第26話 面倒な
「別に、香月は鈍感じゃないんだからさ」
腕を組んでため息まじりに竜也は言った。
「涼音ちゃんがまあまあ狂気的なレベルで自分のこと好きだって知ってるわけじゃん」
「まあまあと狂気的のミスマッチ感すごいな」
「茶化すってことは同意や肯定でしょ?」
「僕を徹底解剖しないでくれ」
癖とか傾向とか、僕以上に僕を知っていそうで怖い。どう返すか思い悩みながら前髪をつまんで、途中で面倒になってかき上げる。つけ慣れないワックスの匂いがして、まとまりかけた考えが散らばる。
「まあ、知ってるよ。かなり露骨だし」
「香月も香月でかなり明け透けだけど」
「隠し通せる気がしないもので」
たまに会って話す程度の相手であればなんのその、日常的に顔を合わせる人間相手に偽装を繰り返すのは骨が折れる。コストとしては不要だ。だから逆転の発想で、繕わなくてもよさそうだと思える相手とばかり縁を深めた。最近に至るまで竜也とこの手の話にはならなかったから、僕の見立ては正しかったと言える。
「付き合っちゃえばいいじゃんっていうのは、第三者的なおせっかいかな?」
「おせっかいだな。大きなお世話とも言う」
「でもなぁ。いくらなんでも遠回りし過ぎだと思うんだよ。幸福への切符は既に握ってるんだから、さっさと車両に乗り込めよって感じ」
「それが竜也の恋愛観?」
「おっと」
竜也は慌てたように口を噤んだ。洋服を取り換えるように女性をとっかえひっかえする大本の理屈がちらりと顔をのぞかせたような気がする。ただの好色というわけではないらしい。幸福への切符という言い回しには昨日今日生まれたとは思えない年季を感じて、それも少し気になった。
「俺のことはどうでもいいからさ、香月の話しようよ」
「この先となると、だいぶどころかかなり気持ち悪い僕の謎理論が登場するけど」
「聞いてから判断する。遠くの薔薇より近くのたんぽぽなんて言うけど、香月の場合は足元にちょうど薔薇が咲いてるわけじゃん。なら摘んでおくべきだって思うのは、たぶん俺だけじゃないよね」
「この場合、遠くの薔薇は芦屋?」
「そうなるね」
回りくどい比喩だ。こんなポエミーなことを言う人間だったかと竜也を訝るが、僕は別に彼の全てを知っているわけではなかった。仲を良好に保つためという大義名分を掲げ、敢えて避けてきた話題は数多い。いよいよそれではダメな時が来てしまったのだと、おとなしく諦めて首をくくろう。……くくるのは腹か。
「親戚のおじさん視点で香月たちを眺めてる俺からするとさ、芦屋さんと仲良くなった時点でまあまあ不満があったわけ」
「どんな視点だよ」
「他人の幸福を間近で見物するの、結構楽しいから」
「趣味が良いやら悪いやら……」
「ま、それは置いといて。俺としては、あんまり涼音ちゃんを不安にさせてやるなって思ってた」
竜也にぴっと指をさされ、僕は体をわずかにのけぞらせる。
「リハビリとか社会復帰とか言うけど、あの子には香月一人いれば十分なわけじゃん」
「そこまでではないと思うぞ」
「いいやそこまでだね。もし明日香月が事故で死んじゃったとして、年内に涼音ちゃんが後追いする可能性を考えてみなよ」
「物騒なたとえだなおい……」
確かに、ジョークテイストであんたを殺してわたしも死ぬみたいなことを言われて日は浅いけれど、まさかそんな極端な……。極端な…………。
「……五割くらい」
「低く見積もり過ぎ。九割九分だよどう考えても。香月の庇護なしで生きていける状態じゃないんだから」
「……そういう方向性に歪ませてきたって負い目があるから、友人って逃げ道を用意しようと必死なんだよ」
「香月なりの考えがあるのはわかるけど、まちがいなくもう無理。軌道修正できる段階じゃない」
「じゃあなにか、もう諦めてお縄にかかれと」
「罰ゲームみたいに言うけど、難しく考えすぎなんだって。付き合っちゃえばいいんだよとりあえず」
「……言っておくが」
僕は仰々しく前置いて、そこからバカみたいな話を展開した。
「たぶん、僕らは一回付き合ったら別れるって選択肢自体が消えるぞ」
「するとどうなる?」
「普通に結婚して、子どもができて、幸せだったなぁって思いながら死ぬ」
「いいじゃん」
「ところが、あんまりよくなかったりする」
僕は凝り固まってきた首をぐるっと回す。関節がぼきぼきうるさいが、それは無視する。
「身も蓋もないことを言うが、すずは綺麗な顔してるんだ」
「知ってるけど」
「スタイルもかなり良い。最低なことを言えば胸周りの発育が著しい」
「香月、テンションおかしくなってきてない?」
「なってる。知ってる。でも続ける」
「おぅ……」
「二十代も終わりに近づいて、ある日僕は疑問に思うわけだ。『自分が青田買いしなければ、こいつはもう少し良い人生がおくれたんじゃないか』って」
「でも、涼音ちゃんはそんなこと絶対思わないじゃん」
「当たり前だ。人は自分が持っている知識と物差しでしか世界を測れないんだから。衣食住満ち足りている先進国の方が途上国より幸福指数低かったりするだろ」
「香月が縛ることなく社会に出れば、もっと良い男であったりもっと良い暮らしであったりにありつけると」
「もしかしたらそうじゃないかもしれない。もしかしたら現状が最高値なのかもしれない。……だからって、僕の疑問や不安や罪悪感を解消する手立てはないわけだ。悪魔の証明だからさ」
「…………………………めんどくさっ!」
「な? こんな面倒なのに運悪く見つかってしまったすずが不憫でならん」
肩を竦める。自分でも考え過ぎだとわかっていて、それでも思考を止められないジレンマ。僕に他人の人生を背負いきれるほどの器はなく、それでも中途半端に口を挟んで手を出してしまったからには、その過去がずっと自分を追いかけてくる。なにが正解だったのか再三己に問いながら、未だに答えは出ないままだ。
まちがったことなんてないと確信はしているものの、その全てが最適解だったかと突っ込まれたらそうじゃない。その場その場で選んできた自分の能力都合の最善策が、あとから振り返ればとんでもない悪手だったなんてことはざら。ゼロからやり直したい局面は山ほどある。
「僕はいつだって、資格や資質を気にしている。女々しいことにな」
「……なんていうかさ、香月、他人にはなにも求めないくせに、自分にばっかり重荷や重責課してない?」
「生まれつきの性格なんだよ。こうやって生きる方法しか知らない」
変えられるとも思わないし、変えるつもりも毛頭ない。ああでもないこうでもないと反省して自己嫌悪して、それでも無理くり生きていくのが性に合っている。泥臭くて情けなくて格好悪いが、そういうの全部ひっくるめて香月蓮だ。これが、僕だ。
「香月の場合は、自分を好きになるところから始めなきゃいけないんだろうなぁ……」
「自分のことなんか嫌いでも、人生割と楽しいぞ。楽しく生きる能力は人より優れてる」
「ポジティブなんだかネガティブなんだか」
「マイナスにマイナスかけたらプラスだからな」
ニヒルに笑って、売り場から離れる。手にはやっとのこと選んだ濃紺のエプロンが握られていて、あとは精算して向こうと合流するだけ。普段から財布を二つ使いしているのが生きた。
「だけど未だに、芦屋さんが香月にお熱な理由がはっきりしないんだよね。香月に心当たりは?」
「本人に聞いてみたけど、よくわかんなかったな。きっかけ自体はちゃんとあるってヒントはもらったんだけど」
「普通面と向かって聞かないでしょ……」
竜也は呆れるように言って、「まあ、香月らしいか」と勝手に納得した。その妥協的なニュアンスに、僕はついつい吹き出した。
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