第18話 香月蓮の受難3

 結局、雑談を交えながら店内を物色していたら一時間近くが経っていた。長居しすぎるのもどうかと思って、場所代にと芦屋が薦めてくれた安価なシングルを手に取り会計へ。税込み三百円はこの雰囲気に払う料金としては破格だ。


「CDって言えば、僕の小学生時代で一番ウケた自由研究の題材なんだよな」

「売れ筋の傾向でもまとめてみたの?」

「いいや。どのアーティストのCDが一番カラス除け適性があるか調べた」

「……結果は?」

「知ってるか芦屋、そもそもカラスがやってこない場所で実験したら、除けるもなにもないんだぜ」

 

 そんなおふざけの極みみたいなまとめ記事が地区で銀賞かなにかを取って、普通にドン引きした記憶がある。幼い少年の枠にとらわれない自由な発想力がよかっただのなんだの選評がついたが、ハナっからウケ狙いの悪ふざけだ。人によってはここで増長して毎年似たようなことを繰り返したかもしれないが、僕はきっちり改心して翌年からは真面目で面白みのない発表を心がけた。一人の若人が道を踏み外すのを止めたという点で一周まわって教育的な判断だったのかと考えもしたが、それなら賞をやらなければいいだけの話だった。出る杭はちゃんと叩き潰しておいて欲しい。徹底的に余すところなく。


「すず」


 入店したっきり顔をあわせていなかった彼女は、入り口のワゴンでずっと宝探しをしていたらしい。腰を屈めて一枚一枚ジャケットを眺め、一喜一憂しながらまた次へと手を伸ばす。一度集中してしまうと他のことに手がつかなくなるこいつらしく、僕の声かけにも無反応だった。

 仕方がないので脇腹をこつこつ肘で小突くと、そこでようやくこちらの存在に気づいたようだ。


「なにか目ぼしいものはあったか?」

「タイトルあいうえお順に並べてたら熱中しちゃって」

「店員かお前は。いいんだよこういうのはごちゃついてた方が」

「でも蓮、漫画の巻数ごちゃっと並べたら怒るでしょ」

「当たり前だろ。それ許容する奴とは刹那で絶交だわ」

「それがダメで、どうしてこれはオーケーなのよ」

「『規則性がない』って規則性があるだろ。それ崩すのが無粋」

「生き辛そ」

「言ってはならないことを言ったな」


 僕が一番気にするタイプのディスだ。他にもテレビの音量は偶数じゃないと気持ち悪かったり、逆に筆箱に入れるペン類の本数は奇数じゃないと耐えられなかったりする謎の縛りがある。理由を聞かれても答えようがないこだわりなのだが、守ると妙に落ち着くし、破るとかなりイラつく。几帳面ではないが、神経質ではあるのかもしれない。


「買うものないならもう出るけど」 


 僕からのありがたい配慮でぷくぷくした耳たぶを引っ張って聞こえやすくして言うと、すずは不遜にも「離してよぅ」と抗議。要望通りに離してやると、反撃なのか前髪をくしゃくしゃにされた。


「えぇ……。『前髪キマらない!』って朝から騒いでたのお前じゃん……」

「作ったのがわたしなんだから、壊す権利もこっちにあるでしょ」

「それ、親が子供に言ったら完全にサイコパスだろ。あとはゲーム終盤に出てくる神様系のキャラが決め台詞に使いそう」

「全てはわたしの手のひらの上?」

「疑問形にしてどうすんだ。……まあいいやすず神様。ここじゃ直しようないし、ヘアピン一個貸して」


 どうせ持っているだろうと期待して聞くと、予想通りにポケットから出てきた。すずはそれで雑に僕の前髪をまとめ、「これでよし」とおでこを叩く。朝の執心っぷりとはえらい差だ。


「それじゃあ撤退」

「あ、わたしエレベーターのボタン押したい」

「押せ押せ。百万回押せ」


 わぁい、とうれしいんだかうれしくないんだかはっきりしない声色で言って、すずは一足先にエレベータの前へ。ちなみにメーカによっては一定以上の連打で操作取り消しになる型があったように記憶しているから、百万回押したらおそらく僕らはいつまで経っても地上に帰れない。近くに非常階段があるのを確認してほっと胸を撫でおろすと、隣の芦屋と目が合った。


「…………」

「なにその教本通りのジト目……」

「……今ので付き合ってないって主張するの、相当無理があると思わない?」

 

 鋭い指摘に僕はつけたてのヘアピンをくしくしいじりながら言う。


「感覚的には妹をじゃらしてる感じなんだけど」

「兄妹って、たぶん香月くんが思うほど近しいものではないわよ?」

「ずいぶん知ったように言う」

「二つ年上におに……兄が」

「ああ、それで」


 家ではお兄ちゃんとかおにいとか呼んでいるんだなあというツッコミはナシの方針で行く。芦屋が男性的な趣味の話にも当たり前についてこられるのは、どうやら親族の影響が強いらしい。


「結構話が合いそうな予感がするな。僕と芦屋のお兄さん」

「……どうでしょう」

「あ、君の血縁なら嫌でも美形か。趣味が似通っても済む世界が違うと――」

「……んんっ」


 ダイレクトな容姿への言及はさすがの芦屋も思うところがあるのか、一度大きく咳ばらいを挟んだ。嫌がっている気配はないのが幸いな点だが、今後は控えておこう。人間、どこにコンプレックスがあるかわからないのはすずで身に染みているから。『スタイルいいね』でキレられるのは中年のおっさんじみていて気持ち悪いからわかるが、『容姿が整っている』でも普通に怒るからなあいつ。わけがわからん。

 脱線。思考を前に立っている芦屋の方に戻す。奥からはエレベータが到着した甲高い電子音が響き、すずが乗り込んでいくところが見えた。


「……ねえ、香月くん」

「ん?」

「あなた、エッチなゲームに理解はある方……?」

「あーはいはい。はいはいはいはい……」


 今更である。僕とて成長する生き物。芦屋の口から今更そんな単語が出てきたくらいで凹んだり驚いたりはしない。

 ただ、惜しむらくはシチュエーション。兄の話から続いてその単語が登場するということが、つまりなにを意味しているか。

 昨日芦屋に向けて察しの悪さを誇ったこの僕の脳細胞ですら、いともたやすく伏線の糸を束ねてしまった。瞬間、僕の胸裏に怒りとも恨みともつかない感情が沸き上がってくる気配を感じる。


「つまり、つまりだ。君の兄貴はエロゲーマーだと、そういうことだな」

「ええ、まあ」

「そして近親者の影響を受けた君は、つい弾みでそれらをプレイしてしまったと」

「…………」


 芦屋の首が、肯定を示す方向に僅か揺れる。それが決定打だった。


「君の歪んだ性への関心、完全に兄貴のせいじゃねえか!」

「……そうかも」

「そうなんだよまちがいなく。あー……腹立ってきた」

「どうして?」

「年端もいかない妹になんてことしてくれてんだって話。レーティングを守れレーティングを。未成年の触れられる場所に危険物を放置するな」

「……モノによっては一緒に」

「エロゲみたいなシチュでエロゲやるな馬鹿たれが」


 暴言に歯止めが効かない。聞くからに仲は良好なのだろうが、こんなことになるくらいなら不仲であってくれた方がよかった。二歳上ということは彼女の兄もレートの壁をぶっちぎっている可能性が高く、そこもまたマイナス評価だ。僕がその方面にちょっと詳しいことについては誰も聞かないで欲しい。


「会う機会があれば絶対文句言ってやる……。なんなら説教してやる……」

「高校同じだけど……」

「良い話を聞いちゃったなぁ?」


 どう切り出そう。「妹さんの友人です。早速ですが謝ってください」とか、こんな感じかな。思春期というデリケートな時期にとんでもないものを仕込んでしまった罪業はかなり重たいぞ……。顔も知らないうちに、敵対心がばりばり湧いてくるのがわかるくらいだ。


「れーん!」

「……今行く」


 手をあげ、すずの呼びかけに答える。待たせっぱなしは悪いから、芦屋を伴ってエレベータに乗ることは乗るんだけど。


「君も苦労人らしい……」

「……実を言うと、わたし個人でも気になったタイトルをちょこっと」

「同情やーめた」


 完全に染まっていやがる。僕は一日ぶり何回目かで頭を抱え、古ぼけたゴンドラに揺られながら階下へと下って行った。

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