第12話 花柳涼音とは2

「そういえば、結局アレはどうなったのよ?」

「アレとは」


 夕飯を食べ終え、シャワーを浴びてさっぱりして、部屋でくつろいでいた。なんの脈絡もなく登場した指示語に戸惑う僕へ、すずはアイスキャンディの先端を突き付けてくる。


「芦屋さん」

「お前、確かにあんなんではあったが、仮にも僕の友人をアレ呼ばわりかよ……」

「あんたもあんなん呼ばわりじゃん」

「…………」


 どっちもどっち。どんぐりの背比べ。優劣らしい優劣はなさそうで、僕は視線をふらふら虚空に迷わせる。次にどう言ったものだか考えているうちに、すずが先んじて口を開いた。


「わたし、割と普通に心配してるんだよ。蓮によくないことが起こるんじゃないかって」

「芦屋絡みでか?」

「そう。蓮はお人好しだから、つけこまれても気づかないだろうけど」

「言うほどお人好しやってるつもりもないが」


 すずの観測範囲ではそう映っても仕方ないだろうが、僕はそこらへんの線引きが想像以上にドライだと自覚している。引き受けられる頼みは、あくまでその相手との関係性に依存するものだ。


「わかりやすいたとえを出せば、ある日突然『金貸してくれ』って言われて仕方ないから財布出してやるかって思えるの、現状じゃお前と竜也と芦屋だけ」

「は?」

「え、キレるとこか今の」

「及川くんはぎりぎり許すよ。中学からの付き合いだし、男どうしだからって部分もあるだろうし。でも芦屋さんはダメでしょ」


 どういう基準があるかは知らないが、どうもダメらしい。疑問が消えないので、当然「なんで?」と問う。


「わたしと蓮が知り合って今年で何年?」

「……満九年ではないでしょうか」

「じゃあ聞くけど、あの子と知り合ってからはどれくらい」

「一ヵ月弱」

「ほら、おかしいでしょ」

「年数関係あるか?」

「ある。関係しかない」


 すずは腰かけていたベッドから立ち上がって、こちらを見下ろす体勢になった。僕はのんきに相変わらず脚なげーなとバカみたいな感想を抱いて、惜しみなく露出されたみずみずしい太ももを眺める。風呂上がりのせいか、いくらか赤らんでいるようにも見えた。しかし、会話するなら目と目を合わせてだよなぁと思い直して、首を上へ持ち上げる。


「良い? ざっくり百倍なの」

「付き合いの長さの話か?」

「そう。一ヵ月と一〇八ヵ月。これは無視できない差でしょ?」

「それはわかる」

「ね? でも蓮からの信頼度は一緒だって言うじゃない。つまりこれ、わたしの価値があの子の百分の一以下って意味になるの」

「ならねえよ。与太理論にわざわざもっともらしい数字を使うな」


 こんな物言いをする奴に見下ろされるのが癪なので、ハンドサインで三角座りをさせた。今の僕の発言に、欠点などない。


「さっき挙げた三人は、どうあっても金の無心なんかしてこないだろうなって信用のある面子なんだよ。こういう直感的部分に過ごした歳月は関係しないだろ」

「全然するでしょ」

「言いながら穴ぼこまみれの理屈だなって自分でも思っちった……」

「認めてるじゃん。わたしが百分の一程度の女だって認めちゃってるじゃん!」

「ああもう、だったらどう答えりゃいいんだ僕は!」

「金額! 金額はどう?」

「お前にだったら百万でも一千万でも貸してやるよ! 芦屋は現状じゃ諭吉一人か二人くらいまで!」

「やったぁ!!!」


 高々と両手を掲げるすず。なんでこんなことで大声出してんだとテンション急速冷凍中の僕は、そのままベッドに寝転がった。今の僕に言っただけの大金を扱える能力はないので、ただの妄言。


「言うほどうれしいか、今の?」


 冷静になって聞くと、すずは「はて?」と首を捻った。「蓮からそれだけの大金を借りようとしてるわたしって前提が既にかなり嫌かも」「ためらいなく晩飯奢れるかどうかぐらいの基準で話すべきだったな」


 心理的ハードルとしては、その程度のラインで話すのが一番だったかもしれない。金の貸し借りだとどうしても借り手に仮定した方のクズ感が生まれてしまう。

 というかそもそも、僕らは金額がどうこうの話をしていたのではなくて。


「芦屋とあの後どうなったか聞きたかったんじゃないのか、お前」

「そうだったかも」

「そうなんだよ。過去の出来事にするな」


 腹筋に力を込めて起き上がり、脚を組む。「今日も結構話してきたんだけど、芦屋のなんたるかはだいぶ明らかになってきたぞ」すずはいつの間にか姿勢を崩して女の子座りになっており、「だからコーヒーの香りしたんだ」とチクっと一言。ちょっと鼻がききすぎやしませんかね。


「僕が思ってたよりずっと奔放な人間だった。仲良くなったからはっちゃけたんだとさ」

「ほんとぉ?」

「ほんとほんと。僕も僕で綺麗な容姿の方にすっかり惑わされて、勝手に清楚だお淑やかだと規定しちゃってた節があるし。これまでは先入観込みで人付き合いしてたんだな」

「で、ギャップ萌えにころっと落ちちゃったんだ」

「結論出すのがはえーよ。……いや、芦屋がわかってきたからこそ、どんどん深まる謎なんだそれが」

 

 先入観が取り払われて本質的な部分が見え始めるにつれ、逆に疑問が湧いてくる箇所だった。彼女との会話の中ではついぞ口に出せなかったが、どうして僕に対しあそこまでご執心なのか、それだけが未だにはっきりとしない。


「なんでいきなりセッ〇スしようなんて話に飛躍したんだろうな」

「んんっ!」


 すずの咳払い。頬には朱が差していて、こういう類の話題に耐性がないことをこれでもかと主張している。女子は男子なんかよりもえげつないトークに発展しやすいと聞くけれど、同世代の女友達がいないこいつにその通例は意味をなさない。


「だ、だから! 貞操観念がゆるゆるなんでしょ! 信じらんない!」

「しかしそうでもなさそうなんだよな……」

「はぁ?」

「仕込みや演出じゃないって確証はないけど、今日の放課後、芦屋が告ってきた先輩フるとこ見ちゃったし」

「なんであんたはその現場にいたのよ」

「それは聞かないでくれ。……ともかく、意外と身持ちが固いって自己申告は嘘じゃないのかもしれない」


 顎に手をあて、うーんと唸る。きっかけはあると彼女は言ったが、それらしい記憶などさっぱり思い浮かばない。


「わっかんね……」

「からかわれてるだけなんじゃなくて? 向こう、恋愛経験豊富そうだし。そういうのに疎い蓮をもてあそんで楽しんでるとか」

「変な奴だけど、嫌な奴じゃないのはまちがいないんだよ。僕の腐りかけの審美眼でも、そこだけは確かだ」


 それに、おちょくりたいだけなら手間をかけすぎだ。昼休みも放課後も休日も使ってまで僕一人を貶めて下がる溜飲などあるとは思えない。芦屋と僕が友人であるという土台は、どんなノイズが混じろうとも揺らがない真実であるはずだ。


「……ここまでだな」


 現状持っている材料をどれだけ並べたところで求めている答えなど出てこない。友達だと信じる相手を疑うのは決して気分のいい行いではないし、それにすずを巻き込むのもどうかと思う。

 今日のところはキリ良く諦め、明日以降に持ち出そう。というわけで気晴らしに部屋にあるテレビと据え置きハードとを起動し、すずにコントローラを押し付けた。終わらない問答を繰り返すよりかはこちらの方がよほど理にかなった行いだ。困ったときはスマブラに打ち込めと、かの孔子も言っていた(言っていない)。

 シュウテンストックサンアイテムナシと呪文を唱え、特に難しいことを考えるでもなくボタンをがちゃがちゃ動かす。前も言ったが僕とすずのゲームセンスは似たり寄ったりなので、気を抜いたり横着したりするとほぼ確実に負ける。だから今回も敗勢で、しかしそれに構わず、口の方を動かした。


「圧力鍋ってほかになに作れんの? 僕の中には角煮のイメージしかない」

「煮物の質が全部ワンランク上がる。お米も炊けるよ」

「米炊きたすぎるな。炊飯器の時代は僕が終わらせる」

「でもお米炊いちゃったら、その間圧力鍋でおかず作れないね」

「やっぱ炊飯器って神だわ。今日から枕元に置いて寝る」

「ばかでしょ」

「じゃあ枕にする」

「もっとばか」


 バカにされたし、ゲームも負けた。やれやれと肩を竦めつつ、放って置きっぱなしのリュックサックを手元に手繰り寄せ、勉強机の脇に置く。ファスナーの締め具合が甘かったのかストラップが飛び出て、それを目にしたすずが「そういえば」と口にした。


「例のバンドを通して知り合ったんだから、あの武勇伝はもう話したの?」

「武勇伝?」

「ほら、去年言ってたじゃない。品切れぎりぎりに買えたグッズをかっこよく後ろの人にあげてきたって」

「ああ、あったなそんなの」


 込み合う物販でどうにか手に入れたラスト一個のキーホルダーを、後ろで絶望的な顔をしていたファンに託したんだっけ。年が変わる頃にはほとんど忘れていて、今すずが言ったことでようやく思い出せた程度のエピソードだけど。


「やっぱりお人好しよね。いくら払ったか知らないけど、知らない人にタダで譲ってきちゃうんだから」

「めちゃくちゃ打算してるぞ。お前に話すお土産トークになるし、今後知り合うだろうparaguasファンから一目置いてもらえるし、払った金額以上に僕は気分よくなれたしで。あとワンチャンツイッターとかでバズる。『当時こういうことがあって~』ってツイートに『それもしかして自分のことですか?』って名乗り出たら僕の株が連日ストップ高だろ」

「でも忘れてたら意味ないじゃん」

「確かに」


 ライブの熱気で全てがどうでもよくなってしまって、すずにだけ話してから記憶の宝箱に封印していた。せっかくの必殺エピソードも、思い出せないのでは無用の長物だ。こうして指摘されなければ、今後思い出すこともなかったかもしれない。


「当時は『うわぁヒーローみたいなことしてる!』って脳汁ドバドバ出てたんだけど、今考えたら結構気持ち悪いかもしれん。見知らぬ他人から渡されたら不気味だよな」

「蓮、基本ダウナーなのにときどきハイテンションでおかしなことするよね」

「そういうところでつり合いをとってるんだ」


 僕は結構場に飲まれるタイプ。当時も飲まれてそんなことをしてしまったんだと思う。我ながら痛々しいが、悪いことをしたわけでもないからいいか。


「芦屋さんに話して点数稼ぎでもすれば?」

「言い方に棘しかないな。言わんよ。よくよく振り返ったら自慢するの結構恥ずかしいし」

「その恥ずかしい話を一人だけ聞かされたわたしはどうすれば」

「お前の幼馴染がいかにイタい奴かを補強するエピソードとして使うのを許そう」

「……ふぅん、考えとく」


 その後もゲームを続けて、戦績五分のまま日付が変わった。ここで寝落ちされると後が面倒なのですずを自宅へ強制送還し、歯を磨いてさっさとベッドに潜り込む。半ば惰性でスマートフォンをチェックすると、一時間ほど前に着信が一件。相手は芦屋。……折り返そうかとも思ったが、日中学校で話せばいいやと思って、そのまま触れずに目を閉じた。

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