第31話 耳

 バットを従来的に首にもたれさせるのではなく、敢えて体から離して脱力。すり足気味に踏み込んで、やや内角寄りの直球を力まずレフト方向に運ぶ。調子が良いなと上機嫌に、続けざまに飛んでくるボールも同様に引っ張る。しかし経験者ほど上手くはいかないから時折混ざるカーブには情けなく空振りしつつ、ワンゲーム二十球のうちヒット性の当たりを十本程度打ってブースを出た。

 シャツの袖で額の汗を拭っていると、預けていたブレザーが竜也から投げ返される。


「香月、ワンゲーム目は絶対に落合の真似から始めるよね」

「馬鹿を言え。落合があんなしょうもない空振りをするか」


 言わずと知れた三冠王落合博満。その彼が使用していた神主打法という独特のフォームを、僕は良く模倣している。良く、というのはしょっちゅうの意味であって、決して上手に、でない点には留意されたし。


「世代じゃないじゃん。現役中に生まれてすらいないのに」

「動画サイトで浴びるほど観てきた。そもそも世代じゃないって言うなら竜也もだろ」


 順番交代で今度は竜也からブレザーを譲り受け、彼は先ほどまで僕が入っていたマックス130キロのストレートと90キロのカーブがランダム発射されるブースへ。受付で買ったばかりの回数券を挿入して、右打席でオープンスタンスに構える。僕なんかよりも軽々と飛距離を出す彼の後ろ姿を眺めつつ、据え付けられているベンチに座った。


「インドア派だとばかり」

「精神的にはな。でも、アウトドアスポーツは観るのもやるのも結構好きだったりするんだ」

「すごいでしょ。こんな感じだから体育の授業とかだと適当に流してるけど」

「なんでお前が偉そうなんだよ……」


 前髪のカーテン越しに目を輝かせたすずが、芦屋へ謎マウンティング。違和感なく喋るなぁと隠れてちょっと感動しながら、「ってか、どうしてお前が僕の授業態度を知ってんだ」と肩にチョップ。


「気をつけて香月くん。ストーカーかも」

「違うから! 男女別々でも、ちょっと早く授業が終わったときとかにちらっと男子の方を覗きに行ったりするじゃん! 蓮ならわかるでしょ?」

「ああ、中学のときにちょこちょこあったなそんなこと……。僕ら男子にとってあれは基本、竜也がきゃーきゃー言われるのを見物する時間だったわけだが」

「及川くんって野球部だったの?」

「まさか。坊主頭のあいつは想像できん」


 さっきから見ていて、未だに一球も芯を外した打球がない。これで彼がどこかのリトルでエースで四番でしたというなら理解もできるが、実際には僕と同レベルの素人だ。シンプルな運動神経の高さだけで、竜也はなんでもそつなくこなす。「気分が乗らないから」と言ってありとあらゆる部活勧誘は突っぱねているが、たぶん中学で一番身のこなしが軽かったのはあいつだ。おそらく高校でも、運動部の奴らを軽々一蹴できる程度の実力はある。


「だからって言うべきなのかもしれないけど、本職の連中をばたばた打倒していく痛快さの女子ウケが半端じゃない。ルックスと能力の二段構えでめちゃくちゃにモテる。はちゃめちゃにモテる」

「バレンタインの放課後には告白待機列で渋滞できてたもんね」

「毎年の恒例行事だったな。三年の受験期はさすがに時間がないからって、僕を動員して一人あたり十秒で

剥がしたけど」

「……それ、ほとんど握手会では?」

「ファンイベントみたいになってはいた。他の学校からはるばるやってくる子もいたし」


 しかもあいつは、その一人一人に極力丁寧な対応をして、ちょっとでも良いなと思った相手には後日きちんと連絡までするのだ。消費エネルギーがとてつもなさそうで僕には無理だが、それができるからこそモテ男なのかもしれない。日頃つるんでいるという理由で僕にヘイトが向くのは理不尽すぎてわけがわからなかったけれど。


 当の竜也はこちらの話題を知ってか知らずか、結局二十球すべてを綺麗に打ち返し、なんなら最後の一球はホームランの的に直撃させて、受付からの呼び出しをもらっていた。このバッティングセンターは一発ホームランを打つと三ゲーム無料のチケットをくれるので、僕もあいつも積極的に狙っている。


「出禁にされるからほどほどにな」

「わかってるって」


 さらっと言葉をかわし、受付へとことこ歩いていく竜也。回数券はまだ残っているから、順当にいけば次は芦屋かすずの番だけれど……。


「……左打席は空いてないな」


 バッティングセンターの宿命として、左打席の少なさがある。右利き左利きの比率を考えれば仕方がないことではあるのだが、ごりごりに左利きのすずはその影響をもろに受ける。


「芦屋、やってみる?」

「……打てなくても笑わないでね?」

「最初はみんな素人だ」


 緊張しているのか体を強張らせながら打席に入る芦屋。90キロ。直球オンリー。このバッティングセンターの中で一番易しい設定だ。速い球に目を慣らしてからだと一周まわって打ちにくいが、初打席の彼女には関係ないだろう。不安げにバットを構え、僕の方をちらちら見ながら「これでいいの?」と視線で聞いてくるので、指で小さな〇印を作る。人に教えられる腕前ではないので、なんだか妙に気恥ずかしい。


 そうしていよいよやってくる初球。芦屋の腰の入った綺麗なスイングは、見事に空を切った。快音は聞かれず、それどころかボール三つ分ほど見当違いな場所を空振り。芦屋は勢いあまってよろけるもののすぐに体勢を立て直し、次の球もまた豪快に空振り。その次も、次の次も空振り。


「…………」


 先ほどよりもいっそう不安げな目で、バッターボックスから救助要請。よそ見中に飛んできた五球目に驚いて、芦屋の肩がびくんと跳ねる。


「ちょっと行ってくるわ……」

「うん。なんか見てらんない……」


 すずは芦屋の醜態を笑うでもなく、両手で顔を覆っていた。共感性羞恥というやつだろうか。これで芦屋がウケ狙いのひょうきんものだったらなんの問題もないのだが、彼女はただただ痛切に助けを求めている。空振りでもすっきりするとは言ったが、それはあくまである程度当たるという前提があってこそ。ただスカを出し続けるだけのくじに面白みを感じるのは無理だ。

 僕はマナー違反を承知の上で、芦屋のブースに電撃参戦。六球目もものの見事に空ぶって、すっかり小さくなってしまった彼女の肩をタップし、付け焼刃の指南。


「あんまり大振りしなくていい。金属バットは芯にあてればボールの方が勝手に飛んでく」


 言うや否や距離を取る。フォロースルーに巻き込まれたら大けがは必至。芦屋は僕のアドバイス通りに力を抜いて、ミート意識でちょこんとバットを振った。これも空振りには終わったのだが、目測自体はさっきより定まってきている。


「あと、グリップは短く持った方がコントロールしやすい。一発狙うなら論外だけど、まずはワンヒットって立場ならそっちの方がたぶん上手くいく」


 この助言をもとに、ようやくボールとバットが触れ合った。ファールチップではあるものの、空振りと比べれば大いなる進歩だ。思考と動きがきちんと連動しているところから見るに、芦屋の運動神経は決して悪くない。新しいアドバイスでその一つ前のアドバイスが消え去らないのも良い。

 ただ、バッティングという行為の性質上、どうしても一定以上の視力を要求されてしまう。芦屋はたまに眼鏡をかけるし、裸眼視力はあまりよくないと本人が以前言っていた。リリースを見て、それから手元を見て、となると、どうしてもピントが合いにくいのではないか。証拠に、かすり当たりは出るようになってきたものの、気持ちのいい打球はまだ一つもない。慣れれば勘で打てるようになりそうだが、今はまだその段階ではないだろう。


 仕方ないから、一肌脱ごう。


「……か、香月くんっ?!」

「あー、今はそういうのナシで。こっちで微調整するから君は自分の感覚で振りぬいてくれ」


 小柄な彼女に覆いかぶさるように、バットを上から持つ。せっかく来たからには楽しまないと損だ。お金ももったいないし。

 客観的に見たらめちゃくちゃ変態チックな体勢なのはわかるし、証拠にすずがなにやら喚いているが、変態性で言えばぱっと見被害者の芦屋の方が上だと謎の開き直りを見せる。開き直ったままスイングの補助をして、ようやくボールが前に飛んだ。


「わ」

「今の感じ」


 決していい当たりではなかったが、芦屋比で見れば会心の一発。あとは、芯できちんと捉えるだけ。球数は途中から数えていないが、おそらくあと一球や二球でゲームはおしまい。どうせなら最後はきちんとヒットで終えるべきだ。心地良い手の痺れを知ってもらうべきだ。

 

 そして、ついに来た一球。ランプの点滅は終わって、ラストなのだと悟る。コースは変わらずど真ん中で、これ以上なく打ち頃。ヘッドが先に走るように上手く補助し、ここからはもう運任せ。

 

「ナイスバッチ」

 

 いつの間にか戻ってきた竜也の声が後ろから聞こえる。その言葉通りに、芯で食った白球は綺麗な弧を描いて左方向へと飛んでいった。

 これだよこれ。この感覚が最高なんだよと、感動を分かち合うようにして僕は彼女に言う。


「たまんないだろ」

「……あの、ごめんなさい。耳だけは本当に弱くて、全然なにも覚えてない……」

「君はさぁ……」

 

 頬を染めて、内股気味にへたりこむ芦屋。やはり、どこまで行っても芦屋みやびは芦屋みやびらしかった。頼むから、男に性感帯を教える暴挙は金輪際なしにしてくれ。


「寝る前に思いだそ……」

「君はさぁ……!」


 お願いだから止まってくれ。示唆に富む発言をするな。


 

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