第21話 香月蓮。述懐。
「愉快だね」
「愉快じゃないんだ残念なことに」
「じゃあ言い方変えなきゃ。傑作だね」
「……それはまあ、そうかもしれない」
肺に溜まった空気を吐き出す。数時間ほど緊迫感の中で呼吸をしていたから、そのぶんの重りを一気に下ろした気分だ。
「女の子二人を一か所に集めちゃダメだって俺はきっちり忠告したのに」
「それを踏まえたうえで、これしかないなって思ったんだよ」
足を乗せたエスカレータは一定のペースで階下に向かっている。目的のスポーツ用品店は上階にあるにもかかわらず、だ。
僕の一段下にいる竜也はこちらへ振り返り、にかっと笑って言う。
「俺、結構役者だったでしょ」
「ああ、申し分ないよ」
「それに引き換え、香月は大根だったけどね。『気になってるって言ってたの見つけたよ』の返しが『うわぁ気になる』じゃおかしい」
「仕方ないだろ……」
「もうちょっとうまくやろうよ」
「……じゃあ君、芦屋が一番嫌いなもの知ってるか?」
「なに」
「嘘」
「…………」
ひゅぅと口笛を吹いて、竜也は唇の端をひくつかせた。「例のスパイクほんとにあったのか?」と聞くと、彼は肩をすくめて「もう売り切れちゃったみたい」とうそぶいた。……そういうことにしておこう。
僕らはさっきまでいたフロアから二階下に降り立って、その足で雑貨屋に向かった。おそらく男二人で入る想定がなされていないのか、店員に怪訝な目で見られる。
「悪いな。せっかくの休日を」
「まあ、たまにはね。昨日見殺しにした負い目もあるし」
「そういやそうだったな……」
芦屋に詰め寄られた僕をさっさと見捨てて逃亡した奴がいたような記憶があるが、忘れることにしよう。それがお互いのためだ。
「ただ、こうなったからには根掘り葉掘り聞かせてくれよ。俺だって色々気になってるんだから」
「……大盤振る舞い。今日は答えられる範囲なら全部請け負う」
「お、気前がいいね。じゃあ早速だけど、なんで俺に割り込ませたの?」
「荒療治、かなぁ……」
店の中をうろちょろしながら会話。竜也は僕の一歩ほど後ろをついて歩いている。
「今日の感じを見て、意外といけそうって思っちゃったんだ。もしダメだったら君には帰ってもらう算段だった」
「人使いあらっ」
「そっちの方が気が楽そうだけど」
「あぁ、まあね。あの場から香月だけ攫う口実を考えるのも大変だったし」
僕が特定のプロスポーツ選手をモデルにしたスパイクに興味があるというのは事実。それを竜也に語ったのも事実で、しかしおそらく、この建物のどこにもそれは売られていない。ほどよく真実が混ぜ込まれた嘘は看破されにくいが、ディテールを整えたが故の事故もある。
竜也に連絡を取ったのは昨晩。できればで構わないから、午後にこのデパートで待機していてくれとお願いした。呼び出したのはついさっき。考え事をしつつスマホをいじっていたとき。
「しかし荒療治って、涼音ちゃんの対人恐怖症でしょ?」
「ああ」
「……なんか香月、そのあたりの主張一貫してないよね?」
「ん?」
「いつまでも閉じこもったままじゃ駄目だって言った口で、辛い思いしてまで学校に来ることはないなんて言ってみたりもしてさ。どうにもちぐはぐと言うか、矛盾していると言うか」
「そうでもないと思うが」
僕の返答に不満顔の竜也。確かに理屈が通った発言かと問われれば危ういが、万に一つも成立しないかと言われればそれもまた違う。
「自分の主張一本で押し通そうとしてるなら竜也の言う通りだけど、こういうのってケースバイケースだろ。まず初めに本人の意思があって、次に外野の思惑だ。すずがどうにかしたいって頑張ってるのは僕が一番知ってる。なら、手助けの一つや二つくらいはな」
「その結果が荒療治?」
「賛否が別れそうなのはこっちも重々承知」
リスクを背負っても、すずと芦屋を二人きりにしたかった。最初は仲を取り持とうだなんて思い上がっていたけれど、あの場にいては確実に僕が火種になる。だからもし、僕という障害を取り払ったときにどうなるか。それを試してみたかったのだ。
本当に稀なのだ。あいつが、他人を相手に臆せず向かっていくことは。
「思うところは色々あるんだ。すずのリハビリ以外にもさ」
「他ってなにさ?」
「竜也、友達の友達は友達であるべきだと思う?」
「まさか。俺の友達の中には絶対香月と合わなさそうな奴が何人もいる」
「何人もか……」
せめて『何人か』であって欲しかった。まあ、竜也の顔の広さを思えばそれはおかしなことじゃない。というよりも、これは僕側の問題。偏屈な僕が竜也の友人に合わせられないのだ。すべてこちらの対応力が原因。
「香月はそうあるべきって考えてるの?」
「まさか。僕も君と同意見だ」
「じゃあなんで?」
「……順序の都合」
言って、真面目な雰囲気を阻害するヘアピンを外した。「そういえば気になってたんだけど、それなに?」と聞かれたので「太古の秘宝」と適当に返しておく。
「友達の友達が友達である必要はない。……でも、友達と友達が険悪な雰囲気になっているのを許容する人間でありたくもないんだな、僕は」
「相変わらず小難しいこと考えるね」
「自覚してるから許して」
きっと好相性だろうと見切り発車して、しかし僕の読みは外れた。一度巡り合ってしまった以上二人には因縁と言う名のつながりができて、それはたぶん、長く尾を引く。
かたや、今後も長い付き合いが続くとほぼ確定している隣家の女子。かたや、今後も長く仲良くしていきたいと思っている同級生の女子。お互いの存在が割れたからには話題にあがる回数は一度や二度ではないだろうし、いずれまたエンカウントする機会だってある。学校が同じなのだから、クラスをともにする可能性も否定できない。……その度ギスギスされるのは、好ましいことではなかった。
「要は、僕の都合なんだよ。エゴイズム」
目に映る小さな世界が平穏であって欲しいと願うあまりに、それを他人にまで強要している。独善的で薄気味悪いが、そういう生き方しかできないのだから仕方ない。
僕は、生きづらい人間なのだ。
「それならそれで、遠巻きに二人のこと盗み見ておいた方がいいんじゃないの?」
「そこまでいくと僕基準ではアウトかなって」
「うわぁ、マジで面倒だ……」
ここまでけしかけておいて、プライベートな会話を聞くのはどうしても憚られるという倫理的な判断が邪魔をする。とても数日前に尾行からの盗み聞きを果たした男の発言には思えないが、あれは完全にイレギュラーだったからと自己弁護。
話しながらやってきた売り場で、僕は二千円そこそこの布製品を手に取った。畳まれていたそれを広げ、参考までに自分の体にあてがってサイズを確認する。
「香月ってレディース使う人?」
「違う違う。これはプレゼント」
「お母さん?」
「半分あたり」
「じゃあ涼音ちゃんか」
商品はエプロン。そもそも今日の買い物自体、これを買いに来るというところから話が膨らんだのだ。一緒に選んでもよかったのだが、さすがに芦屋の前では火に油だと僕でもわかった。
「あいつがいつまでも頑なに古ぼけたぴちぴちの使ってるから、取り換えどきかなと思って」
「とかなんとかとぼけたように言うけど、その頑なさの理由は察しがついてるんでしょ?」
「まあね」
オーダーはポケットがたくさんついてるやつだったっけ。それプラスで、デザインはシンプルであるのが望ましい。落ち着いた配色で、脱ぎ着も楽に越したことはないだろう。こういうのは基本フリーサイズだが、体格的にそこまで離れていない僕で試しておくのもアリ。
「ところでさ」
「ん?」
「この際だからいっそ思い切って聞いちゃうんだけど、香月って涼音ちゃんのこと好きなの?」
「……マジで思い切ってきたな」
「いやぁ、なんかアンタッチャブルな感じで、ずっと宙ぶらりんだったから。……でも、俺を休日出勤させたツケとしては、これくらいが妥当じゃない?」
「……二日ぶり二度目だ」
「はい?」
僕がその手の問いを忌避してきたのを知っている竜也としては、これ以上なく意外だったのだろう。軽薄そうにこそ見えるが、思い切ったというのは事実であるはずだ。僕が前条件もなしにそんな話をするわけがないと、彼は信じ切っている。
「芦屋ともしたんだ、その話」
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