屋は僕の友人で、会話に冗長性を持たせてもいいと思えるだけの心の余裕が存在するからだ。
けれど、彼は違う。割いてやれるリソースの総量に差が出るのも当然。
「ちょっと棘が多くなったのは謝る。でも、言った内容は撤回しない。頼むから教えて欲しい」
「…………くっ!」
オークの大群に囲まれた女騎士くらいしかとらないだろう反応。それを見せた新浜がどういう人物なのか、僕の中でざっと分析が終わった。
一目でわかるプライドの高さ。これは良いとして、意外にも気は小さい。通りしなに僕らの存在に気づいたのであれば、その場で声をかけることもできたはず。それをしなかったのは人違いでないかと精査する手間をかけたからにほかならず、小心者としての一面を持っている。伴っていた友人たちを置いて単身突撃してきた理由次第で評価が二転三転しそうではあるが、人物像の概形はほぼ掴めた。
これらを嫌身ったらしく目の前で開示するという手もあるが、それは僕的にアウトなので取っておく。よほどムカつきでもしない限り、尊厳破壊は最終手段だ。
と、勝手に精神的優位に立って会話を優位に進める準備をしたところに――
「れーん、今度はどっち、が……」
ゲームを終えたすずと芦屋が戻ってくる。最初こそ意気揚々とした雰囲気だったが、僕と竜也以外の学生がいることに気づいた途端に、すずの顔がさぁっと青ざめていくのがわかった。忘れてはならないが、すずの対人恐怖症は健在。芦屋とのじゃれ合いになれたというだけで、他の人間との溝は以前からなにも変わっていない。
僕は歯噛みしつつ、目線で芦屋にSOS。彼女はそれをすぐに汲んでくれて、すずの手を強引に引いて自分の背中に隠した。……もっとも、すずの方が大きいから、隠れきれてはいないけれど。日頃の反目を引っ張らない芦屋の潔さと割り切りに感謝しつつ、僕は新浜の意識が向こうを向かないように気持ち声を強めた。
「君は、一体なんだ?」
「それは――」
「――あれ、花柳じゃん。おんなじクラスの」
僕の問いを、あるいは新浜の回答を、別の声が妨げた。アクセサリでごちゃごちゃしたスクールバッグを肩にかけ、スタバなんかにありがちなプラスチックカップ入りの飲料を手に持った、いかにも今風の少女。見れば先ほど新浜と一緒にいた一人で、彼女はすずに背後から接近して、肩をぽんと叩いた。一切悪意のない、なんてことのないコミュニケーション。しかしすずにしてみれば、そんなものは意識外からの奇襲にほかならず。
「…………っ」
すずは、最近の調子が嘘のように呼吸を乱して、縋るように芦屋へ抱き着いた。芦屋も驚きを隠せないようで、抵抗するでもなく腕をさすってあげている。
これは、ちょっとまずい。具体的に言うと、過呼吸からの昏倒が可能性に挙がる。こうなればもう新浜との問答どころではなく、僕は彼を無視してすずと芦屋の前へ赴き、その手を握った。
「え、え? 大丈夫? もしかして心臓とか悪かった?」
「いや、君のせいじゃない。あとはこっちでなんとかするから」
数年かけて培ったノウハウがこちらにはある。こういうときはまず近しい人間が手を握って安心させてやって、それから深呼吸へ誘導。芦屋とポジションを変え、呼吸にふさわしいリズムで背中をぽんぽん叩く。幾度となく繰り返してきたことなので、すずはそれを頼りに息を整えて、そのままくたっと僕に体重を預けた。
「ふう……」
「ねえ、本当に大丈夫?」
「人と接するのがあんまり得意じゃないんだこいつ。できれば、静かに見守っといてもらえるとありがたい」
学校の外でクラスメイトと遭遇するというシチュエーションに、必要以上に体が強張ってしまったのだろう。今はようやく弛緩したが、僕が近くにいなかったらと思うとぞっとする。
「いや、こうなっちゃったのがあたしのせいなら、一回ちゃんと謝んなきゃ――」
「――
親切心から踏み込んできたすずのクラスメイトを、竜也が片手で制止した。ご丁寧に下の名前を呼んで、僕にいくらでも邪推の余地を持たせながら。
ああ、そういえばなと、僕はここで気が付く。一瞬で走った緊張感のせいでわからなかったが、僕は彼女には見覚えがある。
「香月の言うことに従ってくれ。涼音ちゃんの体調は、かなり複雑なんだ」
「……ふぅん、女の心配となると一丁前ね?」
「繭香」
竜也の語気が荒くなったのを、僕は聞き逃さなかった。三年友人をやってきて初めて聞く声音に戸惑い、本当に因縁浅からぬ関係とはこれのことを言うんだろうなと理解。まちがっても、僕らと新浜のつながりをそんな風に呼んではいけないとも思った。
竜也は、負の感情を表に出さない。怒りとか悲しみとか、そういうのは全部しまいこんで、見えない場所で内々に処理してしまう。だから、あんな風に昂った姿を見るのは初めての経験で、困惑した。
彼が先ほど一瞬だけフリーズしたのは、おそらく氏家を視認したからなのだろう。僕の知らない、竜也の女性関係。そのかなり深いところに、氏家繭香は座している。そんな下世話なことを勝手に察しながら、小声ですずに問うた。
「意識は?」
「……ちゃんとある」
「よし、よく頑張った」
手放さなかっただけ儲けもの。こいつもこいつで変わろうとしている。片手で腰を支え、空いている方の手で心臓のちょうど裏側あたりを撫でる。竜也たちの一触即発な空気は今のすずには毒だから、できるだけ距離を取ろう。
「……香月蓮」
「悪い。手がふさがってるからまた今度」
今の僕に、新浜と会話するだけの余裕はなかった。ことの重大さは理解してもらえたようで、それ以上は話しかけられなかった。
「…………」
竜也と氏家は、未だ意味深長に視線をぶつけ合っている。僕はそれを尻目に、すずを連れて場から離れた。
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