第14話 花柳涼音とは3
基本的に、学校の中で僕とすずが会話することはない。冷やかされるのをあいつは嫌うし、そしてそれ以上に、男子と話していたという事実が会話のきっかけになるのを厭っている。攻撃性の有無を問わず、花柳涼音にとって他人とは一様に敵であり、恐怖の象徴なのだ。だからずっと学校では息を潜めて、死んでるみたいに生きていた。
僕とて、それを看過しているわけじゃない。ただ、彼女がどんな無茶をしたって学校には通いたいという意思を見せるから、干渉できないのだ。親御さんに迷惑をかけまいと、社会不適合者に区分されてなるまいと、日々歯を食いしばって懸命に努力しているあいつの邪魔になんかなれない。
本当は、無理なんてしなくてもいいのだ。学校に通わない生き方だって探せばあるだろうし、言ってくれれば僕だっていくらか力にはなれる。淡水魚のすずが、海水で満ちた学校という水槽に留まり続ける必要性など存在しない。屈託なく笑って、ただ生きていてくれればそれでいい。
……と、この話は今ほとんど関係なくて。
「三択かなぁ……」
芦屋を引っ張って廊下を駆け抜け、なんとなくやってきた昇降口。そこにまだすずの外履きが残っているのを確認した僕は、壁に背をもたれて一呼吸ついていた。浮ついた生徒のほとんどは大声で話すか笑うかしていて、ここまでくれば僕らに突き刺さっていたあの視線も感じない。「悪い」と言って掴んだ手を離すと、芦屋は先ほどまで僕の手が触れていた場所を軽く撫で、不可思議そうに首を捻った。
「学園青春ドラマのエンディング十分前みたい……」
「そのたとえでなんとなくわかるのがまた」
視聴率十パーセントいかないようなティーン向けどたばた群像劇にありそうな一幕だ。惜しむらくは、芦屋に対して僕では役者の格が足りないことくらい。
「取りあえずは君に言い訳しないといけない」
「言い訳?」
「そう。確かに昨夜眠ってて電話を取れなかったってのは真っ赤な嘘。本当は起きてすずとゲームしてた」
「それでいい具合に疲れてまどろんだ一番気持ち良いタイミングでコトに及んだ、と」
「勝手にエンドマーク打つのやめてくんない?」
「服を脱がしにかかったときにちょうど私から電話が来て『今はわたしだけ見て』って唇を塞がれた、と」
「ありがちなシチュやめろ。常時マナーモードだからなにかに熱中してたら気づかなくなっちゃうんだよ」
「でも、それなら私に嘘をつく意味がないじゃない」
「じゃあ仮に、夜遅くまですずと一緒にゲームしてたと素直に伝えたとして、君はなにを思ったよ」
「後半はゲームそっちのけでエッチなことしてたんだろうなって」
「ほらな? その追及逃れのための方策だったんだって」
「負けそうになるたびに性的いたずらで邪魔してたらどこかでぷつっと理性の糸が切れて、後は獣のように」
「だからブレーキを踏めと言っている」
はぁ、と一つため息。よくもまあそこまで妄想できるなと感心したいところだが、その対象が僕とあっては話が別だ。どうにも芦屋は疑わしきを罰していくスタイルのようで、疑念を一つ抱かせたら一巻の終わりらしい。
「とにかく、僕は一切の潔白なんだよ。そりゃあ嘘ついたのはこっちの過失だけど、そこに大きな意味がこもっていたなんてことはない」
「それで、花柳さんに確認を取ろうと?」
「ああそっか。君は見えてないよなあの立ち位置じゃ……」
すずは芦屋の背後方向に立っていた。だから、走り去ったところは確認されていないのだろう。しかしどう説明してもそこに僕の思い上がりが混じりそうで、言葉にするのがためらわれた。
そんな折に、ちょうどよく芦屋から問われる。
「……まさか、いたの? 花柳さん」
「見てたな。バッチリ」
「それはまた。それはまた……」
芦屋は現状を上手く説明できるちょうどいい言葉を探していたようで、やがてマッチングするものを見つけたのか、少し大きく目を見開いた。
「修羅場ね?」
「慣れたもんさ」
本当は、こんなことに親しみたくはないのだけれど。しかし起こってしまったからには、問題解消のために動く必要があって。特に、原因が僕である以上はその責任はより大きなものとなる。すずに変な勘違いをされたままというのは僕にとって死活問題でもあるから、さっさと解決するに限るのだ。夕飯抜きはまずい。
「それで香月くん、さっき言ってた三択って?」
「高いところ、狭いところ、隅っこの三つ」
「…………?」
「すずの生態。この三つの条件をあいつは好む」
拗ねてどこかへ身を隠すとなったら、確実にこの中のどれかだ。部屋の端で毛布を被って息を潜めるくらいならまだいい方で、近所の公園の遊具内に篭り始めたら結構重傷。最悪の場合は、あてどもなく高台の方向を目指し始める。探す役割を担う僕としては、マジで困るから本当にやめて欲しい。合わせ技もあって、クローゼットの隅で丸くなっていたこともある。あいつなりの防衛機制なのは重々承知しているのだが、面倒なものは面倒なのだ。
「まだ学校の中にいるのはまちがいないから、たぶんどこかに隠れてる。悪いけど、探すの付き合ってくれ」
「見つけるとどうなるの?」
「見つけてもどうにもならん。ただ、見つけないと僕の夕飯がコンビニ弁当かファミレスになる」
「香月くんのお宅の料理番、花柳さんなのね」
「わかるか芦屋、今のが『失言』だ」
焦っているのか、本来なら安易にしない発言をぽろっとこぼしてしまった。場をこれ以上こじらせてもなんともならないというのに、我ながら愚かしい限り。しかしこんなところで拘泥している間にも捜索範囲は膨大に膨れ上がっていて、早いところ行動に移さないとまずい。
「……悪い芦屋、君の友人の健康状態を思って、今は黙って協力してくれないか?」
「無報酬で?」
「あとでなんでも言うこと聞くから。……倫理的に認められる範囲で」
表情のジェットコースターだった。後半の条件を付与しないことには、僕の身に危険が及んでいただろう。もっとも、彼女の倫理観に則ったお願いという時点で恐怖以外のなにものでもないのだが。
「言質」
芦屋はぴっと僕の肩あたりを指差して、それから、己の長い黒髪を手櫛で梳いた。前も見たし、癖なのかもしれない。言質という単語が放つ計り知れない恐怖感からは意識的に目を逸らしつつ、僕は余計な考えごとをした。
「私はどこを探せばいい?」
「教室まわりを張っててくれ。あいつは八組。見つけたらどうやってでも足止めして僕を呼んで欲しい」
家にいるときとまるっきり雰囲気の違うすずを見分けられるかどうかという心配はあったが、背格好で判別がつくだろう。さっき見たあいつは手ぶらだったから、いずれは荷物を取りに自分の教室に戻らねばならない。そこは絶対に押さえなければいけないから、どうしても僕一人では人手不足。竜也が残っていればもうちょっと楽だったのだけれど、こればかりは言っても詮のないことだ。
「やっぱり出ないか……」
もしかしたら会話くらいはできるかもと電話をかけたが、通じる気配はなし。これは根気との戦いになるぞと、指の関節をバキボキ鳴らした。
「んじゃ、頼む」
「言ったこと、忘れないでね」
軽く言葉をかわして芦屋と別れ、手がかり探しに奔走開始。せめて日が暮れる前に見つかってくれよと祈って、つま先でとんと床を叩いた。
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