第28話 とどめを刺して

 想像だにしない、目を疑う光景だった。多少打ち解けてくれれば僥倖程度に思っていたのに、芦屋とすずが面と向かって話をしている。……それは正直脚色が強く、実態をそのまま言葉にするならメンチを切りあって言い争っているとでもいった趣だったのだが、僕の目に映る第一印象は前述の通りだったのだ。

 良くも悪くも誤算だ。やはり僕の見る目は正しかったのだと歩幅を広げて彼女たちの方に近付く。人間というのは都合が良い生き物で、途中キスやら舌やら不穏オブ不穏な単語が聞こえてきたのは気に留めなかった。どういう形であれすずが新たなる会話相手を獲得した門出の日として、僕は花火の一発でもあげたい気分だった。


 平静を装いながら「予想の万倍進展してるんだが……」と話しかける。僕がいない間、一体どんな話題で盛り上がったのだろうか。二人に共通する話題……たとえば僕の悪口とかだったら比較的最悪だが、まあそれも今は良しとしよう。


「まあ、なんだ。仲良くなれたようでなにより?」


 下手くそに祝って称える。それに対してどんな反応があるか期待すると、二人は仲良く口をそろえて言った。


「「それは絶対にない」」

「えぇ……」


 照れ隠し……というわけではなさそうだった。すずはともかく、芦屋はそういうことをするタイプの人間ではない。つまるところ、二人は僕が席を外した三十分やそこらの時間でしっかり仲違いをしたということになる。もともと違える仲などなかったと言ってしまえばそれまでで、しかし仲良くなれるポテンシャルは十分に保持していたことはまちがいないのだ。その部分に関しては絶対に見込み違いじゃないと、僕は胸を張れる。

 であればこそ、今の光景が異様にも映って。


「結構盛り上がってたように見えたんだが」

「今はちょうどウェスターマークエフェクトについて話そうとしていたところよ」

「ウェスター……?」

「いいかすず、絶対検索しちゃダメだし、単語自体もここで忘れておくのが身のためだ」

「小さい頃から同じ環境で育った異性は性的な目で見れなくなるって仮説」

「やーっぱりブレーキが壊れてやがる……」

「……いや、でも……」

「お前もそこで黙るな。僕まで恥ずかしくなるだろ……」


 合流から一分足らずでもうめちゃくちゃ。収拾のつけ方がわからなくなって、僕は振り返って竜也に助けを求める。……彼は、前のように足早に立ち去ってはいなかった。立ち去ってこそいなかったが、困ったようににこにこ笑って僕に手を振るだけだ。

 やはり、僕がどうにかするしかない。どうにかできる気がしないけれど、どうにでもしないといけない。めぐり合わせた過失はこちら側にあるのだから。


「お願いだから仲良くしてくれ」

「蓮の頼みでも絶対やだ」

「香月くんのお願いでも絶対無理」

「じゃああれだ。喧嘩はいくらしてもいいから、お互いの痛そうなところを狙って刺すプレイングばかりするのはナシ」

「香月くん、あなたの幼なじみさん、全身が急所なんだけど」

「わたしは殴られたから殴り返してるだけだもん」

「譲らねえなほんと……」


 合って欲しくないところで息ぴったりだ。求めていたのはもちろんこういうのではなく、なんというかもっと穏やかできゃっきゃした平穏な世界だったのだけれど……。っていうかすず、お前はお前で日中ずっと攻撃的だったろうが……。


「君ら二人がいがみ合うことにメリットが見いだせない」

「仲良くなったら情が湧くじゃない」

「仲良くなったらデメリットがある」

「どっちもどっちで消極的選択しやがって。結構趣味とか合うだろ二人とも」

「男の趣味の話してる?」

「…………」


 僕がつつけないところをピンポイントで殴り飛ばしてくる芦屋。この手の話題になると調子づいていたすずも失速して置物になってしまう。僕もどう返すのが一番スマートかわからずに前髪を二度三度くるくる巻いて、そこで意を決する。


「……それでもいいよ。二人きりで話してたらさっきみたいに盛り上がるだろ」

「盛り上がってない。さっきのもレスバマウント合戦だったもん」

「僕はそれをめちゃくちゃ好意的に見て、その上広義で切り取ることで盛り上がると言ったんだ」

「香月くん、中学二年の冬に花柳さんとキスしたって本当?」

「おい待てそれは僕のアイデンティティが完全に揺らぐやつだから本当にやめてくれ。コラ竜也、後ろに立ってるからって笑ってるのがバレないと思うなよ」

「へぇ……花柳さんが苦し紛れに放った嘘ではないと……」

「ぐっ……」


 いや、本当だけども。勉強で疲れて頭がまるで働いていなかったせいで、ついついうっかりやらかしてしまったけれども。……しかしどういう経緯でそれをバラすことになるんだよ。


「……回数を付き合ってきた日数で割ったらほぼゼロだからしてないようなもんだろ」

「香月くんはああ言ってるけど、今のを聞いてどう? 本当にニアリーゼロ?」

「…………」


 すずは熱っぽい瞳で一度こちらをちらりと見てから、すぐさま逃げるように目を伏せた。含みのあり過ぎる行為に気を取られる僕だったが、すずばかり気にかけているわけにもいかない。


「この会話の終着点が見えねえよ……」

「香月くんがどちらか指さして、その子を連れて家まで帰れば終了よ」

「できるかそんなこと!……っつ」


 竜也との会話から今に至るまで延々口を動かしていたのもあって、唇の端が切れた。誤魔化し程度に患部を舌でなぞってみるがそれで痛みが引くわけもなく、リップクリームを持ってこなかったのが悔やまれた。


 ――すると。


「待て待て待て待て」

「いいから……!」


 来たときからなぜか立ちっぱなしだったすずに手首を掴まれぎゅっと引き寄せられる。いくら筋力的に僕の方に分があろうとも不意打ちされては適わず、あっさりつんのめった。……そして。


「お前、お前なあ……」

「日頃からきちんとケアしてない蓮が悪い」

「それ言われたらどうしようもないけど……」


 僕の過失を一方的に責められながら、彼女が懐から取り出したリップクリームをぺたぺたぐりぐりと唇に塗りこまれる。……新品だったらギリギリセーフの可能性があるけれど、こいつが日頃これを愛用しているのを知っている身なので完全にスリーアウトチェンジといった感じだった。公衆の面前というところまで加味すると、十二回裏同点満塁外野フライでもサヨナラの大チャンスでキャッチャー前に点々とボールを転がしてトリプルプレーに取られる感じ。向こうひと月は人前に姿を現せない。


「……ふふん」


 僕の唇をすっかりぷるぷるにすることに成功したすずは、上機嫌かつ自慢げに背後の芦屋へ振り返る。芦屋は対照的に不満げで、腕を組んでこちらを睨みつけていた。……煽りあいしかできんのかこいつらは。


「ってかお前、これ色付きのやつだろ。僕をガーリーに飾り付けてどうするつもりだよ……」

「これしか持ってないもん」

「他のを持ってたとしてもやめろ」


 まあ、いざその場面になったら強く出られない自分の姿がありありと思い描けて情けないのだけれども。……しかし、刻一刻と状況は悪化していく一方。状況の悪さと反比例するように竜也はにこにこにやにやこちらを見てきて、後で必ず一発殴るという大きな目標と活力を僕にくれた。


「本当ね。うっすら桃色」


 ずっと座っていたままだった芦屋が立ち上がり、物珍しそうに僕の唇を見物する。今まで体感したことがないタイプの羞恥心に慄き怯えつつ、「見世物じゃないぞ……」と彼女を遠ざけ……遠ざけ……。――全然遠ざけられていない。というよりもむしろ、どんどん近づいているような…………?


 怪しげな気配を鋭敏にキャッチし、ボクサーよろしくスウェーバック。……しかし後から思えば、これが悪手だった。単純にバックステップで距離を取るのが賢い選択だった。

 



 反らし切った首は、いつのまにか駆動域の限界に達し。



 そのくせとあるタイミングで鷲掴みにされた首が、辿った軌跡を逆戻りし。


 

 逃げ場なんて完全に失ってしまった状態で僕の頭が引き寄せられた先には、どうしてか芦屋の顔があり。



 さらに緻密な描写をするのなら、そこには芦屋の唇があった。さらにさらに、その前には僕の唇もあって。


 

 どうしてか、くっついて。



 離れる頃には、思考らしい思考のほとんどが霧消してしまっていて。



「ごちそうさま香月くん。そしてセッティングお疲れ様、花柳さん」

「な、ななななななななな!!!!」


 芦屋の渾身の煽りボイスは、つい先ほどまで勝ち誇っていたすずの精神と尊厳を完全に破壊したようだった。『な』だけを発する壊れた音楽プレイヤーに成り下がったすずは、「なああああああああああっ!!!!!」と今日イチで大きな声を張って、それっきり黙りこくる。


「これでタイよね?」


 鯛でもタイランドでもなく、横並びのタイ。しかしその言葉をかけられたすずは既に機能を停止していて、返答はない。

 芦屋は、その無言を肯定と捉えたらしい。


「というわけで香月くん、今のが私のファーストキスだったわけだけど」

「…………僕としては完全にもらい事故だったわけだけど」

「ひどい」

「酷いというなら君の方だろ……」

「……でも、正直まんざらでもなかったでしょう?」

「…………」


 無抵抗を良しとした身で反論はできなかった。本当は言いたいことなんかいくらでもあったけれど、今はなにをしても揚げ足を取られて言葉尻をつつかれそうで、ただ静かに抗議の視線を彼女に注ぐに留める。


「顔真っ赤」

「君は耳まで真っ赤だろうが」

「…………それはご愛嬌で」


 彼女としても、照れがないわけではないようだ。だからといってさっきの奇行がチャラになるかと言われればそんなことはないけれど。


「これ、一周まわって花柳さんと間接キスしたことになるのかしら?」

「確かなのは、今はそんな冗談を言っていられるような場面じゃないってことだ」

「じゃあ、真面目な話、する?」

「…………」


 それはそれで困る……とは、言えなかった。やはり言葉尻をつつかれてしまって、自分の浅慮を恥じる。しかししかしだ。今のをあっさり許容できるほど僕はまだまだ精神的に成熟していなくて、故に仕方ない行動で。

 だから――


「今さらだけど、好きよ、香月くんのこと」

「…………だからなんでだよ」

「ないしょ」


 頭の中で練り上げた自己正当化の言い訳は、すっかり消えてなくなった。芦屋の存在は僕泣かせもいいところで、文脈の存在しないところからいきなりがつんと殴られては対応なんてできやしない。

 彼女は片目を閉じて人差し指を口の前に立てたないしょポーズで「ぐらっと来た?」と、とうとう僕までも煽ってくる。……もしかして、僕はとんでもない女と友人になってしまったのかもしれないと、遅きに失して勘づいた。


「……それから、改めて自己紹介。まだ、ちゃんとしてなかったわよね。芦屋みやび、十五歳。あなたの立場を脅かすべくやってきた、空から降ってくる系ヒロインです。以後よろしく」


 容赦が、容赦がない。動かなくなって久しいすずにきっちりとどめをさしきって、悠然と、流麗に、軽やかなステップで芦屋は遠ざかっていく。すずは「きゅう……」としか返せず、生まれたての小鹿のように足取りがまったく覚束ない。あわや倒れこみそうなところをぎりぎりで受け止めた僕に向かって、芦屋は言う。


「今日のところはこれで失礼するわ。香月くんにもお仕事ができちゃったみたいだし」

「君が作ったんだよ……」


 すずの介抱。潰れてしまったこいつを家まで連れ帰るのは骨が折れる。背負って歩くの、めちゃくちゃ目立つし。


「今日は楽しかった」

「僕は胃がねじ切れるかと思ったよ」

「良い返事、期待してるからね」

「…………」


 返事って。返事とは。僕も好きとか嫌いとか、そういうことを返せばいいのか。期限はいつだ。今日か、明日か、休み明けか。そういうのをはっきりしてもらわないと、僕はもう身動き取れなくなっちゃうタイプなんだってば……。


「れんのばかぁ……」

「誰も彼も言いたい放題だなもう……!」


 へにゃへにゃのすずをおぶって、最初から最後まで遠巻きに眺めることをやめなかった誰かさんへ言う。


「これも傑作か?」

「とんでもない。大傑作だよ。ドラクエとかFFみたいなシリーズものの集大成かと思った」

「香月蓮サーガはもうオワコンなんだ。勘弁してくれ」

「……まあ、いよいよそういうのと向き合う時がきたってことなんじゃないの?」

「それにしたって……」


 もにゃもにゃ言っているすずの顔を見てから、心の中でだけ言う。


 ――それにしたって、これはあまりに急すぎるだろ。

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