第20話 香月蓮の受難5
味はわからないままそれでもしっかり腹だけは満たして、「ごちそうさまでした」の声とともに退店。時間が経過すればするほどにムードは険悪になっていって、はてさてどうするかとスマホをぽちぽちいじりながら頭を悩ます。
現在地は、来た道を戻って駅前。すずにねだられていた圧力鍋を物色すべく複合デパートに突貫して、金物を取り扱っている区画を右往左往していた。
「数が多いよ数が……」
似たような価格帯で何社競合してるんだこれ。機能も結構まちまちだし、最適解がさっぱりわからない。
一応、母親から軍資金の援助はあった。太っ腹に差し出された諭吉一枚あればまあ、大抵の売り物には手が届く。届きはするが、選択肢が多すぎてどうにも。
「なあプロ、有識者的にはどれが一番なんだ?」
「プロじゃないんだけど」
すずは不貞腐れたように言って、今目の前にあった鍋の側面をこつこつ叩いた。
「わたしもそんなに詳しいわけじゃないし、動画の人が使ってたのはかなり高いモデルだったから……」
「値段でガラッと変わるの、火力くらいじゃないのか?」
「あと容量。一家族ぶん賄えるかって結構大事だよ」
そのほかにも、形状や保証期間なんかに気を遣う必要がある。すずの左利きという特性を考慮する必要もあって、即断即決とはいかない。
「悪いな、付き合わせちゃって」
物珍しそうに値札や商品紹介のポップに視線を落としている芦屋に言う。誘った僕が言うのもなんだが、完全にプライベートな買い物に巻き込んでしまった。
「家電をまじまじ見るの、初めてかも」
「ああ、人によってはそういうこともあるか」
親が決めて買ってくる場合が多いだろう。そこに子どもを同伴させるかどうかは完全に親の裁量次第だし、一人暮らしでも始めるまでノータッチというケースは決して珍しくない。
ウチや花柳家は、そこらへんを子どもに投げっぱなしだった。信用されているんだか放任主義なんだか、三年前に洗濯機が壊れたときは僕に十分な量の金を託して「値切れるだけ値切ってきな」と送り出された。ガキじゃ足元見られるから値切り交渉なんて上手くいかないよと訴えても「社会経験だから」と押し通され、渋々すずを伴って買い付けに赴き、最新モデルをあの手この手で千の位以下端数落としで妥結して、浮いた資金で夕飯を食べて帰った。思い返せば確かにいい経験ではあるものの、さすがに荒唐無稽が過ぎる。まあ、ひきこもりが酷かったすずをどうにか外出する機会を作ってやりたいという親心もあったのだろうけれど。……いや、他所の子に親心を発揮してどうするんだという話だが。
「慣れてくれば意外と面白いもんなんだけどな。物選びから始まって店員との駆け引きに至るまで、全体的にゲームっぽくて」
「ゲーム?」
「一つの売り場でじっとしてると、たまに店員に声かけされるんだよ。『なにかお探しですか?』って具合に。どこまで弱みを見せず、どこまで譲歩を引き出させるかってバトル。こんなんもうゲームだろ」
服屋における店員とのエンカウントは事故だが、家電屋ならむしろチャンス。一番身近なネゴシエーションの舞台だ。意外と度胸試しにもなって、スリルには事欠かない。そんなことを考えながら交渉している人間は多くないだろうが、社会経験が得られると宣ったウチの母親の言自体には僕も賛同している。
「そういえば、芦屋邸に圧力鍋はあるのか?」
「ええ、一応。私はあまり使わないけど」
「お、じゃあ使用感聞けるじゃん。モデル的に近いの、この中だとどれ?」
「ええと……」
ぐるっとあたりを見回してから、芦屋は一点を指さした。ステンレス製、細かい圧力設定が可能で、出力も最高峰。余裕で予算オーバーの高級品。
薄々わかってはいたけれど、芦屋はいいとこのお嬢さんなんだなあというのを再度実感。そういうお宅に限って金銭感覚の教育が行き届いているというのは通例だから、指さした少し下に貼り付けてあった値札を見て、驚いたように目を剥いていたけれど。
「セレブだ……」
すずが独り言のように呟くと、「いや、えっと……」と芦屋がもごもごし始めた。決して嫌味だったわけではないらしく、かなりバツが悪そうだ。
僕は芦屋の肩をとんと撫でてからすずの頭頂部にしゅっと手刀を放ち、なんとか場を和ませる。……元からギスっているのは見ない方向で。
「で、あるとやっぱり便利?」
「……たまに大がかりな料理をしようと思ったらお役立ちね。普段使いに向くかどうかは片付けへの抵抗があるかないかで二極化」
すず同様に彼女も料理をする人間なので、そこも評価に含まれるのだろう。僕もさっきから、蓋が一体化してるタイプは滅法洗いにくそうでいやだな……なんて思っているので、終身名誉皿洗い係として同調できる部分はある。
「で、今の聞いてどう?」
「……候補はざっくり二つに絞ってみた」
すずは一万円そこそこの鍋に狙いを定めたようで、両者の機能を比較しながらうんうん唸っている。見た目はスマートだが性能はそれなりな品と、見た目を捨てて性能に特化した品で迷っているようだ。もしこれがゲームであれば効率厨の僕は迷わず性能特化を薦めるのだが、これはあくまですずの話。料理にはモチベーションが大きく関わるから、調理器具をおしゃれにそろえた方が気分も上がりやすい。
「どうしよっか……?」
「僕に聞かれてもなぁ。お前の好みで選んだ方が後々後悔しないだろ」
「それはそうだけどさぁ」
安い買い物ではないから、踏ん切りがつきにくいのも理解できる。しかし素人の僕が口出しできる問題でもなく、なんとなく芦屋の方に視線をやった。
「芦屋ならどっちにする?」
「私?」
「そう。有識者その2として」
「そうね、私なら――」
「あれ、香月じゃん」
芦屋が言い終わる直前に、後ろから誰かに背中を叩かれた。振り向けばそこには竜也がいて、「おう、奇遇」と答える。
「涼音ちゃんに芦屋さんまでいるじゃん。これどういう状況?」
「話せば長くなるから割愛」
「そこはせめて後回しにしてよ」
竜也は人懐こい笑顔でからから笑って、「あ、そういえば」と再び僕の肩あたりを軽くタップ。
「上の階に、香月が気になってるって言ってたモデルのスパイク入荷されてたよ」
「マジ?」
「マジのマジ。ついさっき見たばっかり」
「うわぁ、さすがにそれはちょっと気になるな……」
ちら、と二人を覗き見る。突然の闖入者に戸惑っている様子で、まだ状況把握が追い付いていないといった感じ。
「今、香月って必須?」
竜也がすずに問う。すずは僕への対応とは一転して伏し目がちにかすれ声で「……ぜ、絶対要るってわけじゃないけど……」と主張。竜也はそれを言質とばかりに僕の肩に手を回して言った。
「じゃ、ちょっと香月借りるね。すぐ返すからご心配なく」
「えっ」
「ちょっ」
ハモる二人を尻目に、竜也は僕を連れてブルドーザみたいに進み始めた。仕方がないので、僕はすずに向けて後ろ手に財布を投げ渡し「決まったら買っといてくれ」と最後に一言。
かくして、突然僕らは分断された。……すごいことになってきたな。
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