第16話 香月蓮の受難1
僕は月曜日が嫌いと言ったが、あれは嘘だ。正確には、言った当時こそ嘘でなかったものの、現段階で嘘になってしまった。
土曜日が嫌すぎる。
普通だったらだらだら惰眠を貪って、適当に勉強したりゲームしたり漫画を読んだりと満喫するはずなのに、今日に限ってそうではない。朝起きた瞬間にどうにか一日スキップできないかと神頼み。顔を洗っても朝食を食べても歯を磨いても神頼み。服を着替えて家を出る瞬間も神頼みで、約束の待ち合わせ場所に到着した今現在も絶賛神頼み中だった。ここまでやってきて唯一判明した事実はこの世界に神がいないこと。あまりに身も蓋もなくて半泣きである。
「タイムパラドクスってあるだろ。昨日の僕をどうにかして殺害することで、今日をなかったことにできないもんかな」
「死んじゃったらどうしようもなくない?」
「死ぬより辛いことだってある」
「そんなに苦しむなら言わなきゃよかったのに」
「安い後悔で死にたくなるの、思春期あるあるだろ?」
穏やかでない軽口を、隣に立つ少女とかわしていた。僕は両手をチノパンのポケットに突っ込んで駅の柱に背を預け、途方もなく斜め上を眺める。気持ちよく晴れているのが一周まわってムカついたから、相当心が荒んでいるのだろう。
「っていうかお前、そんな帽子持ってたか?」
「これ?」
「それ」
二人で指さし確認。少女は……と伏せる意味もないか、もう。すずはクリーム色のキャスケット帽のバランスを両手で整え、言った。
「通販って結構便利だよね」
「いよいよ引きこもりレベルが取り返しのつかないところまできたな」
「ふふん」
「なんで得意げなんだ……」
断じて褒めてはいないのに、すずはご機嫌で鼻を鳴らす。不機嫌よりはマシだからと追及はしなかったが、どうにもこいつ、昨晩から調子がおかしい。軽く一時間は費して本日分の僕の服装を決める着せ替え大会を始めるわ、朝っぱらから専属美容師としてありえないほど毛先を遊ばせにかかるわで、僕を着飾らせることに余念がなかった。髪型が崩れるのをおそれて、本日まだ一度も自分の髪の毛に触れられていない。
それを言うならお洒落への力の入れ具合はすず自身もかなり気合が入っていて、脚が長い奴じゃないと絶対に似合わないタイトなデニムに、普段はコンプレックスからか絶対に避ける胸元開き気味のアウターなんかを着て、先述の容姿に恵まれない者が被ろうものなら絶対に痛い目を見るごついキャスケット帽でばっちりキメている。そこまでやるなら前髪も上げろよと思うが、外で常時メカクレにするのは半分以上こいつのポリシーになってしまっているようだった。単刀直入に言ってめちゃくちゃ似合っているのだが、負けた気がするので口には出さずにおく。
しかし、問題もあった。出るとこ出ている奴が出すとこを出しているので、道行く人間の目が男女問わずあからさまに吸い寄せられているのだ。そこらへんどうなんですか涼音さん? と視線で問うと、律義に彼女は答えてくれた。
「胸で釣っておけば目とか顔は見られないから」
「さいで」
トンデモな理屈のようで、意外と理には適っていた。つまりはそれくらい、すずは人と目を合わせることが嫌いなのだ。対人恐怖症を細分化して行きつく、視線恐怖症。特にこいつは、他人の視線が自分の首から上へ注がれるのを厭う傾向にある。胸が大きいのもかなりのコンプレックスなのには違いないが、天秤にかけたら余裕でそちらを差し出してしまえる程に。まあ、普段はもうちょっと体のラインがわかりにくい服を好むから、今日の選出が異常なだけなのだが。
「苦労するな、お前も」
「蓮が二メートルくらいあったらわたしなんか注目されなくて済むんだけど」
「牛乳飲むかぁ。今日から毎日五リットルくらい……」
太って終わりという結末しか見えないが、やってみるだけアリかもしれない。既に父親の背は追い抜かしているくらいだから、伸びしろという点ではあまりに見込みがないけれど。
「絶対お腹壊すね」
「そこは上手くやるよ。毎食フルーチェにする」
「あ、ずるい。それならわたしも半分もらう」
「一緒に育ってどうすんだ……」
花柳家の両親は二人とも美形で長身なので、遺伝を考えればこいつにはまだまだ先がある。今は辛うじて僕の伸び率が勝っているものの、時間をかけて再度身長を抜かし返される可能性はゼロじゃない。いっそ僕がシークレットシューズを履いてしまおうかとも思ったが、厚底靴で動き回れる気がしないから撤回。
「話してたら甘いもん食べたくなってきたな……。近くにちょうどいい店かなんかあったっけ?」
「おじいちゃんたちの喫茶店」
「あそこ不定休だからなぁ」
一昨日芦屋と訪れた例の喫茶店である。さすがに店主が老齢なのもあってか、体調や気分でしょっちゅう臨時休業するから、予定として組み込むには危うい。……それに、このスパンで別の女を連れて行くのは見栄え的にどうにも。
「すぐ近くにローソンあるけど」
「腰落ち着けて食べたくないか? そこ、確かイートインスペースとかなかったろ」
「でもでも、最近のコンビニスイーツ結構美味しいよ」
「それはわかる」
甘党なのでしばしば世話になっている。こう考えると僕、食べてばっかりだな。
「ま、今どきどんな店でも甘味の一つや二つはメニューにあるだろうし、昼飯までステイでいいか」
「お昼はどうするの?」
「僕、ガチャシステムがかなり好きなんだよな」
「気分任せね。了解」
行き当たりばったりとも言う。初見の店にふらっと入って当たり外れを占うのが性にあっているのだ。美味しければまたくればいいし、不味ければ話のネタにすればいい。どっちに転ぼうが、最終的には僕が得をする算段。そこまで舌が肥えているわけでもないから、基本はどこでも満足だし。
「……で、蓮。約束の時間まであと五分だけど」
「じゃあもう二分待機」
「…………?」
はてなを浮かべるすずを一瞥してから、スマホで時刻を確認。10:55と数字が踊っていて、ああいよいよこの時がきてしまうのか……と内心戦々恐々としていた。これからなにが起こるかは、僕もまだよくわからない。穏やかであればいいとは願うけれど、そう都合よく進むはずもなく。せめて実りあるものではあってくれよと念じていたら、いつの間にか二分経っていた。
顔を上げる。少し離れたところに見慣れた顔があって、僕はわかりやすい目印として右腕を掲げた。
「ジャスト三分前。さすがだな」
「つい癖で」
芦屋みやび、現着。清楚系の美少女にしか許されない、装飾の主張が激しくないネイビーのワンピースを身にまとった彼女は、僕の存在に気が付くとぱたぱたと早足で近寄ってきた。
遅刻は言語道断だけれど、五分前集合では無駄が多い。そう主張する彼女は、所定時間の三分前を目安として行動するのだと言っていた。先週に待ち合わせてカラオケまで行ったときも、姿を現したのはぴったり三分前。徹底しているのだなと感心したものだ。
芦屋は僕の二歩ほど前に立つと、興味深そうに髪の毛やら服装やらを隅々まで検分した。「へぇ……」とか「なるほど……」とか、その独り言に僕はどう反応すればいいのだろうか。
「馬子にも衣裳って言うだろ?」
耐えきれずに茶化すと、「香月くんは馬子ではないでしょうに」と真顔で否定された。次いで「かっこいいね」とお褒めの言葉を賜って、慣れない対応に馬子らしくまごつく。
そんな中で、自信たっぷりに発言したのはすずだった。
「わたしがプロデュースしたんだもん、当然じゃない」
「……そう言っているけど、実情は?」
「その通り。パンツ以外は全部こいつのセレクション」
髪の毛もな、と言って、本日初めて毛先に触れた。独立した生き物のようで、どうにも落ち着かない。芦屋は僕とすずの顔を交互に何度も見比べ、なぜか悔しそうに唇をすぼめながら、明らかにいやいや言った。
「……良いセンスね」
「素材がなんであれ、調理法で化かすのが料理人の使命だから」
「僕がアレな素材認定されてるのも腹立つし、お前は主婦でこそあれど料理人ではないしでめちゃくちゃだな」
ふぅ、っと肺に溜まった重たい空気を吐き出す。まずは第一関門であるところの集合時の衝突は回避できた。
ここで思い返す。昨日僕がした提案を。『よしもうわかった。それじゃあ三人で行こう。全部まとめてぐちゃぐちゃにしよう』
とても正気の沙汰ではなく、過去に戻れたら確実に撤回するのだが、決まってしまったからには仕方ない。僕は今日をやり遂げ、生き延びる以外の選択肢がない。
「それじゃあぼちぼち行くか……。最初にかさばるもの買っても邪魔だし、CDショップ巡りが先で良いな?」
異論をはさみそうなすずに向けて訊く。彼女は予想に反してこくこく頷き、想像よりずっと従順な態度を見せた……かに思えた。
「早く行こ。時間全然ないし」
「……お前」
「なぁに?」
意地の悪い笑み。狙って煽ってるな、こいつ……。
すずはごくごく自然に、まるでそれがスタンダードな行いであるように僕の腕を取って、進行方向へ舵を切った。一方の芦屋はと言えば。
「じゃあ、私も失礼して」
「えぇ……マジで言ってる?」
「嘘が嫌いって教えたのが昨日」
「一日じゃポリシーは変わんないだろうなぁ……」
彼女は控えめに僕の袖をつまんで、そのまま離さない。ああ、修羅場ってる。さっきなんかよりもずっと視線がこっちに注がれてる……。
「良いわねこれ、見られるのが一気に蓮になって」
「絶対よくない」
「こういうの、なんて言うんでしたっけ? 両手に花?」
「……確実に違うね」
確かに美少女二人を侍らせているのは疑いのない事実。そこは素直に認めよう。でも、でもだ。僕が抱え入るのは花なんて穏やかな代物ではなくて、言ってしまえば導火線に火が灯った爆弾のようなもので……。
だから、この状況を簡潔に説明できる単語は、僕の中で一つしか思い浮かばなかった。
「……針のむしろって言うんだ、こういうのは」
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