第19話 香月蓮の受難4

 なに一つ喜ばしくない話ではあるのだが、僕の体には耐性がついてしまったらしい。衝撃の事実。突然のカミングアウト。その他もろもろ。最近それらを浴びるように生きているせいで、驚愕の速度でリカバリできるようになってしまった。


「腹ごしらえするか……」


 そんなわけで今日もさっさと立ち直り、目下一番の問題は空腹へとなり替わった。ごたごたしていたせいで朝食を雑に済ませてしまったから、普段比でもだいぶ腹ペコだ。

 一人で散策しているのであれば適当な店にふらっと立ち寄るのだが、同行者がいるとそうもいかない。ある程度方針を固める必要がある。


「芦屋、アレルギーとか嫌いなものとかある?」

「……パクチー?」

「アレは僕も無理」


 香草の一つや二つ食べられなくても生きるのに支障はない。聞かれて真っ先に出てくるのがそれということは好き嫌いは激しくないのだろうと断定して、続ける。


「僕、このあたりの地理に詳しくないからフィーリングで店選びしちゃうと思うんだけど、外したらごめん。最初に謝っとく」

「香月くんのセンスにお任せね」


 期待されているところ悪いが、残念ながらそんな高尚なものは持ち合わせていない。「ねえ、わたしには? わたしにはなにもないの?」とすずがちょっかいをかけてくるけれども、こいつのチョイスでやらかした回数と僕のチョイスでやらかした回数が半々といったところなので文句は言いっこなしだ。


「店自体はぱっと見でも結構ある感じか……」


 さすがにこの状況でチェーン店を選ばない甲斐性くらいはあるつもりなので、視認性が高くぎらついた看板は意図して視界から外す。それだけでもだいぶ絞れてくるのだが、あと一つ決定打に欠けるといった感じ。


「混んでるとこ選べば外さないんだろうけど、待ち時間がな」


 行列は好きじゃない。早くてまずいのと遅くて美味いのとを比べ、どちらが良いか問われたらかなり迷うくらいには。その点で見ればチェーン店は優秀なんだよなと思いつつも、若くしてそんな置きにいった人間になりたくないという謎の意思が安易な選択を阻む。

 しかしあちこち見回してみても、暖簾をくぐろうと思える店がなかった。気分的な問題が大きいのかなと思いつつも、やはりまだ僕にホスト精神が残っているのだと痛感。ここにいるのがすずだけだったら、適当にサイコロでも振って今頃どこかで腰を落ち着けている。


「一本逸れるか」


 人通りの少ないところで営業している=そこでも採算が取れている=一定レベルの味が保証されているという穴の多そうな理屈で、エアコンの室外機が点々と並べられた路地を抜けた。運ゲー感が否めないものの、一応筋は通っている。……まったく採算の取れていなさそうな、趣味だけで営業中の喫茶店を知っているけれども。

 裏通りに来ると、途端に別世界が広がったような気分にさせられた。景観のせいか、なんだか暗い。心なしか通行人の年齢層も上がったようで、みょうちきりんなアンダーグラウンド感がある。女の子を連れて来る場所じゃないのでは……? と訝ったが、ここらへんの治安が悪いという話には聞き覚えがなく、大丈夫だろうと高をくくった。


 そんな折に、ごてっとした、言い換えれば重厚な、木製の扉が目に入った。


「レストランだって」


 すずは店の前で屈んで、飾ってあった手書きのメニュー表に目をやっていた。「イタリアンみたい」「へぇ、雰囲気あるじゃん」「値段もリーズナブルみたいね」


 意思決定としては、まあスムーズな方だった。誰も異を唱えることなく、示し合わせたかのように入店。思っていたよりも店内には奥行きがあって、料理をつつきながら談笑している客の姿も何組か見受けられる。堂に入った感じからおそらく常連なのだろうと判断し、通いたくなるくらいには良い店なのだろうなあと、即席の推論を組み立てた。

 僕らと同い年くらいのアルバイトらしき店員さんに「三名で」と指を三本立てて言って、空いていた四人掛けの席に通される。調度品のセンスも良くて、全体的に清潔で落ち着いた印象だ。これは大当たりかもしれないぞと内心ほくそ笑みつつ、適当に着席。据え付けられているメニューを見るからに、千円もあれば満足できそうなのもグッド。

 

 しかし、なにやらバッドな空気が漂い始めてもいて……。


「なにやってんの君ら……」


 芦屋が僕の隣の椅子を引けばそれをすずが元に戻し、すずが僕の隣の椅子を引けば芦屋がそれを元に戻す。堂々巡りとかいたちごっことか、そう呼ぶにふさわしい光景だった。


「椅子取りゲーム」


 芦屋が口にした実に示唆に富む単語に頭痛を覚え、こうなっては仕方ないと横には僕の肩かけバッグを置いた。埋まってしまえば奪う席もなく、二人は不服そうに残りの二席に腰かける。もしかしたらここでも戦争が起きるかもと思ったが、そうならなくて一安心。

 僕は注文品を確定させたのでメニュー表を対面の芦屋に渡す。すずがそれを脇から覗き見て、「蓮はこれでしょ」と当てずっぽうにチーズが大量にふりかけられたカルボナーラを指さした。


「プライバシーの侵害なんだが」

「ほーら当たった」

「香月くん、チーズ好きなの?」

「蓮は子ども舌だから、こういうのに目がないの」


 お、と目を剥いた。しばらくぶりに、芦屋の発言をすずが拾いに行ったからだ。すずは前髪の壁越しではあるがきちんと芦屋を見て、なにやら勝ち誇ったような表情を浮かべている。それはまるで「あんたにはわかんないでしょうけど」とでも言いたげで……。


「そういえば、いつも頼むのはチーズバーガーだったわね」


 しかし芦屋はすずの態度に怯むことなく、「あなたにはわからないでしょうけど」とでも言いたげに反撃。お互い自分しか知り得ない情報で牽制しあい、火花を散らす。お願いだから仲良くしてくれ。それと僕で遊ぶな。


「僕の理解度王者決定戦やるのは結構なんだけど、僕が一番嫌いなの、こういうぎすぎすした空気だってことをお忘れなく」

「じゃあなんで二人連れてきたのよ」

「やめろやめろ。反論できない口撃はロジカルハラスメントだぞ」

「非はあんたにあるってことじゃない」

「…………」


 理不尽に開き直ったり強引に話題転換しようとも思ったが、そうするための手札すらなくその場で死んだ。南無。……と、本当に死ぬわけにもいかないので手放しかけた魂をどうにか自分の手で手繰り寄せ、再度体になじませる。どう考えても外食先でする行動じゃない。

 様子を見て「二人とも決まったか?」と問い、頷きが二つ返ってきたので近くに来ていたさっきの店員さんを呼んだ。つらつら注文を伝えると「承りました!」とはきはきした返事がきて、好感が持てる。

 それから二十分ほどして、僕らの注文品は時間差なく届けられた。見た目もボリュームもメニュー通りで、香りも良い。


「ん、美味し」


 ペパロニが散りばめられた the アメリカンという感じのピザにかじりつき、芦屋が一言。厨房に窯があるのか耳の部分に過不足ない綺麗な焦げ目がついていて、そりゃあ美味いだろうなという感じ。しかしピザなんて具がぽろぽろ落ちて食べにくいだろうに相変わらず綺麗に食すものだなあと感心していると、それを芦屋に見咎められた。


「香月くんも食べる?」

「ああ、じゃあちょっともら――」


 もらおうかなを直前キャンセル。食べ差しのピースを差し出されようものなら、僕はどう対応すればいいかわからない。


「――いや、やっぱやめとく。芦屋の分がなくなっちゃうし」

「この量は私一人じゃ辛いから、遠慮せずに」

「……あー、うん」


 そういうことなら……と自分から手を伸ばすことで事なきを得ようとする。しかしどういうわけか、同じタイミングで芦屋の手がこちらへと向かってきていて。その手には、食べ差しのピースが握られたままで。……二点同時攻撃までは想定になかったなぁと、僕が体を硬直させていると。


「なっ」

「ごちそう様。良い焼き具合ね」


 身を乗り出したすずがそこへかぶりついて強引にインターセプト。そのまま餌付けみたいに全部胃袋へ納めるハッスルプレー。僕はなにを見せられているのだと困惑の渦に落ちるのも束の間、なんとすずは僕がぐるぐる巻きにしたまま待機させていたカルボナーラに次の照準を定めたようで。

 目線で「よこせ」と促され、それがやけに真に迫っていたせいで断るに断れず、僕はおずおず彼女の方へフォークを伸ばした。そのままちゅるんと啜られて、場になんとも言えない沈黙が流れる。


「食いしん坊かよ」


 会話が途切れるのを嫌って発言してはみたが、後続がなかった。そもそも、二人とも僕の方を見ていなかった。


「…………」

「…………」


 食い殺さんばかりの勢いで視線をぶつけ合う二人を見て、僕は諦め半分逃げ半分で「おーこわ……」と極小の声で呟き、冷ますのは店に悪いなーとすずにならってカルボナーラをちゅるちゅるすする。あ、ダメだこれ。味わかんねえや。

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