第27話 わたしの/私の
「花柳さん、運命って信じてる?」
「どうしたのいきなり」
「信じてる?」
「……ほんのりと」
「そう。少なくとも、私はまるで信じていなかった」
過去形。では、現在は。涼音の頭に浮かんだ疑問が言葉になる前に、みやびは先回りした。
「つい一か月前までは、ね」
「……なに、蓮との出会いが運命だったって言いたいの?」
「そう聞こえたかしら」
「家が隣ってこと以上に強烈な運命がある?」
「捉えようによっては」
挑発的に笑うみやびに尻込みして、涼音は体を強張らせる。少なくともそういった外的要因で、自分が誰かに後れをとることなどありえないと思っていたから。誇張でもなんでもなく毎日隣にいて、好き嫌いも癖も全部知っている。困ると髪の毛をいじりだすこととか、左腕を下にしないと眠れないこととか、他にも色々。誰より蓮を知っていると自負している彼女から見て、自分より運命的なポジションに立つ相手なんてどこにも。……どこにも。
「…………」
すっと血の気が引いていくのを涼音は感じていた。もしや。まさか。あるいは。でも。しかし。様々な単語が頭の中に散らばって、それらが一点に収束していく。
彼女の目に映ったのは、みやびがこれ見よがしに取り出した化粧ポーチ。そこには、自分も何度か見たことのあるリストバンドがぶら下げられていて。
けれど、それ以上に目を惹かれるものがあって。
「出会いだけではまだ弱い。……でも花柳さん、再会だったらどうかしら?」
「……なによ、そんな、前にも一度会ったことあるみたいな」
「去年の夏」
予想していた、そしてなにより聞きたくなかったワードに、涼音の心臓は跳ねた。跳ね幅が自分が想像していたものよりはるかに大きくて、みやびの言葉よりもむしろその事実の方に動揺した。
去年の夏。このキーワードは、初めて耳にするものではない。
誰かが、いつか、言っていたではないか。
「申し込んでいたライブのチケットに当選した私は、初めての現地参戦へ挑んだの。右も左もさっぱりわからないまま、浮かれるままの気分任せで」
「それって、蓮も行ってた……」
「ええ、そうね」
実のところ、チケット抽選の段階で涼音も誘われてはいた。いたけれども、参加アーティストにそこまでの熱を持てていなかったことと、なによりも人が溢れかえる場所の恐ろしさに断った。全校集会程度の密集度合いでも瀕死になる自分が、熱を持った何百人何千人という聴衆の中に放り込まれたら存命のまま帰宅できると思えなかったのだ。かなりタフな蓮でもライブ帰りはいつも満足した顔で死にかけているから、到底自分には耐えようもない。
けれど、あのときばかりは、体に無理を聞かせてでも行くべきだった。
それは、リストバンドと一緒に括ってあるキーホルダーを大事そうに撫で付けているみやびの表情を見れば瞭然で。
「当然下調べはしたけれど、現場に行って初めてわかることも多かったわ。独特の雰囲気や熱気は、文字を追うだけではつかみきれないから。すっかり飲みこまれてしまった私は物販の最後尾を見つけるのにもたついて、自分の番が回ってくる前に、一つまた一つと商品がなくなっていって」
「……それで、どうしたの?」
知っているのに聞く。正確には、知っていると知られたら困るから聞く。
その先の出来事が、蓮にとってはなんてことない、誰に話すでもないよくある話なのだと思ってもらうために。
記憶になんか残らない、ありふれた日常の一幕だったのだと思ってもらうために。
「私の前でなにもかも売り切れたわ。あまりの運のなさに、目の前が真っ暗になった」
「その話に蓮が関わる隙間があるの?」
「あら、あなたなら聞いているものとばかり。……ということは、うん」
「…………」
悪手。涼音の無知を、みやびは好意的なものとして受け取ってしまった。取るに足らないから話さなかったと受け取ってもらいたかったのに、大切な思い出だから宝物のように扱っていたのだと受け取られてしまった。
こうなればもう止まらない。事実がどうであれ、向こうが勢いづいてしまう。
「善意ってあるんだって、見返りを求めない善人がいるんだって、感動したの」
「……今の流れでそうなるとは思えないけど」
「そうね。普通はおかしい。でも、私の前に並んでいたのは、香月くんだったから」
「…………」
「『これもう要らないんでもらってください』って私の手にキーホルダーを押し付けて、ためらう間もお礼を言う間もなく走ってどこかへ行った彼の後ろ姿を、たぶん私は一生忘れない」
「蓮は――」
蓮はそんなにかっこいい人間じゃないと言いかけて、やめた。当時、どんな打算があったかは聞いている。走り去ったのだって、その方が格好がつくと思っていたからに違いない。善意なんてなかったし、求めていないかに思われた見返りなら、自分と話すことで武勇伝になっている。
しかしそれらを踏まえたうえで、涼音は否定を諦めた。だって、みやびにとっては、今言ったことがすべてだから。蓮の存在が落ち込む自分を救ってくれたヒーローなのはなにひとつまちがいがないから。
裏にあった打算も計算も、彼女には関係がない。救われたという事実があればそれでいい。
かく言う涼音自身、そんなどうしようもない蓮に、どうしようもなく救われてしまった一人だから。
「蓮は、たぶん覚えてない。話せば思い出すかもしれないけど、言っちゃえばそうでもしないと記憶を掘り返せない。あいつは、優しさをまき散らすだけまき散らしておいて、それで恩を売ろうとか貸しを作ろうとか、一切考えないから」
「ずいぶんわかったように言うのね」
「実際わかってる。芦屋さんの百倍、蓮を知ってる」
「それは単なる期間の差でしょう? 密度は絶対にこちらが上」
「あ・り・え・な・い」
ばちばち視線の火花を飛ばして、最後に「「ふんっ!」」と顔を背け合う。両者共に、目の前にいるのが不倶戴天の敵であることを理解する。
「高校に入学して、たまたま蓮を見つけたのが運命って言いたいの?」
「運命でしょう。SNSや掲示板なんかで探し回ってもずっと空振りし続けたのが、あんなにあっさり見つかるんだから」
「それで、クラスの端から蓮に話しかけるチャンスを虎視眈々と狙ってたんだ。ほとんどストーカーじゃん。あいつのことだからきっと『恩義と恋慕とをごちゃ混ぜにされるのはちょっとな……』って渋い顔するわよ」
「…………」
言いそうだと思ったのか、今度はみやびが固まる。してやったりとふんぞり返って、涼音は間髪入れずに続ける。
「それにあいつ、芦屋さんのこと女子としては全然なんとも思ってないわよ。いくら顔が可愛くったって、一回友達枠にカテゴライズしたらそうそうそれを変える奴じゃないんだから」
「自虐?」
「わたしは違うもん! 特別枠だもん!」
「それで言ったら私だって、感情は分けて考えてる」
あっさりイニシアチブを譲り渡した涼音は、そのままみやびの反撃を許した。致命的な詰めの甘さに唇を噛みつつ、彼女はせめて威圧感だけでも出しておこうと背筋をぴんと伸ばした。こういうときに長身は役立つ。
しかし、その程度のプレッシャーに動じるみやびではなく。
「最初に話しかけたのは積もり積もったお礼を言うため。……まあ、仲良くなれたらいいなって思いは確かにあったけど、それ以上ではなかった」
「一目ぼれじゃないの?」
「そんなに安くない。言い寄られ慣れてる」
「じゃあ芦屋さんは、自分の顔がよかったから蓮がグッズ譲ってくれたかもって疑ってたんだ」
「でも違った。香月くんは飄々としてつかみどころがなくて、良い意味で思っていた通りの人だった」
「試したんだ」
「試すわよ。男性不信だもの」
「…………」
それを言われると、人間不信の涼音はなにもできない。無償で他人を信用できないから、信用するに足るのだと自分を納得させられるエピソードが要る。なにをどこまで預けられるか、測る必要がある。
「会うとどきどきして、話すと楽しくて……。でも、同時に懸念材料もあって」
「なによ」
「……あまりに露骨すぎる下心のなさ」
「あー……」
「男の人って、どんなに隠してもどこかでそういうのがちらつくものなのに、彼には全然それがなかった。話すときには目しか見ないし、徹底して下世話な話はしない。……明らかに女馴れしている」
「……わたしのせいみたいな目で見ないでよ」
「そう思っているもの。でも、平気で私と二人きりになるし休日にも出かけるしで、彼女持ちでないことは明らか。浮気できる性格じゃないのは確かだから。……けれど、ことを急がないともしかしたらがあるかとは思った」
「……………………………………………………それで強行策?」
「絶好のタイミングで家に誘われたんだもの、もうそれ以外ないじゃない。本当だったら部屋に入るなり押し倒して、私以外見れなくするつもりだったわよ」
「あのとき部屋にいて本当によかったぁ……」
「あのときあなたがいなければ……」
ここでふと気づいて、涼音は言う。
「でもでも、それが失敗したんだから芦屋さんはもうゲームオーバーじゃない。蓮はわたしの。これで話はおしまい」
「さっきは自分のものじゃなくて良いって言ってたくせに……」
「事実としてそうなんだから仕方ないでしょ」
「……まあ、だからこそ、なんだけど」
「…………!」
「淑女だと思っていた相手が意外とルーズだったことがわかれば、最初は困惑して当然。……でも、それが決して悪い方にばかり作用するとは限らない」
「い、良いことなんかないよ!」
「気安くて、性に奔放で、言ってはなんだけど、そのうえ可愛い。このポジションの椅子なら、当然彼の中にも余っているはず」
「――な」
「嫌でもそういう方面で意識しないといけない相手として、私は彼の中に居座れる。これは決してあなたでは至れない場所」
「――――なぁっ!」
「十年に渡る安息の日々お疲れ様、花柳さん。でも、ここからは私のターンだから」
大胆過ぎる宣戦布告に、ついつい涼音は立ち上がる。なにか言い返そうとして、しかし言葉がつっかえて出てこない。
「ファーストキスもその先も、全部私が横から攫う。呪うなら、今の立ち位置に甘んじた自分自身にしてちょうだい」
「…………もん」
「なに?」
「……ファーストキスは私だもん」
目を剥いて、しかしすぐさま平静を取り戻すみやび。
「どうせ寝込みを襲ったんでしょう? あなたに気を許してくれているのをいいことに、尊厳無視で好き勝手」
「…………それも、あるけど。でも、二人とも意識があるときに、ちゃんと一回したもん」
「……ど、どうせそれも、事故かなにかで。あ、子どもの頃のお遊びをカウントしてるとか」
「中二の冬休み、一緒に勉強してたら変な雰囲気になって、そのまま……」
「…………」
両者閉口。涼音は今まで誰にも話してこなかったことを、よりにもよってこんな局面で喋ってしまった後悔と恥ずかしさから。みやびは、安牌だと思い込んでいた相手に先手を取られていた敗北感から。
しかし、いつまでも黙っているということはなくて。
「あなたからならほとんどノーカウントよ。香月くんは拒まないもの」
「……でも、腕とか回されたし」
「……一秒や二秒唇をくっつけただけでしょう」
「体感だからはっきりしないけど、その十倍くらいは……」
「…………舌は?」
「……………………それはさすがに」
「はい! ならお子様のじゃれ合いね!」
「でも、この先芦屋さんがもし頑張ったとしても、所詮は二番煎じだから」
「…………」
「…………」
「予想の万倍進展してるんだが……」
ばっ! と二人が声の方向を見た。そこにいるのは渦中の人物。即ち――
「まあ、なんだ。仲良くなれたようでなにより?」
「「それは絶対にない」」
「えぇ……」
香月蓮、その人。よりにもよってこのタイミングで、修羅場はさらに加速する。
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