第13話 香月蓮の大失態。

 ふと、数日前を思い出した。連日語るべき出来事が目白押しになっていて「ああ、あれね」とはいかないが、芦屋が僕の家に訪ねてきたイベントと言えばぴんと来る。


「…………」

「…………」

 

 芦屋みやびに見下ろされている。これは、僕の中で二度目の体験だった。僕より十六センチだか背が低い彼女は基本的に見上げる側で、この立ち位置になることはほとんどない。しかし見下ろされているからにはそうなって然るべき条件があって、つまるところ、着席した僕の前に無言で芦屋が立ち尽くしていた。いつもと違う強引に張り付けたような笑顔を浮かべ、微動だにせず僕の机の前に立ち尽くしていた。

 思えば、日中からおかしかった。放課後の今に至るまで会話はどこか上の空。「どうかした?」と問うても作り笑いが返ってくるだけで、なにがあったか教えてくれない。おそらく僕がなにかをやらかしたのだろうが、思い当たる節がない。

 たっぷり何秒か見つめ合っても向こうから会話が切り出される気配はなく、僕はどうしようもなくなって右隣の竜也に視線で救援要請。すると竜也は顔の前に片手を立てた「ごめんなさい」のポーズを見せ、友達甲斐もなく一目散に帰宅逃走。なるほど女絡みの問題に直面したあいつがどんな対応を取って来たかが垣間見えたが、そんな知見を得たところで現状が好転するわけもない。

 

 シチュエーションは異様そのもの。クラスの中心人物である芦屋が、基本目立たない僕みたいな奴の前を陣取って動かないのだ。明日から始まるゴールデンウィークに浮かれた高校生がこれに食いつかないはずもなく、クラスメイトのほとんどが遠巻きに僕らの様子を観察していた。君ら部活はいいのか。


「……なあ、芦屋」


 言葉を選び、息も絶え絶え口にする。それだけで教室がしんと静まり返るのがわかって居たたまれない。目という目が僕の方を向き、視線という視線が僕を捉えている感覚があって、体が末端から痺れていくようだった。


「僕の察しの悪さを舐めてもらっては困るんだけど……」


 不機嫌アピールをされたとて、怒っていますアピールをされたとて、その原因がわからないのではどうしようもない。なにがどうなって今僕の前に君がいるのか、教えてもらわないことには始まらない。

 人によっては神経を逆なでされかねないだろう僕の発言に、しかし芦屋は表情を変えずようやくのこと口を開いた。さっきまでは全身蝋細工なんじゃないかと疑うくらいの不動っぷりだったから、それだけで若干安心できる。


「香月くんって、相互理解好きよね?」

「あ、ああ」


 好きとは違う感情な気もするが、表立った否定の意を示すのは憚られた。状況が状況だからという点が大きく作用している。にっこり笑ったままの芦屋はおもむろに竜也の椅子を引いて、そこに腰かけた。僕はちょっと迷ってから、彼女と向かい合う姿勢を取る。


「じゃあ、今日も相互理解しましょうか」

「……お手柔らかに」


 妙に響きがエロティックなのは、僕が彼女という人間の本質に迫りつつあるがゆえのバイアスなのだろう。そもそも相互理解するという日本語に違和感がないでもなかったが、やはり無遠慮にツッコミを入れられるシチュエーションでもなく口ごもるほかない。

 空気が重い。踵を浮かすか床につけるかというどうでもいいことで迷って、結局つけた。授業のときの百倍は姿勢よく背筋を伸ばし、手も遊ばせずに膝の上に置いて、口許の引き攣りをどうにか堪えつつ、目は真っすぐ芦屋の方へ。入試の面接でだってこんなに緊張しなかったのに、全身の汗腺が開いて冷や汗が出かけている。


「香月くん、嫌いなものってある?」

「食べ物?」

「限定はしない。なんでもいいの」


 そういえば、そうか。好きなものはお互いずいぶんと語り合ったが、嫌いなものとなるとそうもいかない。どうしてもネガティブな方向へと会話が進みがちだから、無意識に話題に出すのを避けていたところもある。

 回答におふざけを介在させられる心理的余裕は僕になかった。いつもの親しみやすい芦屋ならなんのその、今の鬼気迫った雰囲気を醸す彼女に冗談が通用する気配がない。

 だから僕は、至極真っ当な回答を口にした。


「月曜日。正確には、日曜夕方から月曜朝にかけての時間……」

「どうして?」

「休日の終わりを嫌でも感じさせられて気分が悪くなるからな。同じ理由で、長期休みの最終日はもっと嫌いだ。最終日の感覚を味わうのが嫌って理由で、長期休みを迎えたくないと思っていた時期さえある」

「自殺者が多いって言うものね。日曜夕方と、八月三十一日は」

「あ、ああ……」


 笑顔と自殺って単語がここまで相性最悪だと思わず、声が震える。しかしまた、どうしてこんな話をよりにもよって人目のある場所でしようとしたかが読めず、僕は頭上に疑問符を複数並べた。声は抑えているつもりだが、みんながこちらに注意を向けている以上、聞かれるのは必至。

 芦屋の表情は、相変わらずそのまま。僕は今の自分の発言が求められていたものだったかどうか不安になってうろうろ視線をさまよわせ、最後には瞑目した。だが、目を閉じたら閉じたで周りのひそひそ声が耳に入ってダメだ。完全に見世物になっている。


「私が嫌いなものはね……」


 狼狽する僕の意識の間隙につけこむように、芦屋はのっぺりしたトーンで話し始めた。意味もなく唾を飲みこんで、拳に力を入れ、僕はそれを聞く。


「嘘、かな」

「へ、へぇ。君らしいな」


 当たり障りのない返事。正直言うほど芦屋らしいとも思えないが、だったら他になにを言えというのだ。同調か。「僕も嘘大っ嫌いだわー」と乗っかればいいのか。そういえばそもそも、僕は昨日の段階で嫌いなものの話をしていたではないか。適当な理由を見繕って理解を放り投げてしまうのが嫌だって、この口で言ったじゃないか。


「嘘、嫌いなの」

「おう」

「嘘、嫌いなの」

「…………」

「嘘、嫌いなの」


 芦屋はひと昔前のゲームNPCみたいに、延々と同じ言葉をしゃべり続けるキャラと化してしまった。進行フラグを回収していないのだろうなぁと半ば他人事のように眺めていたが、射すくめるような強烈な眼差しが、僕を捉えて離してくれないのだった。


「勘違いして欲しくないのだけど、私が嫌いなのは嘘そのものであって、嘘をつく人ではないから」

「……あ、ああ?」

「だから、嘘つきの香月くんに失望したとか、信頼を失ったとか、そういうことではないからね?」


 さらっと告げられるおそろしい言葉。嘘をついた? 僕がか? 一体いつ? 自慢じゃないが、僕が好むのはナンセンスなジョークであって荒唐無稽な嘘偽りではない。であるからして、僕が積極的に嘘をついたのであれば、まちがいなく記憶のどこかに残っているはずで。しかしそれがない以上、僕が芦屋に対して欺瞞を働いた事実などどこにもない。清廉潔白という言葉は、どこかの誰かが僕の生き姿を見て作り出したのだとはるか昔から言われている。


「なにか勘違いをしているようだけど、僕は君に嘘をついた記憶なんかこれっぽちもない」

「本当に?」

「ああ、天地神明とか自分の良心とかに誓って」

「じゃあ今からあなたの罪状を読み上げるけど構わない?」

「ああ、まったく」

「本日朝七時頃、メッセージアプリに来た返信。『悪い、昨夜は寝てた』。私が電話をかけたのは夜の十一時を回ったあたりだったから、仕方ない話かもしれないわね?」

「…………」


 たぶん、僕の顔色は今世界で一番悪い。蒼白という色の見本になっていると思う。

 朝起きて、さすがに無視しっぱなしというのもなあと思い返して、当たり障りのない文面を作ったつもりだった。夜に寝たのはなにひとつ嘘ではないから、僕はこれでいいやと返信をした。それが命取りだった。


「香月くん、ゲームハードのフレンド機能はご存じ?」

「……知ってるさ」

「当たり前よね。いつだったか、私ともフレンドコードを交換したものね?」


 同じタイトルを遊んでいるという話になって、それじゃあいずれオンラインで対戦なり協力なりしようと意気も揚々に交換した。二週間ほど前の話である。

 しかしながら、僕が家でゲームをしようと思ったら隣には常に対戦相手がいて人には困らないため、その約束は今まで流れっぱなし。なんなら忘れてすらいた。


「それで昨日の話に戻るんだけど、私がどうしてそんな非常識な時間に電話をかけたと思う?」

「……さあ」

「嘘、嫌いなの」

「…………僕が、オンラインだったから」

「あら、正解」


 相手をゲームに誘いやすいように、現状相手がアクティブかどうか表示する機能がある。十一時と言えばバチバチにすずと対戦していた時間で、無論オンラインだった。フレンドである芦屋には、それが筒抜けだった。


「別に、電話を取ってもらえなかったのはいいの。香月くんにも優先順位ってものがあるだろうし、ゲームに熱中していたら気づかないってこともあるだろうし。……でも、だからといって着信に手を伸ばせなかった理由を捏造する意味ってなにかしら?」

「それはだな……」

「答えは単純。別の女とやましいことをしていたからよね? つまりは花柳さんとセッ――」

「おおっと?!」


 話が明らかにやべー方向へ転がっていくのを察知した僕は、反射的に芦屋の口を手で塞いだ。昨日に続いて二度目である。ただ違うのは塞いだ理由の方。昨日は僕が続きを聞きたくないだけだったが、今日に限ってはギャラリーが多すぎる。みんなの前で、僕の前だけで見せてきた顔を出してしまったら芦屋のイメージ、ひいてはクラス全体の雰囲気に亀裂が入りかねない。――ただ、そこまで考えられた割には、僕は自分の行動がどう見えるかを省みることができなかったようで。


「(やっべ)」


 口の中で小さく呟く。状況はどうあれ、女子の唇に男子が触れているという事実は事実で、教室がざわつき始めている。僕が動いた瞬間に歓声とも悲鳴とも取れる声が各所から上がったし、明らかに見物客の数が増えた。明らかに誤手。やらかし。しかし反省する時間を神様は与えてくれないようで。


「……………………」

「………………………………やっべぇ」


 ふと、教室の外に立っていた女子生徒と目が合った。高い身長を猫背で誤魔化し、はっきりした目鼻立ちを長い前髪で隠し、遠くから見てもどんより沈んだ雰囲気をまとった少女だった。

 

 っていうか、すずだった。


「ちょっ!」


 すずは淡々と、茫洋と、こちらを眺めるだけだった。……しかし数秒経ってぱっと踵を返すと、そのままどこかへ走り去ってしまう。


 早い話が、誤解の重ね掛けである。


 僕が適当な理由をでっちあげたために芦屋が誤解し、その弁明の場を目にしたせいですずも誤解した。複雑に絡み合う二重誤解。疑うまでもなく僕の瑕疵。


 どうすりゃいいんだ……と暗黒期〇イスターズ主力選手のように悩んでいる時間は、僕にはなかった。


「芦屋、ちょっとついてきて!」

「えっ、あっ……!」


 答えを待たず、彼女の手首を強引に掴んで立ち上がる。またもクラスがどよどよ湧くが、今気にするのはそっちじゃない。四方八方から突き刺さる視線を無視し、僕は芦屋を引きずりながらすずが去って行った方向へ走る。――とりあえず、当事者二人の誤解を早急にとかないことには始まらない!


 とまあ、こんな感じで。


 ゴールデンウィーク前の余興よろしく、放課後の校内鬼ごっこが始まったのだった。

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