第9話 芦屋みやび観察記録3

「……まあ、悪くはないんだよ、こういうので」

「はい?」

「弁解や弁明に躍起になるのは想定外だったけど、今日君を誘った目的は大意で達成されたと言えなくもなくもなくもない」

「四重否定は……肯定ね」

「弱い肯定だけど」


 僕は片手で前髪をかきあげながら、空いた方の手でコーヒーカップの取っ手を撫でた。目の前にはサービスと言って半ば強引に押し付けられた試作のケーキもある。おばあさんの方は洋菓子作りが趣味で、歳を召しても変わらずに隔週ペースで改良や新作の開発を続けているというのだから驚きだ。その被験者は自分であることが多いのだが、それはもしかしたら僕に罪悪感を抱かせることなくサービスするための建前なのではないかと思ってしまうくらいに、昔から世話になりまくっていた。


「こういうのって、つまりはどういうの?」

「ありきたりな日常会話。あるいは、誰にも求められていないような自分語り。それこそ、知らない奴が勝手に始めようものなら最大限のひんしゅくを買いかねない薄くて怠いトーク」

「かなり悪し様に言っているように聞こえるけど」

「いやさ、たぶん友人という形態に必要とされてるの、こういう無味無臭さなんだよ。話題のなさが故に家族構成やらプロフィールやらをべらべら喋って、なし崩しで理解を深めるんだ」

「世に存在するすべての友人関係を馬鹿にしているようにしか聞こえないけど……」

「馬鹿になんかするもんか。なんなら僕は、会話の充実度と親密度は反比例関係にあるとすら思ってる」

「どういうこと?」

「たとえば……そうだな。クラスに及川竜也っているだろ。ほら、僕の隣の席の奴。芦屋が話したことあるかどうかは知らないけど、竜也は僕の中学の頃からの友達なんだ」

「それはまあ、いつも一緒に話しているのは見てたから」

「そういや今日もめっちゃ目が合ったな。……その点についての言及は後に取っておくとして、とにかく僕とあいつの会話なんて酷いもんだぞ。竜也が愛用してるマウンテンバイクの後輪に釘が刺さってパンクして最悪だって愚痴から始まって、途中で出た単語を拾っていく形でエピソードの補充をしながら延々三時間くらい深夜に長電話したのが三月の出来事。この間生産的なことはなに一つない」


 たぶん、両者もう眠いんだけどな……とうっすら思いながら、それでも日が昇り始めるまで絶えることなく会話を続けた。最後の方はもう呂律も回らず、終わり際には車道で転ぶのと風呂場で転ぶののどちらが危険かという論争が始まって、バットで殴れば全員死ぬんだしもうどうでもいいだろうという結論を出して寝た。とても人には聞かせられない、脳のどの部分も働かせていないような直感的なトーク。たまに笑い声は混じるものの、僕も竜也も面白がっていたかどうかさえ判然としない。……けれど、そういうどうしようもなさがなにより友人らしいと感じる瞬間がこれまでの人生で何度かあった。話題なんかとっくの昔に尽きていて、それでも困らずに笑って話せるのなら、そこには友情の存在を認める必要がある。


「これは、僕と竜也の関係性が成熟しているからこそできることだ。お互いの地雷がどこにあるか知っていて、なんなら踏まれてもいいやとすら思っていて、だから気負わずに好き勝手言える。『こんな物言いをしたら相手がどう思うだろうか?』とか『これはもしかしたらつまらない話だよな?』とか思案する工程はとっくに排除されてるんだ」

「それが、会話の充実度と親密度の反比例?」

「そう。中身がすかすかで許されるのは、仲が良い相手だからってこと」


 僕にも竜也にも分別があるから、慣れない相手に対しては会話を盛り上げようと大なり小なりの演出をする。これは誰にでも共通の感覚だと思っていて、いきなり身内のノリで話しかけたりはしない。

 だからこそ、すっかり友人だと思い込んでいた芦屋との会話を振り返ったときに、僕の中には大きな違和感が残るのだ。


「ここで、僕と君の会話を思い出してみようか」

「いつから?」

「場面切り抜きでいいや。そうだ、カラオケに行った日にしよう。確か芦屋、paraguasのセカンドアルバムで一番好きな曲は『晴朗』だって言ったな。歌ってもいたし。じゃあどうして好きか、その理由は?」

「雨傘を意味するバンド名に対して、晴れ渡るという意味の晴朗をセカンドアルバムのトップバッターに据えるのは非常に挑戦的だし、曲調もこれまでのparaguasサウンドとは一線を画すしで、彼らの成長への意欲と、ファンに対する『振り落とされてくれるな』という意気込みを感じるから」

「ほら、中身しかないだろこんなの。絶対良い答え返ってくるだろうなと期待して聞いた僕も僕だし、解釈完全一致で馬鹿みたいにぶちあがったからそれはそれで最高なんだけどさぁ」

「……これ、言うほどおかしいかしら?」

「一つのバンドに対するコアなファンとしての会話なら花丸百二十点。ただ、高校生の友人間でする会話だって考えたら二点くらいだな」

「二点」

「そう、二点。たぶん百点は、『イントロでギターじゃぎじゃぎ鳴ってんのめっちゃかっけー』とかそんなのだ」

「知性はどこ……?」

「探すな。捨てるところが第一歩」


 ファンどうし多くを語らないのが美しいという風潮があるが、それとこれとはまったく別の話。そんなにしょっちゅう意味と中身のある会話をしていたら、近く息切れを起こしかねない。僕と芦屋は、とにかくフィーリングオンリーで会話したことがまるでないのだ。お互い理屈屋なのが災いしている面も大きいのだろうが、おそらくそれ以上に――


「僕らは両方ホスト精神を捨てきれていない」

「持った覚えがないけど……」

「でも事実としてある。相手を喜ばせようとか楽しませようとか、そういう思いのことを言っている」

「友人だったらなにもまちがっていなくない……?」

「そんなのは誕生日にプレゼントを贈る瞬間だけ持ってればいい。普段は要らないんだよ、そんな肩肘張った考え方は」


 求めれば求めた分だけ返ってくるのに味をしめた僕たちは、半ば相手を試す形でより踏み入ったトークを繰り返すようになっていた。やれあのライブでギターがピックを落としてしまった瞬間のボーカルとのアイコンタクトに彼らの信頼関係の全てが詰まっていただの、高音を出すときにボーカルがする右手人差し指の第一関節を曲げる癖がたまらないだの、それら全てが通じてしまうのはファンとしてこれ以上ない幸福であるのには違いないが、やはり友人の会話としては歪さが際立つ。どう考えてもおかしい。


「色々考えて思った。僕は君と、まるで友人になりきれていないんじゃないかと」

「……あの、私はちゃんとお友達だと思って……」

「まあ待て。別に、『やっぱ仲良くねーわしょーもな』という話がしたいわけではないんだ。むしろそこの欠落を埋めるためにこの時間を用意してもらったと考えて欲しい」

「……きちんと友誼を深めたいと?」

「そういうこと。僕は君の趣味や嗜好するものの傾向を知っているくせして、血液型や誕生日みたいなパーソナルな情報となるとまったくダメだ。そこらへんを理解して初めて、友人らしい振る舞いの何たるかを理解できると思う」

「……よかった。もし梯子を外されたら自殺するところだった」

「いきなり過激な一面見せてくるのやめない?」

「これも私だもの」

「いや、前も言ったけど順序は意識してくれよ。初見じゃドン引きするような踏みこんだ話題だって、完全に打ち解けた確信を得た後なら意外とすんなり飲みこめるものだから」

「今つけてる下着の色が赤だってこととか?」

「君はさぁ……」

「心配しなくても上下きちんとそろえているから」

「心配してねえんだわ……」


 人差し指でテーブルをとんとんと叩き、彼女の突拍子もない発言に抗議の意を示す。絶対こういう流れではなかったろうに。


「芦屋、平均的人間より幾分か強めな破滅願望と破壊衝動持ってないか?」

「あるかないかで言われたら、確かにあるかも」

「それは結局なんなんだ? 普段品行方正に努めてる反動?」

「努めて真面目でいるつもりもないけど……。そうね、どうしても理由付けしなくてはならないなら、生まれ持ったものとしか」

「とんでもない爆弾抱えて産声をあげちまったなぁ……」


 頭を抱えつつ、投げやりに呟く。長い午後は、まだまだ続く。

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