第34話 またやってる
美食家だからと言って、料理上手とは限らない。むしろ舌が肥えたぶんだけ自分の作る料理が理想から乖離して、納得のいかないものになるのではなかろうか。
しかしまた、評価には一定の基準というものも存在する。一貫数百円の高級寿司を味わったとて、たまに行く回転寿司がまずくなるわけはない。せいぜい物足りなさを感じる程度で、美味しく食べられることに変わりはないと思うのだ。
小サイズの片手鍋にしょうゆやら酒やらみりんやらの調味料を適当に注ぎ、刻みショウガを加えて加熱。煮立ったところに一口サイズに切った解凍豚バラを叩きこんで、赤い部分がなくなるまで火を通す。その間に横のフライパンで人参、たまねぎ、キャベツを炒めて、しんなりしてきた頃合いで三人前の袋麺を投下。べちゃつくのが嫌いなので極力野菜の水分だけで麺をほぐしながら、タイミングを見計らって片手鍋の中身を合わせる。蒸らすひと手間があると仕上がりが一段変わるのだが、鍋蓋を洗うのが面倒でやめた。焦がししょうゆと塩こしょうで味を調え、できあがった焼きそばを大皿に盛る。副菜の類は一切ない、がさつさを極めた男飯だ。
「あれ、青のりどこだっけ」
「戸棚。左から二番目」
「あったあった」
焼きそばは紅しょうがと青のりさえあれば大抵の粗を誤魔化せる料理だと豪語するのは、料理歴ほぼ皆無の香月蓮(15)。たまに思い立ってはキッチンに立ち、そのたびに食べられないほどでもないが飛びぬけて美味しいわけでもない料理を作る僕は、今日ばかりは人にふるまうことを前提にして置きに行ったメニュー選びをした。母親がたまに作ってくれる焼きそばの調理工程はばっちり頭に入っている。
帰宅後、ふらふらしながらも夕飯の下ごしらえを始めようとしたすずを止めて、本日の料理番は僕が引き受ける形にした。体調不良の人間に食べさせるものとして焼きそばはどうなんだという指摘があるかもしれないが、すずは調子が悪いときほどがっつりしたものを求める傾向にあるのでこれでいい。今はダイニングテーブルに腰かけて、両肘をついて両手で顎を支えるスタイルで、僕の手際の悪さをずっと見ている。
「あー、取り分け用の菜箸出すの忘れた」
「じゃあ直取りでいいよ。洗い物増えるだけだし」
「助かる」
個人用の平皿に適量盛り付け、使い切りの青のりをぱっさぱっさ振りかけて、小皿に分けておいた紅しょうがで申し訳程度に彩りを添える。年頃女子に食べさせるものではないなぁと思いつつ、しかしベストは尽くしたと開き直っていただきます。
「レシピっていいな。誰が作っても一定の味になるのが担保されてて」
「弱火とかきつね色とかがなんとなく理解できるんだから、蓮は料理の才能ある方だと思うけど」
「それ以上に必要なのは根気だからなぁ……」
これを毎日やれと言われたらしんどい。手抜きに手抜きを重ねた結果、最後にはフライパンを皿にして菜箸で食べることになりそうだ。継続は力。力とは根気。およそ僕にそれを成せるだけの器はない。フルタイムで働いたあとにこの作業を強いられる全国の兼業主婦の皆々様に心の中で平伏しつつ、まあまあそれなりの出来栄えになった夕飯を食べ進める。
「っていうか大丈夫これ? 食える?」
「おいしー」
「ならいいんだけど」
日頃からきちんとした料理で舌を慣らしているせいで、如何ともしがたい物足りなさがある。我が家不動の料理担当に食べてもらうという緊張感もあって、背中のむず痒さが消えない。
「そういえばさ」
僕はふと思い立って、指を一本ぴんと立てる。この数週間言う機会をうかがって、しかしことごとく不発に終わった話だった。
「結局買わずじまいの圧力鍋、どうする?」
「あー、すっかり忘れてた……」
波乱のゴールデンウィーク。僕らは確かに、圧力鍋の購入という唯一無二の計画を立てていた。……諸事情あって現在手元にはないのだが、母親から資金の援助を受けている手前、このままねこばばともいかない。
だが、この話題を出すには常にリスクがつきまとう。どうしたってあの日あのときの状況を思い出すことになるわけで、僕もすずも、同様に深手を負うのが確定している。であれば極力傷の浅くなりそうなタイミングをと何度も計らって、そしてそれが今になった。
「欲しいって気持ちのピークは過ぎちゃったかも……」
「こういうの、機運があるからなぁ」
思い立ったが吉日という言葉があるように、ものごとにはおしなべて好機が存在する。鉄は熱いうちに打った方が、以後のめぐり合わせもよくなるというもの。それでいうなら僕らは完全に機を逸していて、残ったのは母親から託された一万円札だけ。
「どうする? またの機会をお待ちする感じ?」
「でも、あったら便利なのはまちがいないし……」
それはそうだ。買ってしばらくは試行錯誤で食卓がにぎやかになるだろうし、なんなら僕だって色々試してみたい。ないよりはあった方がいい。その認識は僕らに共有されている。
「でも、いったん冷静になるとなくても大丈夫かもって思っちゃうんだよね」
「それはわかる」
後から思い返せばなんでこんなの買ったんだとなる品物はいくらでもある。オタクグッズなんてそんなのばかりだ。クリアファイルとかアクリルキーホルダーとか、よくもまあ気が狂ったように集めたものだ。
「うーん、迷う……」
すずは早々に食べ終え、皿の端を指先でなぞりながらうんうん唸っている。僕はちんたら残りを食べながらその様子を見て、さらにもう一つの用を思い出した。これもまた機をうかがって延び延びになっていたものだ。
ちゅるりと麺をすすり、「待っといて」と言い残して自室へ。クローゼットの端に無造作にしまっておいた包みを持って、ダイニングへと舞い戻る。
「こっちは準備できてたんだ」
すずの前へ紙袋を無造作に置く。彼女は測りかねた表情で中を漁り、そうしてそこから布製品を引っ張り出した。
「……あ」
「オーダー通りポケット多め。返品は受け付けてないから、気に入らなかったら諦めてくれ」
「…………ん、ありがと」
買ったその日に渡すつもりが、すずがダウンしてどうにもならなくなったエプロン。その後もやはり色々な兼ね合いですぐさまプレゼントというわけにもいかず、ずっと部屋に死蔵していた。……どうしてもあの日のことが思い出されて、僕の心拍数がおかしな変動を見せる。
「大事にする……」
「いや、使ってナンボだから大事にされても困るが」
「大事に使うってこと!」
声を張る局面でもないだろうと後頭部を掻いて、再度着座。代わりに立ち上がったすずは早速試着していて、サイズ感に問題がないかを確かめていた。しまいにはくるくる回り出したが、きっと必要なことなのだろう。一通り確認してから脱いだエプロンを椅子の背もたれにかけ、代わりに、ずっとそこにあったボロボロのお古をゆっくり小さく畳むすず。哀愁漂う横顔に僕はなにも言えなくなって、ただぼんやりと様子を眺める。
「蓮、覚えてる?」
「……言いたいことはなんとなくわかってる」
すっかり小さくなって色もくすんでしまったエプロンだって、当然新品だった時期がある。それがどういう経緯で彼女の手元に渡ったか、忘れる僕ではない。
「……恥ずいから改まるのはナシで」
「ん、了解」
名目は誕生日プレゼントだったか。当時、毎日のようにすずが料理の練習に励んでいるのを見て、これなら喜ばれるだろうと子どもなりに必死に頭を巡らせた香月少年は、正月に祖父からもらったお年玉の残りを持って単身買い物へ。買うにも苦労、渡すにも苦労だったが、それが何年も役に立ったのだから昔の僕は良い仕事をした。……それもあってすずは自分から買い替えることができなくなったわけで、半分呪いじゃないかと思いもするが。
しかし、僕は本当に成長しない。もっとスマートに受け渡しができたら最高なのだが、どうしても照れが先行して雑になる。……だが、たぶんすずは僕のそういう天邪鬼な部分まで察していて。
「……大事にするから」
もう一度言って、長きにわたって活躍を続けてきた先代エプロンをぎゅっと抱きしめた。お前ほんとそういうのやめろ……と心の中でクレームをつけ、しかし口では「よきにはからえ」と尊大にふるまう。今日渡したのはつい先ほどの騒動から意識を逸らさせる意味も大きかったのだが、肝心の僕がそれどころではなくなってしまって参る。
「……片づけるか」
「……うん」
このまま話していたらロクなことにならなそうだったので、食器類をまとめてシンクへ持っていった。休ませるつもりが片づけを手伝ってもらう流れになっていて、しかし初めての実践登用を近場で見ておきたいという願望もあり、僕は葛藤の中で、自分にしか聞こえない声で呟いた。
「大概僕も露骨だなこれ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます