第10話 芦屋みやび観察記録4
「フリートークだからダメなんだなたぶん。君に自由に喋ってもらおうという発想に誤りがあった」
「酷い言われようね」
「この際、心証はどうでもいい。既に君に対する僕の心証もめちゃくちゃになってるからお互いさまってことで」
「めちゃくちゃというと、具体的には?」
「恥ずかしながら、僕には君を淑女という概念の具現化だと思っていた時期が存在する」
「恥ずかしながら」
「そう、恥ずかしながら。ここ数日で、己の審美眼の精度がかなり疑わしいものになった」
先ほどから見ていても、口にものを含んでいる間は決して話さないし、食器の扱いには慣れと品を感じる。そういう言葉にならない部分での慎ましさは確かに認められる。本人の気質によるものか親御さんによるしつけの賜物なのかは知らないが、芦屋は確かに礼節というものを知っている人間であることに疑いはないのだ。……それがどうして口を開くとこんなに残念なことになるのか、僕が知りたいのはその部分。
「脱線したくないなら至極簡単な一対一対応の質問に留めるべきだよな。……そうだ、芦屋って身長いくつ?」
「香月くんは?」
「質問に質問をぶつけないでくれ。入学後の身体測定だと一七二とかだった」
「体重は?」
「六十あるかないか」
「靴のサイズ」
「二六センチ。なあ、僕の質問はどこ行ったんだこれ」
「香月くんの求めるものが相互理解なら、当然私だってあなたを知っておく必要があるでしょう?」
「ごもっともだけど、現状一方的に僕の個人情報が垂れ流されてるだけなんだが」
「じゃあ私も。一五六、八二、五七、八四」
「へぇ、一六〇はあるもんだと思ってた。姿勢いいから錯覚してたのか」
「ちなみにサイズはDくらい」
「なあ、なんでわざわざ僕が後ろ三つの数値をスルーしたかわかってくれなかったのか?」
「脱線防止?」
「わかってるなら勘弁してくれ……」
さらっと放り込まれたスリーサイズに戦慄しつつも、それを表情に出さないよう必死に努めたのに結局無駄だった。僕はただ、雑談らしい雑談がしたいだけなのに。
「香月くんの反応が面白いから、つい」
芦屋は愉快そうに眼を弓にする。その笑顔があんまり綺麗だからかっかしているのも馬鹿らしく思えてしまって、つくづく美人というのは強い生き物なのだなと悟った。あるいは、僕が安い人間だというだけかもしれない。
「からかうためにトップシークレットの情報を公開するな。ってか、僕がそこまで優秀なおもちゃになるとはとても思えないんだけどな……」
「会話相手としては過去にない新鮮さがあってとても楽しい」
「ありがとう……。なあ、ここでの返事ってありがとうで合ってるか?」
「……たぶん?」
双方確証なし。不安げに首を傾げつつ、「誕生日っていつ?」と沈黙を嫌って問う。
「八月二十日。しし座」
「へぇ、じゃあ僕より君の方が若干お姉さんなわけだ」
「そういう香月くんは?」
「九月十日のおとめ座。芦屋、その誕生日だと夏休みのせいで学校でお祝いされたことなくてちょっと損してるだろ」
「あるあるよね。そのせいか、日付が変わった途端にメッセージが山ほど押し寄せて大変で。まあ、うれしい悲鳴なんだけど」
「人気者の苦悩には同調できかねるが、どういう感じかくらいは理解できる」
そう、これなのだ。これこそが僕の求めている、中身があるのかないのかわからない怠い会話。けれど着実に芦屋のプロフィールの空白部分は埋まっていて、今までブラックボックスだった箇所が明るみになり始めている。意図的に作り出すものではないが、芦屋との場合は順序がひっくり返ってしまっているから仕方ない。言うなれば、今の僕らは応用問題をばんばんこなすくせに基礎になるとつまづく学生。実際にそんな奴が存在するわけはなく、けれど僕と芦屋という実例が生まれてしまっているこの歪さの解消こそが本懐。
「芦屋、A型っぽいってよく言われるだろ」
単純な質問をすると、返答に遊びを持たせる余裕ができる。予めその可能性を潰したいなら、こんな感じで絡むのがおそらく正解。
「几帳面な人はA型に分布するって俗説?」
「ああ、僕なんかはがさつだからBだけど」
「さっきも言ったけど、私はDよ」
「……ここで普通に胸部を凝視してしまう自分の愚かさを呪いたい」
「……これでいい?」
「寄せるな」
「じゃあこう?」
「上げろと言ったわけでもない」
「でもしっかり見ることは見るのね」
「なに一つ否定できねえ……」
現状でアルファベットを口に出させるという行為の危険性を認知できていなかった僕が悪いのだが、さすがにここまで予測できていたら気持ち悪い。そういうのも全部含めて完全に敗北している。意識的に視線を切れなくなっているし、思春期丸出しで恥ずかしいったらありゃしない。
「香月くん、性欲の化身とまではいかないのでしょうけど、結構むっつりよね?」
「君があまりにもがっつりだからこれでバランス取れるだろ」
苦し紛れに反論して、白旗がわりに「で、結局何型?」と問うた。「Bよ。もしものときは輸血できるわね」「だから発言が一々猟奇性を孕んでて怖いんだって」「それが嫌なら、香月くんの血を私の中に入れましょう」「なんとなく感じてはいたけど、僕が強引にブレーキかけたあとでもう一言付け足すのを自分自身に課してる節があるな?」
ぎりぎり白線の内側に入ってこようとしている。そりゃあ僕だって、沸騰したお湯に指を突っ込んでみたらどうなるかとか、高速で回る自転車の車輪に触れてみたらどうなるかとか頭によぎった経験くらいはある。でも、普通はそこで止まるのだ。人間には理性という名の高性能ブレーキが搭載されているから、勝手に制動されるはずなのだ。
だが、芦屋においてはどうにもその限りではないらしい。意図的に制動装置を馬鹿にして、平然と突っ込んでくる感覚だ。悪趣味と言うほかないし、シンプルに怖い。
「その本性、普段よく制御できてるな……」
「別に、猫を被っているつもりはないのよ?」
「女子の友達と話しているときに抑圧感とかないのか?」
「全然。その場その場で会話の楽しみ方なんて変わるもの」
「……じゃあなんで僕に対してだけこんな酷いことに」
話す相手が誰かによって対応を変えるのは僕だってやっている、至極一般的な処世術だ。しかし、あまりに態度を変えすぎるのはストレスだし、面倒。なのに、芦屋はそれに苦を感じないと言う。
「香月くん、私がどんな顔を見せても難なく対応してくれたから、もしかしたらなんでも大丈夫なのかと思って」
「それでついついタガを外してしまったと」
「ええ。さすがにこういう下卑た物言いは、過去の友達の前じゃどんな反応をされるかわからなかったから」
「自己分析はできてるんだな。偉い偉い」
「ふふ」
「ちなみに褒めてはいない」
ぴしゃりと遮ったら、芦屋の顔が一瞬だけ完全な『無』になった。なるほど、梯子を外されたら自殺してしまうというのは完全なる嘘というわけでもないらしい。
「まあ、そういうことならいいや。もしかしたら猫や仮面を被りまくった作り笑いで顔を固めて、嘘まみれで生きてる悲しい奴なんじゃないかって不安だったから」
基本的に聴き役に徹するのは自ら発信するのを恐れているから。あらゆる話題に付いていけるのは、そうやってリサーチを重ねないと自身の異物性が際立ってしまうから。偏屈な見方をすれば、そう捉えられないこともなかった。賢い社会不適合者として、一般人に擬態する生き方を習得したのだと。
「無理して抑えてるわけじゃないんだろ?」
「私はいつだって自然体のつもりだけど」
「それなら、一風変わった個性ってことで説明つくな。面白おかしい多面性だ」
「おかしい?」
「少なくとも、君に類似する人物は僕がこれまで出会った中にいない」
「そんなに」
「まあ、普段の清楚なお嬢様然とした君も、最近の放送コードに引っかかりそうな言葉を連発する君も、どちらも等しく素の芦屋みやびなんだろ? だったら、それでいい」
なにかに対する怯えとか恐れとか、そういったネガティブなものに対し、僕はやたらと敏感になっている節がある。身近にすずというサンプルがあるのが大きく影響しているのはまちがいなくて、個人がもともと持った気質性質を封じ込められるのが苦手なのだ。もしかしたら芦屋もそちら側の人間かもしれないと疑っていて、しかしそれは杞憂に終わった。であれば、僕も肩の力を抜いていい。
「理解ってやつ、結構進んできた感じがするな」
「私のこと、わかってきた?」
「だいぶな。まだまだ虫食いだらけだけど、かなり大きめの疑問一つは取り除けたわけだし」
一呼吸おいて、今さらケーキを口に運んだ。最近芦屋の傍で食べるものはまるで味がしなかったけれど、ようやくのこと甘みを楽しめるくらいにはなった。
そんな僕を見て、芦屋は言う。
「でも、私は逆に香月くんの謎が増えてしまったかも」
「なんで? そんなミステリアスな発言してたか?」
「理解できないものは視界から外すのが人間らしさだと思わない?」
「君はそう言うけど、見捨てられない自信があったからこそ今こんな感じで色々開けっ広げにしてるわけだろ」
「まあ、そうね。意識したわけではないけど」
「無意識でもいいよ。ただ、そこに見えない信頼を感じてしまった以上、応えずにそっぽ向くのはちょっとな」
口の中に残った甘ったるさをコーヒーの苦みで中和し、邪魔くさくなってきたネクタイを緩める。外は徐々に暗くなり始めていて、元は薄暗かった喫茶店内の光量が太陽に勝ろうとしていた。
「一応、僕の中に基準はあるんだ。いかんせん、わからないもの全てを理解するには時間と能力の欠如が著しいから」
「五分考えてわからなかったら上司に聞く、みたいな?」
「発展途上の新入社員じゃないが、結構近いな。僕は、一日経ってもなおわからなくてもやもやしたら、取りあえず自分がすっきりできるところまでは追いかけるつもりでいる」
「私はそうだったと?」
「そりゃあな。豹変っぷりが激し過ぎたし、でもそうなったところでせっかく仲良くなったって事実は変わらないしで、放ってはおけないだろ」
「私が言うのもどうかと思うけど、性差や環境の違いによるものだって諦めて、距離を置くものじゃない?」
「ああ、僕そういうの大ッ嫌いだから」
「……それも、花柳さん絡み?」
伏し目がちに問われ、「まあね」と肯定。そういえばすずに関する質問を約束で縛ったから、向こうも探り探りなのか。そのあたりは謙虚だなと思いながら、僕は続けた。
「最大限の歩み寄りを見せても理解が及ばなくて、その結果として性別や生まれの差がどうこう言いだすなら僕も納得するんだけど、たいていの場合はそうじゃないだろ、きっと。最初に諦めた人間が理由として引っ張り出してくるのがそれらの理由な気がする」
「哲学?」
「意図せずめちゃくちゃ抽象的になったわ。まあ、一定の理屈に則って動いていることだけ覚えて帰ってくれ」
「香月くん、偏屈って言われることない?」
「昨日だかに言われたな。自覚はしてるし、改めようとも努めてるんだけど、どうにも生まれ持った性質らしくてなんともならん」
「変えなくて良いと思うけど。それも、一風変わった個性でしょう?」
「……僕はここで『一本取られたぜ』みたいな顔をすべきか?」
「どうぞご自由に」
「じゃあやめとく」
はは、と微笑みを交わし合って、その後はしばらく、無駄話に興じた。僕が追い求める友人らしさというのにだいぶ近づけた感覚はあって、ひとまずほっとする。だからと言って、最初の話題が「エキサイトとエロサイトが一文字違いなのって世界のバグだよな」から始まったのは普通に馬鹿だと思ったけど。ただ、そういう知性空っぽのやり取りが友情を育むのだと信じている。相手が男だとか女だとか年上だとか年下だとか美形だとか不細工だとかは一切関係なく、だ。
とまあ、そんなこんなで。
出会ってから一ヵ月ほど経って、途中致命的なラグを挟みつつも。
僕と芦屋は、ようやく世に言う友人らしさとやらに、近づけた気がした。
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